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神田伯山新春連続読み『畔倉重四郎』2024 3日目

3日目。『畔倉重四郎』としては2日目。
伯山先生は朝から一度東京に戻りラジオ収録をされたそうで、それでも案外喉の調子が悪くないとのことで、会場が拍手に包まれた。
客席の照明は0%にされ、そこで怒涛の殺しの場面を観ることに。

金兵衛殺し

畔倉は三五郎と入った賭場で大負けし、その後その賭場の貸元である鎌倉屋金兵衛を、賭場帰りを狙って殺す。さらに売上金を奪い、直前に借りておいた三五郎の名入りの扇子を倒れた金兵衛の傍に置いて逃げる。
最初の殺しよりも断然、随分と簡単な動機で人を殺してしまう畔倉。畔倉のそういう怖さを感じさせる一席と感じた。しかし今こうして書きながら思い返して気づいたのは、金兵衛殺しにあたっては畔倉の「負かされて腹が立った」などの動機が一切語られていなかったことだ。上に「随分と簡単な動機で」と書いたはいいものの、実際は何も語られていない。つまり聴き手の想像にすぎない。もしかしたらここに解釈の余地があるのではないか……と考えてしまうのは、大学で文学研究を鍛えられたがゆえの性だろうか。例えば、ただ三五郎を自分の支配下に駒として置くためだけの金兵衛殺しかもしれぬなどと想像が膨らむわけだ。
ともかくその後も、金兵衛殺しをしたと打ち明け匿ってもらった知り合いの坊主をも、真相を知る人を消すためにと簡単に殺してしまう。少なくとも、人殺しに躊躇がないというか抵抗がないというか。そういう畔倉の性分が充分に見えてくる一席だと思う。

栗橋の焼き場殺し

この一話の中だけで4人もの人が畔倉の手にかかる。
倒れる金兵衛の横に落ちていた三五郎の扇子を拾い、三五郎を追っていた金兵衛の手下3人。畔倉は三五郎殺しに協力するフリをしてその3人を殺める。3人の死骸を焼かせた焼き場の弥十も口封じのために殺し、見様見真似で焼いてしまう。
死骸を焼き、残った骨を砕いて近くの川に流してしまう度に、川を眺めて「なあ、あいつら一体どこに行っちまったんだろうな」と人の命の儚さに感じ入る様子の畔倉。三五郎はその度に「お前が殺したんじゃねえか」と答えるが、個人的には、そんな答えは野暮だと言わんばかりの畔倉の思考になんとなく寄り添ってしまっていた。ただ、自分で容赦なく殺しまくっておいて命の儚さに感じ入る畔倉の怖さも同時に感じずにはいられない。

大黒屋婿入り

畔倉が旅籠屋兼遊女屋の後妻おときと仲睦まじくなり、婿入りし二代目大黒屋重兵衛と名を変え、堅気として暮らすことになる。おもしろいのは、畔倉は人殺しをするほど人の気持ちが手に取るようにわかるようになっているということ。
伯山先生はここで「成績の良い営業マンは人嫌いが多いらしい」という話をしていた。ああ、と納得した。営業マンなら、人嫌いだからこそ躊躇なく人を口説いて商品やサービスを売りつけることが出来るのかもしれない。畔倉は人殺しを抜かりなく遂行するために、人の感情や行動に敏感になり人間観察に優れるようになったのかもしれない。自分の仕事、バス運転士だってそうだ。お客さんから褒められるような人は、実は人嫌いで人間観察好きだったりする。逆に根っからの人好きは、悪い客の存在に触れた時に簡単に折れてしまいがちだ。人嫌いの方が一歩引いて人間を見るから、人間観察には優れる。人は嫌いだが観察対象としては好き、なんて人もいたりする。こういうことはよくあることだ。……というのは完全に持論だが。
話が逸れたが、そんなわけで真人間として生活していた畔倉は、ある日、自分の宿に泊まっている悪党の存在にすぐに気づき、その悪党を逃がすふりをして外に連れ出し殺す。そして腕が鈍っていないことを確認した。いやいや、腕を確かめるためにあっさり人を殺すなよ。そう言いたくなるが、やはり畔倉の本性は変わらない、というのがよく分かる場面だった。

三五郎の再会

畔倉は、偶然三五郎を助ける形になり、二人は再会する。三五郎を腹違いの兄ということにして援助をするが、三五郎は相変わらず博打をし、金を使い果たして畔倉に金の無心をするばかり。ここで感じたのは、言い方は悪いが、悪い奴でも“頭が良くて悪い奴”と“頭が悪くて悪い奴”では、向かう境遇が全然違うということ。かつては“兄弟分”として一緒に博打をしていたはずの二人が、ここで出会ってみると立場に随分の差が出ている。
次の話のタイトルが「三五郎殺し」なので、聴き手としては展開が分かりきっているところを伯山先生は上手く翌日が楽しみになるように持っていくわけだが、とにかく展開としては三五郎は殺されるわけだ。なぜ殺されるかはこの話でわかる。三五郎が畔倉に金の無心を続けるから。
三五郎は畔倉の悪党っぷりをすっかり忘れているのだろうか?もっと前の段階では「いつか俺も殺されそうだ」なんて言っているのだが、どこか兄弟分であるという間柄を信じきっていたのだろう。自分は安全圏にいると思っているから付け上がったのだろう。人殺しをする畔倉が悪いのは大前提なのだが、そこに用心をしないどころか付け込みに行く三五郎もなかなか間抜けだと言って差し支えないのではないか。

会場配布パンフレットより


「今日何人殺すんだろ、数えとこ」と思っていた最初。ところが終わった頃には「6人だったよな……?7人いたか?あれ?」と数えた人数に自信がなくなる始末。そのくらいあっさりと殺していくのが畔倉重四郎だからかもしれない。怖い怖い。
この日の話はなかなかに盛り上がったのか、終演時間が遅めだった。自宅との距離が通うにはそれなりに遠い自分は、最終前のバスに間に合わないことが確定し最終のバスを待って乗ることに。それでも正直ここまで濃密な、講談に浸る時間を過ごせるなら文句はない。なんなら最終バスの待ち時間で少し飲むという楽しみ方もできた。帰れなくなるのでさえなければ、こういうのも悪くないだろう。



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