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19杯目:負担って…悪いもの?

負担の意味は、大辞林第三版によると

① 背に負ったり、肩に担いだりすること。また、その荷物など。 「上に数千鈞の重量ある枝葉を-しながら/日本風景論 重昂」
② 仕事や義務・責任などを引き受けること。また、その仕事・義務など。 「費用は親が-してくれた」
③ 能力以上に課せられた仕事や責任。重荷。 「仕事が相当な-となる」

だそうです。


この3つの意味の中で、負担という言葉がよく使われる場面は③番のような気がします。

負担をなくす。

負担を軽くする。

何か負担という言葉自体が、現代では悪い言葉のような使われ方が多いのではないでしょうか!?

その③番の意味での、自分の考える負担を書いてみたいと思います。


負担って、あると本当に悪いものなんでしょうか?

人間が成長していく上で、負担って必要なものではないかと自分は思っています。


最近は、自分の生活環境の中でも、

負担を少なくするために

又は

負担をなくすために、

これをやめましょう!とか、これを減らしましょう!

と、いうことをよく聞きます。

改善しなくてはならないものは、

修正していけば良いことだと思うのですが、

やたらと『負担になるから!』という言葉が強すぎるような気がするのです。

社会から、先生と呼ばれる職業の人も、このフレーズを使うとウケが良いので、

すぐに、負担にならないような方向に物事がいきやすい。


果たして、負担を少なくして、又は、負担がなくなるようにして、

そうしたことによって生まれた時間は何に変わるのでしょう?

その分、有意義な時間に変わるのなら良いと思いますが、

大部分の人が、そういう時間に変換できてるとは思えない。

ただ自分が楽をするための言い分なのではないかと。

あなたが主張する負担は、本当に能力以上に課せられた仕事や責任なのですか?


ことわざに

可愛い子には旅をさせろ!


艱難汝を玉にす


などあります。

負担を軽くするとか、負担をなくすとか思考だったら、

ない、ことわざですね。

どちらのことわざも、負担(苦労)をかけることが目的ではなく、

その先に人としての成長がある。ということを言っています。


行き過ぎない負担ならアリだと自分は思います。

人に相談されてアドバイスする時、


無理しすぎない程度に、無理して頑張ってください!


って、自分はよく言います。


#負担 #負担をなくす #負担を軽くする #苦労






貴重なお時間の中、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 駄文ながら一生懸命書かせていただいていますので、またいらしてください。