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【雑記14】戦争責任者の問題 / 伊丹万作(1946)

伊丹万作(伊丹十三の父)の書かれたものを、
ふとしたきっかけで読んでみた。

このご時世で感じるところは、
人それぞれではあるが、
人が生きていく中で自分の人生に対して、
どれだけの責任と感謝を感じているのか。

それを考えるには、
良いきっかけになる気がしました。

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『戦争責任者の問題』より抜粋

初出:「映画春秋 創刊号」1946(昭和21)年8月

さて、多くの人が、
今度の戦争でだまされていたという。
みながみな口を揃えてだまされていたという。
私の知つている範囲ではおれがだましたのだと
いつた人間はまだ一人もいない。

ここらあたりから、
もうぼつぼつわからなくなつてくる。
多くの人は
だましたものとだまされたものとの区別は、
はつきりしていると思つているようであるが、
それが実は錯覚らしいのである。

たとえば、

民間のものは
軍や官にだまされたと思つているが、
軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、
上からだまされたというだろう。
上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうから
だまされたという
にきまつている。
すると、最後にはたつた
一人か二人の人間が残る勘定になるが、
いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で
一億の人間がだませるわけのものではない。


すなわち、だましていた人間の数は、
一般に考えられているよりもはるかに
多かつたにちがいない
のである。

しかもそれは、
「だまし」の専門家
「だまされ」の専門家とに
劃然と分れていたわけではなく、

いま、
一人の人間がだれかにだまされると、
次の瞬間には、もうその男が
別のだれかをつかまえてだますという
ようなことを際限なくくりかえしていたので、
つまり日本人全体が夢中になつて互に
だましたりだまされたりしていた
のだろうと思う。


このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、
新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、
さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつた
ような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的に
だます側に協力していたか
を思い出してみれば
直ぐにわかることである。

たとえば、最も手近な服装の問題にしても、
ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られない
ようなこつけいなことにしてしまつた
のは、
政府でも官庁でもなく、
むしろ国民自身だつた
のである。

私のような病人は、
ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを
持たずにすんだが、たまに外出するとき、
普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、
たちまち国賊を見つけたような
憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、
親愛なる同胞諸君であつた
ことを私は忘れない。

もともと、服装は、実用的要求に
幾分かの美的要求が結合したものであつて、
思想的表現ではない
のである。

しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて
唯一の思想的表現なりと勘違いした
か、
そうでなかつたら思想をカムフラージュする
最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用した
のであろう。

そしてたまたま
服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、
彼らは眉を逆立てて憤慨する
か、ないしは、
眉を逆立てる演技をして見せることによつて、
自分の立場の保鞏につとめていた
のであろう。

少なくとも戦争の期間をつうじて、
だれが一番直接に、
そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、
苦しめつづけたかということを考えるとき、

だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、
直ぐ近所の小商人の顔であり、
隣組長や町会長の顔であり、
あるいは郊外の百姓の顔であり、
あるいは区役所や郵便局や交通機関や
配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、
あるいは学校の先生であり、といつたように、
我々が日常的な生活を営むうえにおいて
いやでも接触しなければならない、
あらゆる身近な人々であつたということは
いつたい何を意味するのであろうか。

いうまでもなく、
これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、
国民同士が相互に苦しめ合うことなしには
生きて行けない状態に追い込まれて
しまつたためにほかならぬ
のである。

そして、もしも諸君が
この見解の正しさを承認するならば、

同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が
相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた
事実をも、等しく承認されるにちがいない
と思う。

しかし、それにもかかわらず、諸君は、
依然として自分だけは人をだまさなかつたと
信じているのではないか
と思う。

そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。

「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子に
うそをつかなかつたか」
と。

たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、
戦争中、一度もまちがつたことを我子に
教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。


いたいけな子供たちは何もいいはしないが、
もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、
彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず
戦争責任者に見えるにちがいない
のである。

もしも我々が、真に良心的に、
かつ厳粛に考えるならば、
戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

しかし、
このような考え方は戦争中にだました人間の
範囲を思考の中で実際の必要以上に
拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

ここで私はその疑いを解くかわりに、
だました人間の範囲を最少限にみつもつたら
どういう結果になるかを考えてみたい。


もちろんその場合は、
ごく少数の人間のために、非常に多数の人間が
だまされていた
ことになるわけであるが、

だまされたということは、
不正者による被害を意味するが、
しかしだまされたものは正しいとは、
古来いかなる辞書にも決して書いてはない
のである。

だまされたとさえいえば、
一切の責任から解放され、無条件で正義派に
なれるように勘ちがいしている人は、
もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

しかも、
だまされたもの必ずしも正しくないことを
指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、
「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」
ことを主張したいのである。

だまされるということはもちろん
知識の不足からもくるが、
半分は信念すなわち意志の薄弱からくる
のである。

我々は昔から
「不明を謝す」という一つの表現を持つている。

これは明らかに知能の不足を
罪と認める思想にほかならぬ。


つまり、
だまされるということもまた一つの罪であり、
昔から決していばつていいこととは、
されていない
のである。


つまりだますものだけでは戦争は起らない。

だますものとだまされるものとがそろわなければ
戦争は起らないということになると、
戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)
当然両方にあるものと考えるほかはない
のである。

また、もう一つ別の見方から考えると、
いくらだますものがいても
だれ一人だまされるものがなかつたとしたら

今度のような戦争は成り立たなかつたに
ちがいない
のである。

そしてだまされたものの罪は、
ただ単にだまされたという
事実そのものの中にあるのではなく、
あんなにも造作なくだまされる
ほど

批判力を失い、
思考力を失い、
信念を失い、

家畜的な盲従に
自己の一切をゆだねるように
なつてしまつていた国民全体の

文化的無気力、
無自覚、
無反省、
無責任


などが悪の本体なのである。


「だまされていた」という
一語の持つ便利な効果
におぼれて、
一切の責任から解放された気でいる
多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、
私は日本国民の将来に対して
暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

(中略)

「だまされていた」といつて
平気でいられる国民なら、
おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
いや、現在でもすでに別のうそによつて
だまされ始めているにちがいないのである。

一度だまされたら、二度とだまされまいとする
真剣な自己反省と努力がなければ
人間が進歩するわけはない

この意味から戦犯者の追求ということも
むろん重要ではあるが、
それ以上に現在の日本に必要なことは、
まず国民全体がだまされたということの
意味を本当に理解し、だまされるような
脆弱な自分というものを解剖し、分析し、
徹底的に自己を改造する努力を始めること
である。


心身の健康と調和をテーマに、“ベジ”を中心としたライフスタイルの提案に尽力します。