眠れない夜に思い出す『 原発性無月経』① 勝手に喋る

小さい頃は何となく、大人になると誰かと出会って、結婚して、子供が出来て、お母さんとお父さんになるんだと思っていた。
自分には父親と母親がいて、祖母がいて、祖父は他界していたけど存在は知っていて。
友人には父がいない、母がいない子もいたけど、今現在一緒にいないというだけで、この世の中にいる誰にも父親と母親が存在しているのは当たり前だった。

高校…2年生くらいかな?自分の身体は母親になれる可能性がすごく低いことを知った。
その頃別に好きな人がいた訳でもなく、恋人がいた訳でもなく、周りの友達も同じような子ばかりでただ毎日キャッキャと過ごしていた。
友達にも何かの拍子にポロっとこの事を漏らした気もするけどきっと誰も覚えていないだろうし、深刻に捉えてもいなかったと思う。自分含めて。

高校卒業して、恋をして、初めて彼氏ができた時にやっと、『 胸が異様に小さいのヤダな』と思った。ここで真剣に婦人科に通うようになった。我ながらアホな理由たと思った。今。

婦人科で検査してから3年程放置していた。
診断されてから通院したい、と私が言い出すまで母はどう思っていたんだろうか。
通院したいと伝えてすぐに近くの大きな病院(車で片道2時間くらい)の予約なんか手配してくれたからきっとヤキモキしながら待っていたんじゃないかと思う。
『 行かないの?』って言ってくれたり、勝手に予約して連れてってくれたっていいじゃん。って思った事もあるけど、いくら娘とはいえ言い出しにくいよな…そうだよな…。

ソコで、血液検査だのCTだのMRIだの内部エコー撮ってみたり色々と検査をして投薬治療を開始。
色々と調べた結果、結局何もわからず、原因不明。
『 あんなに色々したのに何も分かんないんかい!』位にしか思わなかった。
何回かの通院の帰りの車内で『 お母さんが悪かったのかな。ごめんね。』と言われた時に、初めは何を謝られたのかわからなかった。
その日の夜寝る前に母の言葉を思い出してグルグル悩んだ。
自分が思っているより、きっと何倍も何十倍も母は苦しんでいるんだろう。
娘が普通じゃないのは自分が原因だとおもっているんだろうか?
私が普通じゃないのはお母さんのせいだ!と思ってると思われてるんだろうか?
私が落ち込むわけにはいかない。母には自分を責めて欲しくない。明るく居なければいけない。

私は気にしていない。子供なんて産めなくてもいい。私は気にしていない。生理なんて無い方が楽だ。私は気にしていない。みんなめんどくさいっていうじゃん、生理なんて来ない方がいいって言うじゃん。むしろラッキーじゃん。

病院には1人で行くようになった。
今までみんなが『女医さんが良いだろう 』って気を回してくれてわざわざ隣の県の病院まで行ってたのをめんどくさいし、別に全く気にして無かったので、初めに検査した病院に戻した。
そこの先生とは毎回なんだかんだ喧嘩してた。『 君は欠陥品なんだから、薬の力がないとまともに機能しない。幸せな結婚とかは望めないんだからそのつもりでね!』みたいな事を言われ続けてて嫌いだった。(今思えばなんで通ってたんだ。喧嘩する前に転院しろよ。あほなのかな?)あと顔も大嫌いだった。
引越しが決まり、紹介状を書いてもらいそれ以降会わなくなった。

25歳の時に友人に呼ばれて上京した。
ここで私は負けてしまった。
わざわざ大嫌いな奴にお金まで払って紹介状書いてもらったのに病院がありすぎて決められなくて、めんどくさくなってしまったのだった。そこからめんどくさいに勝つ感情が生まれず5年も放置してしまった。アホすぎワロタ。
30になった頃、長続きしそうな彼氏が出来て、やっと『 あ!病院!』。いや、遅いて。
5年の間に何度か婦人科を探してはいたけど結婚も出産も自分の中での優先度が低すぎて本腰を入れて探すまでは至らなかった。めんどくさいって感情強すぎ。最強。

なんだかトントン拍子で同棲が決まり、引越しした。
付き合ってすぐに結婚を匂わされたのでピシャっと『 子供産めない!(だから別れるならいまだぞ!)』って伝えたけど『 え?うん?それが?え?なに?』みたいな反応だった。ぶっちゃけコイツアホなのかな?って思った。

この数年前に従姉妹が婚約した。
彼氏は年下で、1度だけ会ったけどイケメンで優しそうな人だった。順調そうだったけど、そんな時に従姉妹が病気になった。乳癌だった。
泣きながら別れて欲しいって従姉妹が言うと、病気になったからって別れない。一緒に乗り越えよう。って言ってくれたらしく。幸せそうだった。が、突然
『 ママがそんな人と結婚しても大変なだけだからダメだって(意訳)』と言われて別れた。
その話を聞いてその場にいた全員が『 え?カスやん。ママのせいにすな』って思ったに違いない。全員やべぇ顔してた。

だから、今は『 子供が欲しくて付き合ってるわけじゃないし、そんな簡単に結婚の話もしてない』って言ってるこいつもいざとなるとどっか行っちゃうんだろうなー。って思っていた。
そもそも結婚願望がほぼなかった。無かったのか諦めてたのかは今でも分からない。ただ、結婚って単語が出る度に興味が無い、自信が無い、と返してた記憶がある。
別れることになったらそれはそれでいいや。しょうがないな。って予防線をはっていた。
それでももしかしたら、また治療開始したら、ひょっとして…とアホな淡い期待を抱いて引っ越した家の近所の婦人科に行ってみた。
『 5年間も何してたの?』
『 お薬始めてもちゃんと生理くるか分からないよ!』
『 しゃんとしなさい!大人なんだから!』
『 子供はまず諦めた方がいい!』
厳しかった。めちゃくちゃ厳しかった。
キリッとした女医さんがもうとにかくめちゃくちゃ厳しかった。
診察室でめちゃくちゃ怒られた。
後でGoogleのクチコミ見たら嘘みたいな低評価のオンパレードで清々しいくらいだった。
〝患者に寄り添うという言葉を知った方がいい〟
〝人の気持ちが分からない医師!〟
とか書かれてて散々だった、けど、
私は怒られてる間、おっしゃる通り!左様で!ぐうの音も出ない!ひょー!ですよねー!って思ってた。
もしかして、ひょっとして、あるいは…、をバッキバキに壊して貰えてむしろスッキリした気がした。
Googleのクチコミを五つ星で書いておいた。
〝いつでも優しくそっと寄り添ってくれる先生が希望ならやめた方がいい。私はハッキリ真実を突きつけてくる先生が大好きです〟

ピル治療を初めて、5年ぶりに生理が来た。
子宮いきてたー!
先生に生理きましたーって伝えたら前回と別人か?ってくらいニッコニコで『 良かった!えらかったねー!子宮ー!』だって。
そんなダイレクトに内臓褒めます?
それから3年弱、叱られたり(体調管理)褒められたり(内臓)叱られたり(性格)しながらお世話になってたけど、
ついに本気で結婚が見えてきて、そうなってくるとやっぱり『子供』が気になってくるのだ。

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