Facebook創業者マーク・ザッカーバーグを描いた「2010年最高の映画」『ソーシャルネットワーク』
Facebookの創業者、マーク・ザッカーバーグを描いた『ソーシャル・ネットワーク』。
作品がお披露目になると、批評家はこぞってこの作品を「2010年最高の映画」と絶賛しました。
この作品をその域にまで高めているのは、何と言ってもアーロン・ソーキンによる力強い脚本。
ですが、その脚本の持つ魅力を映像化するのは極めて難しいはずであり、 監督のデビッド・フィンチャーや俳優陣が如何に優れていたかがうかがえます。
完璧な脚本とその魅力を100%伝えきる演出と演技、それらがこの映画を「2010年度最高の作品」と言わしめたのでしょう。
(ちなみに、ここで書くマーク・ザッカーバーグという人物についての考察は、あくまで映画で描かれたそれに対するもので、実際のザッカーバーグ氏のことではありません)
■議論の中に暗い情熱を映し出す脚本
この脚本は一人一人の議論を中心に展開されます。
台詞は「言葉の応酬」というのが相応しく、登場人物は次から次へと自らの意見をぶつけていきます。
単調になりやすい描き方ですが、この脚本のすごいところは、それを退屈と思わせず、 むしろ画面へ引き込む力を持ってもいること。
それは、議論自体に若者の苛立ちと機知、そして人間的な欠陥が浮き彫りいなっているからです。
そのほの暗い情熱に惹きつけられてしまうのです。
こうした若者の情熱が最も強く投影されているのが、主人公、ザッカーバーグの姿。
才能のある彼は周囲にその才能を知らしめたい、という強い願望を持っており、 その願望が強すぎるからこそ、周囲の感情には無頓着です。
芸術家と同じように、彼にとってはFacebookが才能を集結させた「作品」で、その「作品」を高めていくこと、自分の才能を発揮し、周囲に認めさせることがすべてだったのでしょう。
そのために、そうとは知らず他人を傷つけてしまうのです。
つまり、自分の才能への情熱が強すぎる。
そして、その才能を認めようとしない世間に対して怒り、敵対心を抱いている、というのが強く伝わってきます。
そういう彼の様子は、冒頭の元ガールフレンドとの議論の段階からはっきりと見て取れます。
そして、物語が進んでいき、さまざまな議論が展開される中で、より鮮やかになっていきます。
このように主人公の人格を暴いていくような議論だけでも十分楽しめてしまう、知的好奇心をたいへんにくすぐる脚本になっているのです。
■脚本の魅力を映像化する演出、演技
けれど、こういう議論中心で展開される脚本は、 たとえどんなに人間の心理をついた素晴らしいものであっても、取り方によっては退屈を誘ってしまうでしょう。
そして、そうなってしまう可能性は極めて高いはずです。
しかし、この映画では退屈する場面など一つもありません。
それは、間違いなくフィンチャーの演出の賜物です。
さすが、これまで多くの秀作スリラーを手掛けてきただけあり、緊張感とスリルを画面に留めるのがうまい。
抑えた色調と、冷淡にさえ感じられる静かな演出で程よい緊張感を、 一方、徐々に全様が見えてくるミステリーのような演出でスリルを醸し出しています。
そして、肝となる議論を次から次へと展開させるスピーディな演出で、文字通り目が離せないのです。
こういう演出があるからこそ、台詞の持つ意味、登場人物の心理がどんどん観る者の内に入ってきます。
俳優の演技も素晴らしいものです。
中でも、やはり突出していたのはザッカーバーグを演じたジェシー・アイゼンバーグ。
どうしても気弱なオタク青年のイメージが強かった彼ですが、この映画ではその気弱な部分を抑え、邪悪ささえ感じさせる演技を披露。
見事にザッカーバーグの暗い情熱や世間への苛立ちを体現していました。
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