二人ぼっちの夜
学生生活がもう終わる。
正確に言えば、もう大学を卒業したから終わっているのだけど。サークルとバイト、ゼミを人並みに楽しみ、就職活動を頑張ったおかげで無事に春から社会人になる。
私の学生生活はそれなりによいものだった、と思う。
コロナ禍により華の大学1年生、2年生はオンライン授業で過ごし、あとの2年はゆるゆると大学に通った。できないことも多かったし、諦めることに慣れてしまったようにも思うけれど、鬱屈としながらその対価として大切なものを手に入れた。
「マカロニえんぴつ」が私の中で特別な存在になったのは、確実に、この4年があったからだ。
友人、家族に恵まれ、申し分ない環境で過ごしてきたはずなのになぜだかいつもちょっとさみしい。愛されているはずなのになんだかさみしい。
さみしいと思うことは、私を大切に思ってくれている人たちに失礼なんじゃないか。そんな風に思いながらも、これ以上なにが欲しくてこんなにもがいているのか、そのなにかがわかりたくて、何度も何度も無駄な夜更かしをした。
夜は、そんな「さみしさ」が、到底抱えきれない巨大な何物かになって重くのしかかり、私を不安の渦へと引き摺り込んだ。しーんとした冷たい空気は独りぼっちの心細さに拍車をかけ、「さみしさ」について考えれば考えるほど、本当にこの世界に独りでいるような気がした。そんな時に、私はよくマカロニえんぴつの曲を聴いた。
私の大好きな歌にこんな一節がある。
これは恋愛の歌で、文脈通りに解釈すれば異なる意味になるのかも知れない。でも、私にとっては夜を味方につける歌だ。皆が寝静まった夜。私だけが起きている夜。世界を独り占めした気になって、私を飲み込もうとしていた真っ暗な夜は私だけの居場所になった。
そして、この曲を作った人は、私と同じように「さみしさ」を抱えている気がした。私が渇望しているものがなんだかわからなくても、「自分のような人がこの世のどこかにいるのならそれだけで十分だ」マカロニえんぴつを聴くとそう思えた。
部屋に閉じこもり、マカロニえんぴつの曲を聴きながら、ただ自分と向き合った何十時間もの夜は、何にも代えられない誰にも邪魔されない私だけの時間だった。私には、必要な時間だった。
振り返ってみると、学生生活は膨大な時間があった。いろんなことができただろう。
ある人から見れば私のこの4年間は、限りなく薄っぺらいものかもしれない。だけれど、時間を持て余し、独りで悩みながら過ごした日々を、私は人生の財産だと思う。特別なものを手に入れることができた。
マカロニえんぴつの歌は、さみしくて優しい。
そんな憂いをもったこのバンドに、
私はこの先も要所要所で掬い上げられていくのだと思う。
私の人生、
こんな夜をあと何度過ごせるのだろう。
独りぼっちの夜はもう怖くない。
私は春から社会に出る。
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