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神田伯山新春連続読み『畔倉重四郎』2024 5日目

さて、5日目だ。楽しい6日間に終わりが見えて寂しいような気がしてくる。
私自身は連続読みで毎日栄に通うことになったおかげで、4日目から5日目の間は名古屋に泊まり観光を楽しもうということになった。名古屋は地元で、今も頻繁に訪れるが、だからこそ観光というものをしていない。だから連続読みを機に名古屋を観光地として楽しんだ。行き先は名古屋城。一昨年の『寛永宮本武蔵伝』連続読みの際、伯山先生が名古屋城に訪れた話をマクラでしていたのを思い出したので初めて行ってみた。雨だったが、おかげで人が多すぎない中で楽しめて良かった。この機会に感謝。

三方一両損+ここまでの畔倉ダイジェスト

今日は『畔倉重四郎』の話は三席のみとなっているため、大岡越前守が出てくる楽しい話ということで三方一両損を読み、さらに昨日までの『畔倉重四郎』をダイジェストでおさらいして一席となった。東京公演では前座が一席読んだとのこと。
三方一両損のマクラとして江戸っ子の気質が語られた。伯山先生が生粋の江戸っ子気質な人物として挙げたのが柳亭小痴楽師匠。個人的にもかねてよりその空気を感じていたので「ああ、やはり江戸っ子気質なのか」と納得。そしたらいろんなエピソードが出てきて、もう“落語噺の主人公小痴楽”でしかない有り様にゲラゲラ笑った。生まれながらに落語に浸っているとそうなるものだろうか(反語のつもり)。
三方一両損は、客電(客席の照明)60%で会場が笑いに包まれた。登場人物が揃いも揃って江戸っ子。そこで起きた“お金の押し付け合い”を大岡越前守が裁く。冷静にこの話を聴いてしまって思うのは、何で大岡越前守まで一両損してるの?ということだったりする。でも自分も一両出すことで丸く収まる裁きを出すだなんて、頭も切れるし人も良い。暗い『畔倉重四郎』の合間に一度ガラッと空気を変え、全く違う姿の大岡越前守を見られたのはなかなか良かった。大岡越前守という人間への理解を深めて本題に戻れる効果もあったと思う。
昨日までの『畔倉重四郎』ダイジェストは、一日券で初めて来場の方向けでありながら通し券の人達の復習にもなるように、というものだった。今後の伏線になる部分もおそらく不足なく押さえられており、伯山先生の編集力が冴え渡っていた。思えば、私はこうして感想を翌日アウトプットする作業を繰り返しているから話の流れをかなり記憶しているが、これがなければ連続で聴いていても記憶が曖昧になってしまうものかもしれない。
5日目はこんな調子で始まり、その後連続で二席を読み、中入りを経てもう一席ということになる。

おふみ重四郎白洲の対決

ついに大岡越前守に取り調べを受けることになる畔倉。あることないことを混ぜ、好き放題の主張をする畔倉には、聴き手も腹立たしさを覚えるほどだ。関係者にとってみれば腹立たしいでは済まないに決まっている。城富の心情いかばかりか。そして今までずっと好評価をしていたはずのおふみを狂女と言い張った畔倉は、証拠の品を出せと大岡越前守に言う。まだ証拠の品が出ていないので大岡越前守は困ってしまう。
ここまで聴いて、証拠の品はともかくも証言の信憑性をもっと強めることはできるのに、と思った。何で強めるかといえば、城富がおふみに、父の名を事前に伝えていなかったことでだ。おふみは、三五郎から聞いた畔倉の悪行の数々を城富に話し、「最初の殺しが穀屋平兵衛で、杉戸屋富右衛門に罪をなすり付けた」とまで話したところで初めて、城富の父が杉戸屋富右衛門であると知る。決して城富の父の名を先に知っていて話したのではない。つまり、おふみは城富に捏造話をする理由がない。そんな話が出てきても良かったのではないかと思う。無論、それがあったところで態度を変える畔倉ではないが。

白石の働き

畔倉に「証拠の品を出せ」と言われて「証拠がない、どうする……!」というところで前の話が終わり、一度下がってまた出てきた伯山先生が話し始めるのはどこぞの新入り乞食の話。いつになく笑いどころが多くおもしろい場面だ。しかし、実は新入り乞食は本当は乞食ではなく、大岡越前守の部下の白石治右衛門。扮装して乞食のやり方を教えてくれた乞食の六から、見事に三五郎殺しの証言を得る。六の情報から三五郎らしき人物が弔われた寺がわかり、寺に保管してあったその人物の持ち物を見ると見事に“三五郎さんへ”と書かれた手紙が入っている。
白石の執念と、何より運がすごい!という感想を抱いていたところ、中入りに入るなり、隣の席の老夫婦と思しき2人組が「何でその乞食が情報を持っているとわかったんだろう?」「そもそも何でその場所で乞食に変装情報を得られると思ったんだろう?」「三五郎さんへって手紙を書いたのは誰?」「おふみじゃなかったっけ?」などと話し合っているのが聞こえた。え、事前に変死体が上がった場所の調べなどはしていたかもしれないけど、基本は全部運じゃないの?三五郎に手紙を書いた人物が明かされることなんてあったっけ?いろいろ疑問を持って推測するのは良いと思うし楽しいことだけど、手紙を書いた相手がおふみというのはどこから導き出されたんだ?と、頭の中が「?」でいっぱいになった。

奇妙院登場

牢屋の中では重い犯罪を犯してきた人ほど立場が偉くなる。だから畔倉がいる牢屋では畔倉が最も偉くなっていて……というところから話が始まる。え、待って。牢屋の中では畔倉は全て自供したということ?それとも牢屋の中にも裁きの噂が入るのか?だとしたら正確には問われる罪状で立場が決まるということか?……この辺はよく分からない。
でもとにかく畔倉の言うことにはその牢屋の囚人は誰も逆らえないらしい。その牢屋に入ってきたのが奇妙院という名前の老人。軽い罪状を名乗って牢屋に入った奇妙院を、実はもっと重い罪を犯していて、しかも欲と忍耐のある男と畔倉は見抜いていた。このあたりはさすが、悪人に鼻の利く畔倉だ。ではどんな罪を犯したのか、と奇妙院が語る直前でこの物語は終わる。講談話の術中にハマり、見事に次の話が楽しみになっている。が、ダレ場だとも聞くので、それもそれでまた楽しみだ。

会場配布パンフレットより

今回の連続読みは毎日座席を替わりながら聴いているので、その日ごとに隣人がどんな人になるのか次第で話への没頭度がやや変わる節がある。(6日間ずっと大変な思いをする人が出る可能性を考えたら、毎日座席を替えるシステムは良いのではないかと思う。)
昨日の隣人は両側ともクセが強かった。右隣はその右が通路だったので、通路の方にグッと身体を傾けて初めはうつらうつらとした様子だった。こちらとしては身体が当たる心配がないのは楽だが、その調子で隣で聴き続けられたらしんどいなと感じた。そして伯山先生が出入りする間の拍手が始まると、その人も体勢を変えずに拍手を始めるのだが、拍手をし続けるのは面倒らしく「パチパチパチ……パチパチパチパチ……パチパチ」と結構大きな音で断続的に拍手する。なんじゃこの人はと思っていたら、笑うところは楽しく笑っていた。良い人じゃんと認識を変えることとなった。
左隣は先にも書いた老夫婦らしき2人組。開演前に私がスマホを落としてしまい、その2人のうち隣にいた人の脚に当たったかもしれなかったので「すみません、当たりませんでしたか?大丈夫でした?」と聞くと冷たくそっけなく「ええ、ええ。」という返事。まあ悪いのは自分だし急に声をかけられて返答に窮したのかもしれないと自分を納得させていたが、その後も座っていると腕が肘掛を超えてくるので狭い。仕方がないのでこちらも肘掛けより手前までは遠慮なく腕を持っていった。それでも引っ込まないどころか、ようやく引っ込んだと思ったら目の前の空席にもたれ掛かるようにして見始める。何なんだ……!と少し腹が立ちそうになっては引っ込めようとしていると、中入りの時にもう1人が「席変わろうか?見えないでしょ」と言う。なるほどそういう事情があったのか。しかしそれへの返答は「この席ぜんっぜん見えない。ぜんっぜん。本当に見えないよ?」だった。隣の自分から見る限り、視界を遮っている前方の人の頭がどれかは察した。しかしそれは自分から見ても釈台を隠す程度の高さ。隣の人の視点はもう若干高い。ストレスにはなるだろうが、それを「ぜんっぜん」と強調するのか? おまけに「(頭が)動くの。動くのよ」と文句を言っている。ストレスになるのはわかる。わかるけど、でもその頭の主も人間だもの!そりゃ動くよ!
ちょっとこちらもストレス溜まってきた、と感じたが、結局その2人は話し合いの末、座席を入れ替わった。入れ替わって隣に来た人はごく普通そうに観ていて、特にストレスを感じることもなかった。その人にとってはストレスがあったかもしれないが、その人のように黙って見るしかないものだと個人的には思う。毎日変わる座席だと己を納得させながら。見えなくて文句を言いたくなっても、それを普通に話すか後で好き放題言うのかでいいのであって、その場でイヤミのように言うことはないじゃないか、と思う。
まあ結局は右隣の人の気持ちの良い笑い声で気持ちも晴れたし、後から左隣に変わってきた人も終始穏やかな人だったので良かったかな。まさか隣の人の話だけでこんなに書くとは思わなかった。次はいよいよ千秋楽。楽しみなような寂しいような気持ちで会場へと向かう。


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