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『日本庭園』に熱狂した理由

やあ。ぞの(@zony_52)だよ。

今回は熱狂した理由シリーズ。


幼少期の頃の熱狂のお話をしていこうと思うよ。

赤ちゃんの頃の記憶

僕は赤ちゃんの頃、大阪の茨木というところに住んでいました。割とアクセスのいいところで、大阪だけでなく、京都にも気軽に足を伸ばせる立地でした。

その頃、父親が単身赴任で滋賀にいたこともあり、母はとても暇だったのだとか。

そこで昔から好きだったお寺巡りによく行っていたらしいのです。僕を連れて二人で。母の暇つぶしに赤ん坊として貢献していたわけです。

誕生日プレゼント

それから時は経ち僕が幼稚園〜小学校低学年の頃。
マイブームだったのが当時デパートやインテリ屋さんによく並んでいた水の流れるインテリアを見ることでした。

こんな感じのやつ

でもなにか物足りない。そんな中で見つけたのがミニチュア鹿威し(ししおどし)。

こんな感じのやつ。

小学校2年生の誕生日プレゼントは、周りがゲームやベイブレードを買ってもらっている中、ミニチュア鹿威しを買ってもらいました。

それからというもの、水をセッティングして、ちょぼちょぼ出てくる水の速度を最低まで落として、「カコッ」っとなるのを永遠に見ていました。
鹿威しを見ている間は異空間に行けていた気がしたし、没頭することができていました。自分の中ではあまりにも神秘だったので、小学校の同級生にも勧めていた記憶があります。(誰も魅力をわかってくれませんでしたが。。)

熱狂の壁を超えた瞬間はどこか

『富士屋』で熱狂の壁を超えた瞬間は「特別感」、『夢を味方に』で熱狂の壁を超えた瞬間は「未知との遭遇」でした。

これはどちらにも当てはまりません。

僕はこの熱狂の壁を超えた瞬間は「安心感」なのではないかと思っています。

赤ちゃんの頃に毎週毎週見に行っていた日本庭園。それが潜在意識に刷り込まれたのではないでしょうか。

小学校低学年の頃にインテリアではなく、ししおどしのミニチュアが欲しくなってしまった。
つまり、過去の思い出(日本庭園を巡った過去)が「安心できる拠り所」として自分の中にインプットされていたんです。
だからこそ、鹿威し(ミニチュアだけど)を求めたし、一部ではあるけれど、その空間に触れていられることに快感を感じていました。
時間を忘れるほどに見続けていた(親に聞くと、3時間くらいずっと見続けていた時もある)らしく、好奇心あふれるその時期にずっと「カコッ」を見続けていました。

鹿威しが『安心感』を醸成し、その安心感が熱狂を生んだのだと思います。

おまけ:note書くの楽しい

社長がこんなこと仰ってました。

つまりは好きこそものの上手なれなのかなと。

僕は新卒のペーペー。まだ社会の右も左もわかりません。ビジネスにおける自分の強みとか弱みもわからない。

でも、『熱狂の話を書くの楽しい』とか思ってる自分もいるわけです。「note楽しんで書けよ!」とか言われても書けない人はかけない。でも僕は楽しくかけてる。多分好きなんです。それだけのことなのです。

もちろん、記事の質を高めていかなければならないと思うし、アウトプットの場として、有益な情報を残していくのがベターなのはわかっています。でもそのフェーズにはまだ立てていない。インプットの量や、仕事での実績が足りていないから。だとしたら、今書けることを自分なりに書いていくのがいいのではないかと思いました。

”好き”をやり込んだ後に自然と「自分にしかできないこと」が見えてくるんじゃないかと。

つまりは、好きこそものの上手なれだし、いま好きだと思うものをやっていってみようぜ、というお話です。

これからも楽しんで書いていくぅっ!

いいと思ったら「好き」ボタン押してくれるとモチベーションだだ上がりなので何卒…!

では!

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