見出し画像

烏合の衆カルニバル0819_2018②

寺井氏が今回のイベントをしようと思い立ったのは、今年の春に一冊の俳句の本をもらったことがきっかけであった。

作者の娘さん(下写真)が、「寺井さんならわかってくださるのでは?」と思い、贈ったそうです。

寺井氏はこの本の俳句を眺めていて

「自分もやらなくては!」という激しい衝動に駆られたという。

表現が表現を生む。

ひとの表現が、自分の表現を引き出してくれる。

個性とは社会(環境)に引き出され、生かされも殺されもするものだ。

△MCタイム終了△


寺井氏「疲れたからもう終わってもいいけど…

個々で模索してもらってオールスターズでセッションみたいなんしよかな

終わり方がいまいち見えてないんですけど…

なんしか一回ウワーってなって終わろうと思って。

最後にピヨピヨに刻印を入れて

日めくりカレンダーならぬ、年足しカレンダーを持って帰ってもらって

家に貼って終わり!」

というざっくりした号令のもと、突如はじまる緊急家族会議(練習)

↑年足しカレンダー=ポスター(実はkkknfとは先生方のイニシャルなのです)

数分後……急遽開催される

△(親鳥とひな鳥による)家族対抗歌合戦!(?)△


1、【チームNakabon】カホン×1/マラカス×1/ぽうんドラム×1

聴衆のバードコールとともに。ずんずん、ずん、ずん、ずん、落ち着いたカホンのリズムで温かく見守る親鳥を囲んで、遊び心いっぱいで飛び回るひな鳥たち!


2、【チームKoiida】ビリンバウ×2/アゴゴ×1/パンデイロ×2

パンデイロとアゴゴ(銀色のかね)のタンタンタン、カンカンカンを伴奏に、暴れまわるビリンバウ!(は、釣り竿のようなかたちの、ひょうたんでできたブラジルの民族楽器)

(練習風景↓↓)


3、【チームKan】ピヨピヨ×2/カホン×1/パンデイロ×2/アゴゴ×1/踊り×1

ピヨピヨコールからはじまり、アゴゴ、パンデイロの順に登場。激しいかずこ’sダンシングと熱いKan'sカホンの夢の共演(再び)。ノリノリのイケイケ♪

4、【チームKato】ピヨピヨ×6/ウード×1/語り×1

一羽の小鳥の声からはじまり親鳥たちも呼応して鳴く。鳴き声が次第に大きくなり、ウードの音が小さくポン、ポンと聞こえる。先述の句集の著者、中永公子さん(右から二人目)が「木屑あふれる工房、音楽と連なって」という俳句を即興で朗読。森の中の工房にいるような気分に(海辺ですが)。


最後は、お待ちかね……!!

△親鳥先生たちのセッション!!△


もう言葉はいらないので、黙ります~

アンコール(ピヨピヨピーヨ)アンコール(ピヨピヨピーヨ)

①でも述べたが

寺井氏が「(このメンバーは)言葉を虚空に投げる人たちだ」といったのは

「表現者」としての自覚を持っているということだと思う。

筆者は、しろうとでも誰でも社会に生きている限りは

「表現者」としての自覚を持つこと、

つまり精神的に「自立」することを目指すべきだと考える。

誰かの表現(個性)に触れたとき、合わせようとしたり潰そうとしたりするのではなく、では自分はどう表現し、応答するのかが問われている。

表現には表現で返す。応えようとする姿勢を持つ。

筆者の最終目標である「言葉」のコミュニケーションにおいてもそうあるべきだと強く感じる。

応答は必ずしもそのひと個人に対してでなくてもよく

全体(虚空)に向かってでもよい。

オープンであればあるほど、リスクは高いが健康的だ。

ひとりひとりが自分の表現に責任を持ち

依存的・支配的な言葉でじゃれあうのではなく

自立的な・自発的な言葉を交換しあい、理解を深め

ある部分で共鳴し共存する。

それが自由で幸福で平和な社会へ向かう方法だと思う。


△刻印して帰宅△

アルファベットの刻印をボルトに入れて、帰る。

微細な違いに気が付く(違いを尊重する)社会がいい社会やと思う。

やっぱり違いが分かるほうがいい気がする。

このひとにはこんなことをしようか

あのひとにはあんなことをしようかってなるやん。

ボルトだって全部一緒っちゃ一緒なんやけど

違うっちゃ違う。

違う音や!って聴きとれるか否かは自分次第。

違いが明らかになるのは名前を入れるという行為によって。

だから名前をつけるのは大事。

(刻印のとき)「の」って入れたいって言われて

にやって笑ってしまった。

「の」ないし。

けど「の」が入れたくなるっていうことはすごく大事に思えるし

何をゆうてんねんと思いながら、やっぱりにこにこしてしまう。

「の」ないやん、見たらわかるやん、けどゆうんや

んな、なんかもう「の」用意したろか

一瞬まわり見て「の」って入れれる鋭利なもんないかとか探してしまう。

「そんなんできひん」てゆうてしまうんがすごい心苦しいから

なんかできひんかな

最後のマジックで「の」って書いたらってのは代替案で

「それはいや」って言われて一回断絶したけど。

でも提示はしたやん、「そんなんできひん」とはいうてないやん

そこまでいかへんこと多くないですか?

「こういうもんやから」って。

一応一瞬考えて探したし。

木にマジックで書くわけじゃない、ボルトに書くんやで。

もし「書く!」って言われたら、ぼくは書くんやろか?

とか考えながら…おもろかった。

(かずこさんに作った小さなステージにしても)

「絵かこかな~♪」って言われて

「いや、ぼくは嫌です~」って返したけど

そんな会話ができたらおもろいじゃないですか?

(寺井氏談、帰りの車の中で)


来年もやりたいそうです。呼びたい巨匠がいるそうです。

(来年につづく?)

①はコチラ↓


photo&movie by Mami Sakura/written by Misaki Yakamashi


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?