VRCのカウンセリングなどに思うこと

まず、今回は見出しなどは設定せずにだらだらと書いていこうと思う。
またあくまで個人の意見・感想なので反論などは求めていません。共感すら求めていません。ただのアウトプットです。

VRCで悩み相談を受けることをかなり前からやっていると思うことがあります。
この人はきちんと専門の病院に通っているのだろうか。
ということです。
自己判断で自分の病気を診断(鬱、発達など)している人がちらほらと見受けられます。
そういう人は服薬療法もカウンセラーのカウンセリングを受けたことがなかったりします。
精神的なものは第三者の意見が必要です。本人や関係者ではなく、初見で話すなどして判断します。もちろん、一か所で診断に納得できなければ別な病院を受診する方がいいでしょう。

納得。ここが一番重要なことです。
どんな結果でも自分の中でそうだったのかと納得すると、自分はそう(病気など)だったからこうなんだ!と閃きのようになります。
これが実はよくない。非常によくないのです。

例えば医者にいわれたら素直に納得する人、しない人がでてくるでしょう。
「あなたは私を知らないからそういうんだ!」
と思う人も多いです。

そんな人が信じるのはだいたい友人です。
「○○さん(友人など)のいうことは大丈夫!信じれる!」

それ、なんでですかね?

正直なところ自分のところに相談を持ってくる人で上のようなことをいわれたことは沢山あります。
他県からわざわざ口コミで来た人もいますし、知人の知人から聞いたという人が信じれるっていってきたときはぞっとしました。

この人はすがる、もしくは責任転嫁の相手を求めている。
そう思えたからです。

自分が見てきたVRCの場合ですが、相手の都合を考えずに相談が始まることがあります。
会話の流れをぶったぎってまで始まります。フレプラ、フレオン関係ないです。
そしてログインの都合上深夜の時間帯がどうしても多くなります。

眠たい中で真剣に話すのはかなり苦痛です。
なぜ事前に頼まないのだろうか。

と、思いつつそもそもの話。
無償で求めることなのか?
という話です。

金の話というか、そういう相談を持ち掛ける人はだいたい、お金とるよ?というと、じゃあ、いいやといいます。

いいやって思うことをわざわざ他人の時間や、雰囲気をぶち壊してまでやっていたのはなんなんですか。

と感じることも多いので、最近の僕は極力相談を受けるのは避けています。特に無償はしません。
理由としては有償で相談をしてくる人もいるのに無償はよくないなと思うからです。
無論、簡単な話はしますけど、人生とか他人が関わることは基本的に無言で話を流します。興味ないとかではなく、聞くことはするけど答えることはしたくないなと思うからです。

それから、悩んでる人の大半が寝てないとかいう状態だったりするので、素直に睡眠を満たして、健康生活をしばらく過ごしてから相談するようにしてほしいです。

あと、優先順位がぐちゃぐちゃになっている人が多いです。
現実に居場所がないからVRに来た人や、現実で話す相手がいないからVRで話す人。そういった人にとっては現実との違いはないでしょう。

と、いうことはVRだって居場所がなくなることがあるということです。
そう思わないなら、心のどこかで自分以外はNPCだと思っているのではないでしょうか。

また、VRCのように性別、居住地、年齢が統一化されたわけではない場所で、所属もないような場所でどこかに所属を求めたりして、例えば界隈という言葉を使うことで孤独ではないと認識したり、何かしらのイベントを主催するなどもあるでしょう。

ちょっとした疑問があって、息つく暇あるのかな?と。
息抜きや現実逃避をしにきたのに、現実以上に心を苦しめている人もいます。

そういう人がはまっていくのが、VRCカウンセリングのようなものだと思います。
実際、VRCでカウンセリングをしている人もいます。有償だったり無償だったり様々ですが、ほぼ無資格です。
はっきりいえば、無資格の人にお金を払えるなら僕は病院に行きます。信用とかではなく、責任を追及できないからです。

自分の悩みが解決しようがしまいが、誰かに何かを伝えると責任が生じます。
例えばよくみかけるのが、仕事辞めるかどうかの話です。
まず、だいたいの人がいうのは辞めたら?という一言です。

いやいや、その人が辞めて仕事見つからなかったどうするの?と聞くと
「それは本人次第でしょう」
といわれます。

本気でいっているなら僕はそう発言した人から離れます。
無責任すぎないか?と思うのと、人の人生をそんな投げやりで決めていいのかと思うからです。
あと、僕に何かあってもこの人は真剣にはならないんだと思うと距離をおかしてもらいます。

「選ぶのは本人だから」
選ばせているの間違いではないのか?選択肢が一つしかないようにして選んだと錯覚させる。
詐欺のような話術です。自分の考えを相手に刷り込んでいるだけではないのだろうか。
それはカウンセリングではないだろう。

もちろん状況にもよります。メンタルが悪化していくだけなら転職をすすめるのは当然の話です。話を繰り返して、そこでその人が合う職種とか転職までの状況を見るならわかります。
ただ、辞めたら?で終わらすのはよくない。考えていない。何が原因かを聞く前に、嫌なら辞めたらで済ませるのは簡単ですから。

雑談の延長ならそういう返しもあるでしょうが、相談やカウンセリングをしているといって簡単に済ませる。
それで満足するならいいでしょう。なんでもそうですが満たされたら話は終わるはずです。

悩みがずっと続いていたり、虚無感が続くなどがある場合。
現実では治療が合っていないと変えます。投薬を変えたり中止したり、カウンセラーを変えたりと変化をします。
VRCの場合は同じ人に何度も同じ相談をしたり、別なとこで同じ話を繰り返します。
一過性でしかないものは、解決になることはありません。ニコチンとか麻薬のようにその場しのぎで、また苦しくなるだけです。

カウンセリング中毒のようになっている。僕はそう思います。
悩むほどのものでもないけど、暇や退屈だから。脳が刺激を求めているから。悩んでいる間は現実を見なくていいから。
色々な理由もありますがそういったもので中毒患者になります。

現実でもありますし、経験談として僕は占いをやっているのですが、二週間に一回来る人は多いなと判断しています。ほぼ中毒です。
一番来た人は週に三回を二か月です。完全に相談(話し相手)中毒です。愚痴を聞くだけで40分使われたこともあります。仕事なのでいいですが、仕事と割り切れなかったら嫌でした。

有償でもそういう人がいるのに、無償ならもっと酷い人がいてもおかしくないと思います。
毎日、人を変えて相談(悪口などを含む)している人がいても驚きません。

経験として出しましたが、占いなどは特に悩みを持った人が多いのは当然ですし、お金を払ってまで解決したいと思っているので人生に関わることも多いです。
結果、納得というか閃いた人がリピートするようになって、酷いと中毒になります。

冷静になるために、僕は五年先を考えるようにしています。
今、抱えている問題(人間関係の継続など)は五年先も存在するのか。

そこで五年先もあると確信できたら、そのときは嫌でも継続します。
五年先にはないと判断した場合、では三年後、一年後と区切って考えます。そして先がないと判断したら切り捨てます。

脳はスパコン以上に最強のシミュレーターなので、条件を足して計算させます。
状況が変化する度に再度計算し直します。

少なくても僕は数年続く苦しみというものがないので、平和に過ごしています。
たぶん平和に過ごしているから、相談を持ってくる人が多かったのかもしれませんが、今は無償を辞めたので振り回されることもほぼないです。
たまにありますが、だいたい今までの経験と比べるとはるかにましです。

さて、つらつらとアウトプットがてらに書いてきたこの記事もそろそろ終わりです。

結論というか、僕はVRCで真剣にカウンセリングなどをするのは反対、否定的です。相談する相手の素性すらわからないのに真剣に話すのはとても危険だと思うからです。何者かわからない人に人生を託したくありません。

相手が信用できないというのもありますが、裁判所で会えるのかを考えてしまうからです。裁判できない相手に真剣に話すのはとても無駄だなと思う。

この考えは実父の教育のせいだと思うのですが、あれです。
バッジつけてる人間って言葉でよく裁判起こされるので、裁判起こせる相手かどうかをみてたりします。

あと真剣にという言葉をつけていますが、判断材料の一つにするのはいいと思います。
ようは受け手が真に受けすぎないことです。
何でもそうですが、信じすぎもよくないので、ほどほどがいいでしょう。

以上最近色んな人が増えてきたので、自分の考えをまとめる記事を書こうと思って書いた記事でした。

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