みんなと一緒
あなたは
一人しかいないのです。
みんなに投げれるボールも
一回一つしかありません。
ですので
「 みんな 」に向かって投げると
それは方向を失います。
まれに雑踏で
行き場を失い転がるボールを
誰かが拾ってくれたりします。
あなたは
次のボールを
「 みんな 」に投げ様と必死で
拾ってくれた人に
気付かないのです。
「 みんなと一緒 」は
嬉しかったりします。
「 みんなと一緒 」でないと
不安だったりします。
でも・・・
心が「 みんなに 」奪われると
あなたは痛む肩で
投げ続けなければ
「 いけなく 」なるでしょう。
ボールを受け取った姿を見ても
喜びが湧かず
「 みんなが 」
「 みんなが 」
「 みんなが 」
ブツブツつぶやきながら
ボールをぶつけ傷つける。
私がみんなに伝えたいのはw
「 2人でするキャッチボール 」
実を云うと・・・
私も昔は、若い時がありましたw
小さなグループの中心を
2人で担っていました。
ある時、そのもう1人が
私に言いました。
「 みんなが悪い 」
まあ、軽く聞き流してたんですが
しつこく愚痴ってきたので。
私はタメ息をつき・・・
「 みんなが悪いと言いたいのは解った。
ところで聞くが、そのみんなにAさんはいる? 」
と、問いかけました。
彼は答えました。
「 Aさんは良い人なので違う 」
私は聞きました。
「 Bさんは? 」
彼は答えました。
「 いや、Bさんはよくやってくれてる 」
私はまた聞きました。
「 Cさん? 」
彼「 Cさんではない 」
・・・
しばらく、こんなやり取りが続き・・・
私は彼に言いました。
「 お前が悪いというのは、HさんとFさんだよね? みんなじゃないよな! 」
彼は
「 あっあ゛~っ、そうだな・・・ 」と
たしなめられ、納得せざる得なかった。
・
今が難しい時代になったのは
間違いないと思います。
というより簡単な時代なんて無いし
「 時代 」という括りも
「 みんな 」と一緒で
幻想に過ぎない?
「 現実的なみんな 」
例えば、雑踏で沢山の歩行者を見た時
そこにみんなが「見え・感じる」という
強度が高い。
ネットの場合
見えないし、体感できない。
「 記号のみんな 」です。
人間を偏った価値観に押し込める
誰かを利用する時に
「 みんな 」を使う場合があります。
「 みんなやってるから、あなたも! 」
この「 みんな 」に強制力が付き
過去に多くの争いが生まれました。
全体主義への警鐘を
民主主義という
みんなが行うんですが・・・
今は逆に
みんなの単位が記号で拡大し
豊かな国と戦争し勝っても
かえって自分の国が貧しくなる。
人類史で最も「 みんな 」がでっかい時代
見えないみんなです。
昔よく
都会の現実で云われたのが
沢山の人がひしめき合い
その中にいるのに・・・
ひとりぼっちという現象。
今は地方も過疎化で
地方でも独り
都会でも独り
ネットに見えない誰かが
世界の人口分も
ひしめき合ってる。
「 まとめ 」の範囲を大きくすると
細部の価値が下がります。
ですので
ネットやグローバル社会が発展するほど
友達100人とかが
過去は、まだ幻想レベルだったが
もう幻覚という人類の病になる。
ビックデーターで必要なのは
情報や記号に置き換えられる人間。
原発や環境問題がどうとか言う人から
ネットのインフラ維持・発展に掛かる
世界コストと環境への影響を
聞いたことがない。
・
この世界
人間にとって
生と死がある。
あらゆる現象に
人間にとって
生のポジティブと
死のネガティブがある。
戦後の焼け野原で
な~んも無くなって
大地震・事故・犯罪・病・寿命などで
家族や親しい人がいなくなって・・・
その繰り返しの中
「 みんなと一緒 」
に「 居たい 」という寂しさから
独り部屋に閉じこもり「居てしまう」
そういう今。
昔から当たり前の「みんな」と
今の「みんな」と
これからの「みんな」
「 それぞれみんな違う 」というのは
生き辛いというより
脳が認知・認識・処理しづらい。
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