342杯目:【コラム】自分の時間って?

平日仕事をして、週末イベントのお手伝いやボランティアなどをしていると、他人からよく言われます。

『それじゃ、自分の時間がないんじゃないの?』

自分の時間?自分の時間って何?

敢えて言うなら、1年365日とか1日24時間って誰も自分の時間なんじゃないの?

そう斜めのことを言っても仕方ないですね。聞いている意味はわかりますf^_^;)

自分の中では特に自分の時間とか他人の時間とかのジャンル分けってないんですよね。すべて自分で考えて動いている時間だから。

なぜ、これは自分の時間とか、他人の時間とか区分けが出来てしまうのでしょうか?

それはやらされている時間があるからだと思います。そのやらされている時間が発生するかしないかと言うのは、それをしている行為ではなく、それに対するその人の考えによって、やらされている時間、すなわち他人の時間という時間が発生します。

例えば休日の日、洗濯物を干しといて!と奥様に頼まれたとします。洗濯物を干す行為に全く違いはないのですが、その人の受け取り方で、それが自分の時間なのか他人の時間なのか変わります。

『ユックリしようと思ったせっかくの休みの日に、何で自分が洗濯物を干さなくちゃならないんだよー!』って不満に思ったところから、洗濯物を干すというその時間は他人の時間になります。出てくるのは不満ばかりで面白くもなんともありません。

自分が頼まれて洗濯物を干す時、物干しに一つ一つ洗濯物を干していって物干しにちょうどの数で収まるか?とゲームをしながら干しています。洗濯機にどのくらいの洗濯物が入っているのか分からない状態で、一つ一つこの後に出てくる洗濯物の予想をしながら、物干しやハンガーに洗濯物を干していって、ぴったり物干し一つに収まった時なんて、『やった!!💪』って、めっちゃ嬉しいものですよ☺️こういうやり方してると、今日はピッタリ収まったから、良い日になる!と占いになったり、ピースをどのように使っていけばうまく行くか?と考えることによって、ジグソーパズルのような感じもあるし、コマを使って戦略を練るというゲームのような感じにもなり、それはそれは洗濯干しも楽しいものです。

傍目に見れば、洗濯物を干し終えたという行為としては全く同じ、洗濯物を干すのに要した時間も同じですが、干し終えた後のその人の満足感が全然違う。どちらにしても同じ時間を消費するのなら、後者の方が絶対自分のためにもなるし、場合によってはそこから学びにもなってるし、完全に洗濯干しは自分の時間ですよね。

他の家の人から、『旦那さん洗濯物干してくれるの?羨ましい、良いですね!』って言われるらしいけど、自分は手伝っているという認識はないし、なんなら洗濯干しで遊んでいるだけf^_^;


しかし、頼まれて洗濯物を干すというのを、そのように発想の転換をすることによって・・・というと、それはそれでストレスになったりするので、あくまでも遊びと考えて洗濯物干しをやると、やっているうちに占いやパズルや戦略ゲームや・・・他のゲームになるかもしれない。意外と洗濯物干しも楽しいもんですよ。

これは一つの例に過ぎませんが、自分はそういう考え方なので、自分の時間とか他人の時間とかの括りはないのです。


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貴重なお時間の中、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 駄文ながら一生懸命書かせていただいていますので、またいらしてください。