見出し画像

音楽映画が好きなら絶対に見るべき映画『あの頃ペニー・レインと』

キャメロン・クロウ映画の中では一番推したい作品です。 
素晴らしい脚本と、個性豊かすぎるキャラクター言葉より威力を持った音楽に満ちた、まさに愛すべきロック映画と言えるでしょう。 

■キャラクターの魅力とセリフ

やはり、脚本が冴えわたっています。 
とにかくセリフが良い。
セリフと演技が調和して、個性豊かなキャラクターたちの魅力がよく表現されています。
一人一人のキャラクターが魅力的なのですが、その中でも飛びぬけていた3人について。 

まずは、主人公、ウィリアムの良き相談相手ともなっている真のロック崇拝者、シーモア・ホフマン演じるレスター。 
出番は少ないけれど、彼の語る言葉は、芸術としてのロックへの愛に満ちています。
人生論ともいうべきロック哲学は、作中の音楽や旅の模様と重なり、深みを感じさせます。

レスターに負けじとその個性を発揮していたのがウィリアムの母役フランシス・マクドーマンド。 
とにかく強烈すぎるキャラクター。 
熱心すぎる教育者であり、独自の人生論を持っています。
あまりに熱心すぎ、あまりに相手をねじ伏せてしまいすぎるので、 ツアー中に母から電話があるとその凄味に笑ってしまいます。 
誰でもウィリアムの母と話すと、怖い先生にひどく叱りつけられた子供の様に小さくなってしまう姿は滑稽で面白い。 
ですが、それは単に強烈なだけではなく、 レスターのロック哲学のような母親哲学なるものの存在を感じさせるほど、支配力と愛情に溢れています。 
演じるマクドーマンドの意志の強さを感じさせる口調や画面への目力も当然その言葉の支配力を強めています。 

そして、もちろんこの映画のシーンスティラーはペニー・レインを演じたケイト・ハドソンです。 
まぶしい笑顔をたたえているけれど、その表情はどこか哀愁が漂い、ミステリアスな雰囲気を帯びています。 
本名を尋ねられた時、何も答えずただじっと見つめ返すその仕草は彼女のそういう謎めいた部分をよく表しています。 
こういうハドソンの演技は、ウィリアムが憧れるペニー・レインという存在をより魅力的にしてもいます。 
彼女のセリフは、超現実主義の母とは対照的で、夢物語のよう。 
強烈さはないが、未知の世界を感じさせ、そこにウィリアムが惹かれていったことがよくわかります。 
その言い方も笑顔ではありますが、どこか空虚で本質がどこにあるかわからないようなもの
彼女自身どこか現実を見ていないようであり、そんな彼女のラストでの変化には希望が湧いてきます。 

■ロックバンドとの旅の描き方 

脚本について、ほかの部分も触れたいと思います。 
ロックバンドとの道中の描き方がまた最高なのです。 
実際、過去に起こったことのある事件や事故を織り交ぜながら、メンバーの確執を鮮やかに浮き上がらせていく。 
そして、そういったものを見事に笑い飛ばすコメディセンス! 観ていて気持ちがいいくらいです。  
そして、その笑いは決してバカにしたようなものではなく、 
この欠点だらけのロックバンドに対する、「ロック崇拝」とはまた別の「ダメ人間への愛情」が感じられます。 
そして、そういうバンド内での不満や確執やらの問題は、ラストの飛行機での大暴露大会に集約されていきます。
これが最高に面白いのです。 

■音楽の魅力 

ウィリアムはそれまで教育者の母の下、娯楽の要素が排除されたような環境で育ってきました。 
だからそれまでは、大好きなロックについても自分で聞き漁ったり、評論を書いてみたりと、 「自分」という枠の中に収まっていました。 
ですが、ペニーと出会い、未知の香りのする彼女と一緒にロックバンドと旅することは 、今まで知りえなかった世界に足を踏み入れることでした。 
そういう未知の世界への期待感を表現するのに、ロックという世界は最高。 
音楽という観客もそのまま感じられる媒体を通して伝えるので、ウィリアムと同じような期待感を持って、観ることができます。 
  
音楽は道中でも非常にいい味を出しています。 
言葉よりも音楽のほうが心に響くところをわかっている。 
それは、未知への期待感を表す時もそうだし、ペニーの魅力を表現するときもそう。 
その中でも、特に際立っているのが、バスの中での合唱シーンです。 
何とも言えない気持ちの温まる感じは、言葉によっては決して成し得なかったでしょう。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?