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深海菊絵『ポリアモリー 複数の愛を生きる』

青空週末図書館「本の会」ではタブーがなくて嬉しい。どうやら自分は「性」や「死」(実は「お金」も)などの隠蔽された闇に踏み込んでいきたいようだ。無意識のコンプレックスや抑圧から解放されたいと思っているらしい。私は既存の家族観(国が推奨するような)に早々に挫折し、学校に勤めてからは既存の教育観(同上)になじめぬまま(何度も反抗と挫折を繰り返し)11年が経った。現在仕事を辞めてみてはっきりと、自分軸を持って生きようとすることは既存の社会(ムラ)からは反社会的な思想とされるのだとわかったが、なぜそのつど話しあったり考えたりしないのだろう? そういうつめたい社会は息苦しい。

やや遠きものに思ひし
テロリストの悲しき心も―
近づく日のあり。
(石川啄木『悲しき玩具』)

「ポリアモリー」とは、一夫一婦制の婚姻制度に囚われず複数のパートナーと「誠実」に愛の関係を築く「複数愛」という新しい家族(共同体)のかたちである。といっても性関係を第一目的とする「スワッピング」とは異なり、「オープン」「合意」「責任」「誠実」「自由」「協力」「コミュニケ―ション」「信頼」「尊敬」を肯定的にとらえ、感情的にも身体的にも深く関わり合う持続的な関係を目指す。
私は経験上、既存の結婚観は女性の地位をひどく貶めてくると折々感じてきたが、「ポリアモリー」は性に関係なく(実際、実践者には性的少数者も多いとのこと)対話を重視し、きわめて対等、双方向の関係、刻々と変化し、いちいち面倒で、思いやりのある「民主的」な関係を志向しているように思う。恋愛・婚姻関係ではないが、自分も今「ずぶの学校」の活動を通して、ひととの民主的な関係作りを模索しているので、枠組みを超えて、ひとりひとりが自分軸ですべての人間関係を「誠実」にとらえようとする試みに共感するし、そうありたいと願う。素のままで、ちからわざで社会にアプローチしていくひとはテロリストとみなされるのかもしれないが、一人間、一ムラびととして疑義を呈しつづけたい。


同書についてはこちらにも👇もやもやずぶちゃん「老後は今」http://zubunogakkou.hatenablog.com/entry/2019/03/13/184122


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