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烏合の衆カルニバル0819_2018①

2018年8月19日。

夏真っ盛りのわりに涼しい、秋の気配を感じる日曜日。

神戸にあるマルナカ工作所で行われた

「烏合の衆(うごうのしゅう)カルニバル」は謎の高次元イベントだった。

イベントというより「学校」といったほうがいいかもしれない。


主催は「パンデイロ」(タンバリンに似た楽器)などを作っている

sumikov(スミコフ)の寺井靖(Terai Yasushi)氏。

寺井氏の純粋な衝動、無垢な招集に応えて

集まった先生陣(ここでは「親鳥」と呼ばれる)が


◎アラブの「ウード」という楽器でプロ活動をしているKato Yoshiki氏

◎「ビリンバウ」という楽器を作りつつ、カポエラの先生をしている

Koiida Yoshifumi氏(右)


◎塾の先生しつつ和歌山で農業をしながら、パンデイロ(最近はマラカスも)でJAZZと向き合っているNakabon氏


◎ボストンで音楽の勉強をしながら、パーカッションの可能性を探求しているKan Yanabe氏


◎靴や船など神戸の産業に関わる機械の修繕、販売、マルナカ工作所の機械も見ている、修理しないといけない機械は「音」で判断しているというF:machine(Fuchigami)氏(左。右、寺井氏)

寺井氏の類まれなる人望がうかがえる。

氏いわく「(このメンバーは)何か大事な塊を既に身体に纏っている人達」
「言葉を虚空に投げる人達」
であるということだった。

「烏合の衆」といえば「寄せ集めの、役立たずな集団」という意味だが

集めるひとによって「規律や統制がない」ことがこんなにも魅力的になるとは。「役に立たない」ことがこんなにもひとに生気を与えるとは(生きる役に立ってる~)。

「自由」とは高度なものだ。

このイベントは単なる「音楽会」ではなかった。

行けば先生方の演奏が一方的にはじまるわけではない。

聴いて拍手して終わりでもない。

そういう従来の「型」は一切ないのだ。


△楽器を作る△

参加者(流れで「ひな鳥」ということになる)はまず、木の卵に穴を開けてボルトをねじり音を鳴らす「バードコール」という楽器(ここでは「ピヨピヨ」と呼ばれる)を作る。

ねじねじしながら、じわじわ鳴き始める(それを「孵化」というらしい)のを気長に待つ。

(すぐに鳴く子、なかなか鳴かない子、声の大きい子、小さい子、いろいろ個性があります。人間と同じ!)

「ぴよぴよ…」「ぴよぴよぴよ…」

気が付けば、会場内は人の笑い声と鳥の鳴き声にあふれている。

ひな鳥たちは、先生たちが見たことのない楽器を超絶技巧でさらっと演奏している様子を見て、次第にその楽器を触ってみたくなってきた……ところで

「親鳥を選んで(グループに)別れてください~」

との寺井氏の呼びかけに、ひな鳥たちはなんのことかよくわからないままに、なんとなくめぼしい親鳥に寄り集まる。


△しばし歓談・親子ふれあいタイム△

親鳥はとてもやさしい。

和気あいあいと会話をしながら、教わるともなく教わる。

見たことのない楽器に興味津々のひな鳥たち。

この時空間を作るにあたり、寺井氏はそこかしこに仕掛けをしていた。

一人ひとりを生かす仕掛け。遊び心のような。

かずこさん(下動画)は踊りを踊るのが大好きだが、寺井氏はかずこさんをより生かすため「小さなステージ」を制作。

大自然の中で踊っているイメージのあったかずこさんに

「(「仏像」のように)小さな枠の中で踊るとおもしろいんじゃないか?」と提案し、小型の舞台を作ったのだ。

また、かずこさんとKan氏の共演も夢見ていたそうで、それが叶ったシーンも片隅にあり…

どうやら会場では知らないところで同時多発的に事件が起こっていたようなのである。


△MCタイム△

「ぴゅっ」という指笛の音で会場は瞬時に静まり、寺井氏が話しはじめた。

親鳥は一人ずつ寺井氏に紹介されながらお話をしてくださり、ひな鳥たちは静かに傾聴する。

ブラジルのダンス・音楽的格闘技カポエラのグループでは副師範も務めているKoiida氏は言った。

「(今ヴァイオリン作りから学んでいること)これから「共鳴」がキーワードになると思う(あやしい意味じゃなくて…)。

たとえば、すごく個性が強いひとがいて、もうひとりすごく個性が強いひとがいたとして、お互いに隙間がなかったら全く話が合わない。

共鳴度の低いひとは孤立しちゃう。私はこうだというのが求められる世の中にはなっていくのだろうが、それだけではうまくいかないかなと思う。」

筆者はこのお話を聞いて、この場に集まったひとたち、特に先生陣は「共鳴度の高い」ひとたちだと感じた。

それぞれの個性はとてつもなく強いが、ぶつかることなく互いに相手を生かし尊重しながら調和していた。

相手の、周囲の音を聴いて、柔軟に変化しながら自分の音を奏でていた。

それが「社会性」というものだと思う。

社会性とは自分を無理に押し殺して周りに合わせることではなく、他人を合わせさせようと抑えることでもなく、今ある現状の中で自分はどうするか、自分に何ができるかを考えることだと思う。

自分や他人を否定し殺すのではなく

自分が一人で生き残ろうとするのでもなく

自分も他人も生かす道を模索しようとする意志が社会性ではないだろうか。

そういうひとびとを生かし、そういう社会に向かっていくためのリーダーが「先生」であり「親鳥」なのではないだろうか。

いいリーダーは「憧れ」によってひとを導く。

さらに今回の場(社会)における先生の先生が寺井氏であった。

時空を共有するにあたって、その前段階から一人一人と、そのひとそのひとに合った方法で、しっかり「共鳴」していた寺井氏の在り方は、リーダーのあるべき姿だと感じた。

多くのひとが集まった一つの場で一人一人の個性を生かすには、一人一人の声を聴き、共鳴する必要がある。

そもそも、何でこんなことをしているのか、何となく、わかりました。 

人と話をしたり、会いに行ったり、イベントをやってみようと思ったのも、人と共有がしたいからです。 どうも、僕は人と共有してはじめてわかる事を探しているみたいです。

共有して、何になるのか?

今までの経験だけでいうと、よりクリアな、鮮度の高い情報が集まってきました。全部、色んな形で返ってきました。今回もそういうことを望んでいるみたいです。(寺井氏談・事前のやりとりより)


共有、共感、共鳴、共存。

(②へつづく)

photo&movie by Mami Sakura/written by Misaki Yakamashi





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