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事例Ⅳと私

 私にとっての事例Ⅳとは、愚かなる自分自身との対峙であった――。

 ここから先で開陳されるのは、受験生に向けたお役立ち情報など皆無な、三十代独身男による目も当てられない自分語りである。


発症

 2021年3月。
 知人と酒を飲んでいるときに、どういう経緯かは忘れたが、ふと「中小企業診断士でもとろうかな~」という言葉が自分の口から出ていた。その時点で中小企業診断士について私が知っていることはほとんどなく、大学の同級生が忘年会で「診断士とったよ」と報告するのを聞いたり、前職の別フロアの部署の人が持っているらしいということを小耳に挟んだりした程度である。どっかで聞いたことのある、ちょっと難しそうな資格。実際の診断士が何を成しているかなんてつゆほども知らない。とっさに口から出たその言葉は、これまでも時折発症していた「なんか資格でも取ろうかな」シンドロームの発作に過ぎなかった。
 そして2021年4月のある日、会社から帰宅すると、自宅の郵便受けの中に不在票が入っていた。指示どおり宅配ボックスを開けたところ、そこには確かに小包が入れられていた。身に覚えはなかったが、間違いなくAmazonから私宛に発送されたものである。訝しみながら中身を開けると、そこには「中小企業診断士最速合格のためのスピードテキスト」と題された書籍。
 買ったのか? 自分が?
 記憶を辿ってみると、「なんか資格でも取ろうかな」シンドロームの発作に襲われた帰り道、中小企業診断士のテキストをAmazonのほしい物リストに入れていたことを思い出した。そしてその日とは別に、記憶があやふやになるほど酩酊した夜が一日だけあることも思い出した。おそらくその晩、酔った勢いでポチってしまったものと考えられる。
 なんかよくわからない資格だけど、まあテキスト届いちゃったし、やってみるか。
 かくして、熱意や志など微塵もない状態で、私の中小企業診断士受験生活は始まった。

違算

 一年目は二日目の暗記三兄弟、二年目は一日目の四科目と、二年に分けて一次試験を通過した後、本格的に二次試験対策を開始した。本来であれば二年目は一次試験の科目が少ないのだから、もっと早い段階で二次試験の対策を始めておくべきだったのだが、冬季五輪観戦やら転居やらといろいろ言い訳を連ねて、結局一次試験終了後にしか二次試験対策に手をつけない体たらくであった。これは私の怠惰な性分の発露とも言えるし、その時点での診断士試験への熱量の乏しさの証左とも言えよう(今から考えれば初年度から玉砕覚悟でも七科目受けるべきであった。受験するすべての科目で60点を死守するより、そちらの方がよほど安全策である)。
 各方面からの情報収集ののち、私が立てた作戦は次のようなものであった。

「事例Ⅰ~Ⅲをトントンくらいで折り返し、事例Ⅳで60点+αを稼いで合格する」

 結果的にこの作戦は半分叶い、半分叶わなかった。Ⅰ~Ⅲはほぼトントンで折り返せたものの、頼みの綱の事例Ⅳは50点だった。

 ではなぜ結果的に叶わず終わるような作戦を立てたのか。理由は単純、自分は事例Ⅳが得意だと錯覚していたからである。
 それなりの根拠はあった。社会人になってからずっと経理や経営企画の仕事をしてきたので、財務会計に関するある程度の知識は有していた。
 また、文系学部出身だが大学受験では数学が最も得意で、自身の計算能力に対するコンプレックスもなかった(話は逸れるが、一部で見られる「事例Ⅳは数学か否か」論争に関して、私は「事例Ⅳは文系の数学のごとし」との感想を持っている)。
 そして、令和四年度一次試験の財務会計は92点だった。
 まだ事例Ⅳというものの正体を見切っていなかった令和四年夏の時点では、これらの事実は「自分は事例Ⅳを得意にしている」と誤認させるのに充分だった。
 実際に、二次試験の勉強を始めてからも、9月に受けた令和四年秋のTAC模試の事例Ⅳが91点だったり、過去問演習でどれだけ計算をしくじってもふぞろい採点で60点は切らなかったりと、自ら立てた作戦に対する懐疑の念を抱く機会は、不運なことに訪れなかった。問題文を見たときに、「めんどくさいなあ」と思うことはあっても、「解き方自体がわからない」「何をすればいいのかわからない」という状況に陥ることはほとんどなかった。事例Ⅳよりも他の科目、特に事例Ⅲなどの方がよほど意味不明だったため、あまり事例Ⅳに構っていられなかったのである。

 しかし、今から考えれば、気づくチャンスは存在したはずだった。わかっているはずの問題で計算ミスを犯して答えが合わないという瞬間は、幾度となく訪れていたのだ。ハインリッヒの法則という概念を知っており、実際自らの事例Ⅳの答案上で起きている数々のヒヤリハットを認識していたにもかかわらず、それでもなお私はその現場を素通りしていた。なぜなら「自分は事例Ⅳが得意だから」。わかってるんやから、できるやろ。典型的な労働災害の発生事例である。

 結局そのまま張り子状の自信だけを抱えて試験会場に赴き、そして「生産性」で頭が真っ白になった。セールスミックスの2問目で、事例Ⅳで初めて「解き方がわからない」という状況を味わった。
 冷静に振り返れば、方程式を立て、グラフを描けば、充分に対応できるはずの問題だった。大学受験のときにこの手の問題は何度も解いてきていた。それでも、試験本番の熱に浮かされた状態では、そんな若かりし頃の記憶など遥か彼方に飛び去っていて、おぼろげに見えるそれらへつながる糸を手繰り寄せようにも、両手は汗にまみれて滑りつづけ、ただただ砂嵐が目の前を吹きすさぶのみであった(連立方程式を立てようとしていた痕跡は、手汗が乾いて硬くなった問題用紙に残されている)。
 終わった瞬間には「問題が難化した」としか考えられなかったが、しかし予備校による再現答案の再現サービスの結果、そして本番の点数(50点)を見るに、自らの相対的な位置を嫌でも思い知らされた。
 私は、事例Ⅳが得意な受験生ではなかった。
 できもしない科目を自分の得意科目だと誤認したこと。これこそが私の犯した最大の計算間違いだったのである。

佐助

 二年目の受験に向けて再度出直すにあたって、改めて自らの勉強方法や結果を振り返ったところ、やはり事例Ⅳに対する取り組み方は根本的に見直す必要があるように思われた。端的に、一年目の私は「わかって」いたのかもしれないが、「できて」いなかったのである。
 「わかる」と「できる」の間には海溝のごとき深い深い断絶がある。「わかって」さえいればそれで済む試験なのであれば、公認会計士や税理士の受験生はほぼ全員が満点である。しかし、読者諸賢の認識のとおり、現実はそうではない。むしろ、受験生生活を終えた今誤解を恐れずに言うならば、仮に「わかって」いなかったとしても、事例Ⅳは「できて」しまう可能性すらあるのではないかと感じている。
 逆に、一次試験の財務会計は「わかって」しまえばある程度得点に結びつくであろう。計算間違いがあっても回答が選択肢になければそこで気づくし、問題量に比して明らかに試験時間が不足する設計ではないため、時間に追い立てられることも少ない。そういう面においても、一次試験の財務会計と二次試験の事例Ⅳは、題材を一にしつつも似て非なるものであると言えよう。両者が受験生に求める能力はまるでかけ離れているのである。
 正しい答えを解答用紙に置いてくるまでの過程に、越えなければいけない関門がいくつもある。スタート地点に立ち、ゴールまでの道順や身のこなし方が「わかる」ことはその第一段階に過ぎず、正しく問題文を読み取って情報を整理し、遺漏なき計算を行い、計算結果を求められた形式で解答用紙に転記し、反り立っている数々の壁を乗り越え、ゴールに置かれたボタンを制限時間内に押してはじめて「できる」のである。
 しかし、それらの壁の存在を把握したうえで問題を解いても、なかなか答えが合うことはない。泥水は容赦なく私を吞み込むばかりであった。得意なはずなのに。わかっているはずなのに。いくら嘆いたところで、自らの解答を覆う赤いバツ印の前では虚しいだけだった。

愚者

 しかし、嘆いているだけでは何も始まらない。二年目の二次試験に向け、歩み出す必要があった。その第一歩目として、私は事例Ⅳを得意科目として扱うことを辞めた。愚者としての処世術である。
 そうなるとおのずと、難易度がそう高くないと仄聞し一年目の受験では手を出さなかった(なぜなら「事例Ⅳが得意だから」)、TACの「事例Ⅳの解き方」や「30日完成」に取り組むことになった。二年目の私は事例Ⅳが得意ではないのだから当然である。

 これらの問題集を基礎から取り組みなおすことで理解が深まったのはもちろん、やはり「わかる」と「できる」のギャップの存在をこれでもかと痛感させられた。
 単純な計算ミス、売上総利益と営業利益を見間違える、最終年度の在庫の在り高を足し忘れる、千円単位で答えるべきところを百万円単位で答えるなど、ありとあらゆるミスのオンパレードで、ほとほと自分に嫌気が差した。
 自分なりにミスが起きる原因を突き止め、策を講じてはいたが、あまりその効果は感じられなかった。そこで、藁をもつかむ思いで手を伸ばしたのがこの書籍だった。

 大学受験の数学を題材に、ケアレスミスをなくすための具体的な手法が数多く紹介されている。題材こそ違えど、事例Ⅳ対策にも応用できる部分が多分にあった。
 詳細な説明は割愛するものの、数多く紹介されているミス対策の手法のうち、私は「置き手紙」などの手法を取り入れた。対策のレパートリーを増やすのに有用で、「〇〇という問題点があることを認識しているが、具体的な対策をどうすればいいのかわからない」という方にはぜひとも薦めたい。私の二年目の事例Ⅳは、30日完成とこの書籍によって形成されたと言っても過言ではない。

 そして、私は戒め帳を作成した。世の中ではミスノートと呼ばれる帳面である。先に紹介した書籍では「ミスらんノート」と表現されていた。
 後で振り返るために、演習時にはあえて消しゴムを使わないことにしていた(これも書籍の影響)が、赤ペンで問題の所在を突き止めた後は、ある程度一般化して戒め帳に蓄積する。iPadで作成していたので、ある程度溜まった段階で順番を入れ替え、分野別の構成とした。
 試験直前期にはこの戒め帳を何度も読み返し、自らが間違えやすいポイントを自分自身に戒めた。

 戒め帳をつけ、対策を充実させていくとともに、対策として行う作業はどうしても増える。それを面倒だと感じている自分に気づいた。面倒であっても必要なことだからやる、というアプローチも当然あろうが、私は元来、冷奴に醤油をかけることすらも面倒だと感じるほどの大ものぐさである。面倒さを引き受けている自分の姿は想像しにくかった。
 であれば、面倒でない形にすればよいと考えた。途中式をメモにしっかりと残すうえで、「営業利益」と書くのが面倒だから「OP」と書くことにした。「変動費」「固定費」と書くのが面倒だから「VC」「AC」と書くことにした。「原価」と書くのが面倒だから「げ」と書くことにした。「限界利益」と書くのが面倒だから「げ」と書こうと思ったが、原価と重複するので「限」と書くことにした。「損益分岐点」は「BEP」と書いた。
 メモ用紙には、計算を行う前に、各行のタイトルをつけるがごとく、VC、VC率、限率、AC、BEPと縦に記載していく。やるべきことをまず一覧化してから、上から順番に計算を行っていった。途中で何を計算していたのかを忘れることはなくなった。

 しかし、対策しても対策しても新たなミスは噴出してくる。ただ、事例Ⅳの関連書籍で、ミスへの対策を具体的に記載しているものは少なかった。そのため、私は先の書籍に加えて、「ミス対策」を外に求めた。
 世の中で特にミスが許されない職業というものがいくつかある。公共交通機関の運転手・車掌、医師・看護師・薬剤師など、人命に関わる仕事がその典型である。街中で見かける彼らがヒューマンエラーを防ぐために何を行っているかを観察した。
 たとえば電車の車掌はホームや線路の安全を確認するために指を差している。薬剤師は正しい薬が用意できているか、薬を準備した者とは別の者によってダブルチェックをしている。これらをヒューマンエラー製造機である自らの事例Ⅳにも応用できないかと考えた。
 指差しはすぐに実行した。財務諸表を見て電卓に入力する際、計算用紙から解答用紙に転記をする際、意識して左人差し指を置くようにした。実際は声を出した方がより効果的らしいのだが、物理的な発声はできないので口の中で唱えることとする。
 別の人間によるダブルチェックは試験中には行えないが、疑似的に別人格を演じながらチェックを行うこととする。見直した答案の横に自分とは違う苗字のシャチハタを捺すイメージである。かつて勤務先に監査に来ていた具体的な公認会計士を思い出し、その人を演じた。

放射

 心持の話である。勉強や模試を通じて、だいもんじではなくかえんほうしゃを撃たなければならないとの戒めを得るに至った。
 だいもんじは威力120命中85に対し、かえんほうしゃは威力95命中100である。ポケモン対戦環境において、確実に当たったところで相手に耐えられてしまいがちなかえんほうしゃが選ばれることはほとんどないが、事例Ⅳにおいては「当たればいい」。つまり端からだいもんじなど覚える技の中には入れてはいけない。事例Ⅳでだいもんじを当てないと勝てない状況に、事例Ⅲ終了段階で追い込まれていてはいけない。
 一年目の私は自らを事例Ⅳ強者だと錯覚していたので、計算問題の奥の奥の奥まで正解することを自らに課していた。序盤の検算もそこそこに、まどろっこしい設問文をこねくり回し、多くを外し、たまに当てては悦に入っていた。
 各方面での分析結果を見るに、各問題の後半の設問よりも前半の設問の方が重要度が高く、それらを確実に正答することが必要なのはほぼ明らかだった。前半を手厚くケアするためにはどのような順番で解くのがよいのか、試行錯誤した結果、次のような形に落ち着いた。
 経営分析と文章問題を30分で終わらせたあと、第2問の設問1を解く。そのまま設問2には行かず、第3問の設問1を解く。それが終われば、もう一度第2問の設問1を見直す。合っているのを確認して、設問2以降を解く。もし詰まったらその時点で第3問に移動する。第3問も設問1をやり直してから後半に行く。明らかに解けない問題は放置し、パトロールよろしく全体の見直しを何度も行う。
 この順番で解くようになって、点数が安定するようになったのを実感していた。

竜王

 もうひとつ心持の話をする。事例Ⅳにはバハムートが出現するという事実との向き合い方である。ここでいうバハムートとはファイナルファンタジーⅢに出現するそれを指している。
 ファイナルファンタジーⅢのバハムートは、あるとき突然主人公を山の上にある巣に連れ帰ってしまう。その巣には先客としてデッシュというお助けキャラクターがいたわけだが、デッシュは主人公に「(バハムートと)まともに戦っても勝ち目はねえ! 絶対逃げるんだ! 逃げるんだ! 逃げるんだ!!」との助言を授ける。直後にバハムートとの戦闘に移行するが、ゲームとしてはデッシュの言いつけどおり逃げなければいけない、通称「負けイベント」である。ここで登場するバハムートには、多少レベルを上げたり武器を揃えたりしたところで絶対に勝つことができない。「とか言いながら、実際は勝てるんでしょ?」と一部の捻くれ者は考えるかもしれない。しかし、勝てない。たまに撃破するさまがYouTube等に上がっているが、それらはいわゆる「チート」であり、通常プレイで勝つことはできない。別にバハムートでなくともFF5のものまねしゴゴで構わぬ。とにかく、事例Ⅳにはまともに戦ってはいけない敵が出現し、負けイベントが発生するのである。
 事例Ⅳにはバハムートが登場する。具体的には、NPVの最後の問題などは、まともに取り組んでいたらとても時間が足りなくなるバハムートであることが多い。バハムートと戦ってはいけない。かえんほうしゃでは倒せないと思われるバハムートを見かけたら「バハムートだ」と指差し、即刻逃走する。
 とはいえ、まっさらな答案は何も生み出さない。私はひとりで途中式向上委員会を立ち上げ、過去のふぞろいを参照しつつ、途中式に何を書けば部分点をむしりとれるのかを検証した。その結果、最低でも減価償却費とそれに伴うタックスシールドだけは書き捨てることとした。これを私は「煙玉作戦」と名づけた。

星野

 対策方法を実行することが苦手だった。反省をもとに対策を立案しても、次の問題演習時に対策そのものを忘れてしまうことが多々あった。ここまで読んで、他人を演じるだの煙玉作戦だのふざけてんのかと思われた向きもあろうが、多少ふざけてでも自分の印象に残さないと実行できなかったのが実態である。
 経営分析の問題で財務指標を計算する際、漏れなく確実に必要な要素を把握するために、これもまた忘れ得ぬ方法、自分の趣味嗜好と関連する方法なら、着実に実行できるのではないかと考えた。一部には(また替え歌か)と思われるだろうか、そういう性分であるから仕方がない。題材は星野源の「アイデア」の冒頭である。

お はよう よのなか ゆめを つれて くりかえ したゆ めには せいかつの めろでぃ

うっ たな ゆうこ たんかり ちょうかり 自己資本 粗利 OP 営業外 利息

 このメロディに乗せて、売上債権、棚卸資産、有形固定資産、短期借入金、長期借入金、自己資本、売上総利益(粗利)、営業利益(OP)、営業外損益、支払利息を確認した。ここで見るのは競合他社or前年実績と比較して著しく大きいか小さいか。この段階で指摘する指標の目星をつけてから、与件文と照合して答え合わせをする感覚であった。
 試験開始の合図とともにホッチキスの芯を外し、全体で何問あり、それぞれがどの分野なのかを把握する。それが終わった瞬間に「アイデア」のイントロを脳内に流し始める。星野源が歌い始めると同時に、私は財務諸表の数値を確認していく。
 一種のルーティンとしての役割も果たしていたのか、落ち着いて経営分析に取り組めるようになった感覚があった。

検算

「事例Ⅰ~Ⅲはすべて60点超を目指し、事例Ⅳは80点以上を狙わない」

 二年目に立てた作戦はこれだった。
 だいもんじは撃たない。かえんほうしゃを撃つ。バハムートを見たら煙玉だけを投げて逃走する。己の闘争心をしっかりとなだめる。ホッチキスを外したら全体を把握して、星野源を再生する。

 二次試験の日がだんだん近づいていっても、不思議と緊張感は湧いていなかった。一年目はそわそわと浮き足立つ感じがあったが、今回は落ち着いている。事例Ⅰ~Ⅲも含めて「うまくできるだろうか」との不安はあったものの、積み重ねてきた自負もあった。
 その代わり、前々日くらいから食事を受けつけなくなっていた。今から思えば、頭で認識できていなかった緊張感を、身体が肩代わりしていたのかもしれない。試験が終わってからもしばらくは固形物を食べられない日々が続いた。
 一年目の受験の前日は睡眠がぶつぶつと分断され、あまりぐっすり眠れた感じがしなかったが、二年目は近所のサウナで交代浴を三回ほど繰り返したのち、マッサージ(健全)で全身をほぐしてもらったおかげか、しっかりと睡眠をとることはできた。
 そして試験当日の朝、タクシーで悠々と会場入りし、席に着く。見知った顔が何人かいたが、あくまで試験に集中した。
 ただ、胃腸の調子が悪い中、最低限脳へ栄養を送るべく口にしたゼリーがよくなかったのか、事例Ⅲの最中に胃がむかむかと暴れはじめ、脂汗が止まらなくなった。意識すら飛びそうな状況だったが、しかし、こんなところで終わるわけにはいかなかった。気合と根性でなんとか三途の川を渡らずに済んだ。私を現世に留めたのは、気合と根性以外の何物でもなかった。
 事例Ⅲまでの感触は悪くなかった。ちゃんと戦えているのではないかと思った。そして事例Ⅳの試験が始まった。
 試験開始の合図とともに問題用紙のホッチキスを外す。第1問、経営指標である、って生産性出えへんのんかーい、とずっこけそうになったが、そのままルーティンを進める。第2問、CVPである。第3問、NPVである。第4問、記述である。おおよそ例年通りの構成。ここで星野源「アイデア」のイントロがスタートする。うったなゆうこたんかりちょうかりじこしほんあらりおーぴーえいぎょうがいりそく。第2問の設問1、これは30日完成で変動費率と限界利益率を間違えたことを思い出した。同じ轍は決して踏まぬ。そして第3問の設問1に進み、答えを出した。第2問の設問1に戻り、先ほどの検算をしていると、転記ミスをしていることに気づいた。背筋に冷たい電流が走るのを感じながら式を修正し、再度頭から検算を行う。大丈夫だ、こういう事態を想定して解く順番を決めてきたじゃないか、次に進む。第2問をすべて片づける。第3問の設問1の検算。合っている。設問2を見る。投資評価の問題だ。設問文のうち解答に使いそうな要素に丸印をつける。設問3を見る。おや、これはこれはバハムートさんじゃありませんか。こんにちは、そしてさようなら。予定どおり煙玉作戦で減価償却費の算出式だけを解答用紙に投げつけて、バハムートの巣を早々に後にする。残り時間は第1問から第3問までをぐるぐると何度も検算し、ぬかりないパトロールに勤しんだ。
 試験終了の合図でペンを置いた瞬間に込み上げてきたのは「やりきった」という言葉であった。「準備してきたことを最後まで出し切れた」という微かな感動であった。私は試験対策において数々の愚行を積み重ねてきたが、その屍から新しい緑が芽吹いたのではないかと思った。「みんなの死は無駄じゃなかったのね」と漂流教室最終巻さながらの気分である。結果が伴っているか否か、その時点ではもちろん知る由もない。しかし、大阪アカデミアから中ふ頭駅まで続く受験生たちの波に流され、全身を脱力感に覆われて半ば呆然としながら、胸の内では熾火のごとき達成感が確かに熱を放っていたのである。

自摸

 令和五年度の事例Ⅳは76点だった。令和四年度の50点に比較して+26点。悪くない結果である。計算問題はNPV最後のバハムート以外合っていたはずなのでもう少し上積みしたかったという思いがないではない。ただ、合格さえしていればそれで構わないのだから、結果には満足している。

続く日々の道の先を塞ぐ影にアイデアを

 自らの進む先を塞ぐ影を払うのはアイデア、つまり自らの思考でしかない。自分の頭で考えることを諦めてはいけない。

 誰が何をどう使おうがその者の自由でしかないし口出しするつもりも権利もないが、私個人に限って言えば、他者を押し退けて資格を得た以上、何らかの形で活用したいと思うし、何らかの形で世の中に還元したいと考えている。二月三月で実務補習と実務従事を終えて書類を出し、あとは登録を待つのみである。
 試験が終わった後は急に忙しくなるとの諸先輩方からの言葉はまことその通りで、初めてだらけの取り組みに四苦八苦しながら、しかし新鮮で充実した日々を過ごしている。

 思い返してみれば、大企業の総合職として就職し、たまたま配属された経理部で働いていた若い頃、経理の仕事が嫌で嫌で仕方なかった。こんなにもつまらない営みが世の中にあるのかと愕然としていた。こんなこと誰にでもできるし、多少できたところで意味があるのかとすら思っていた。
 しかし、私は今でも会計の仕事をしている。それも好き好んで。明確に意識が変化したタイミングは特に覚えていないが、あの頃あんなにも忌み嫌っていたものが、今の自分を助けてくれているのは事実だ。試験だけでなく、仕事や診断士活動においても。皮肉なことである。人間万事塞翁が馬とはこのことである。「お前はこれを活かして生きろよ」と、事例Ⅳは私に教えてくれたような気がしている。

 中小企業診断士試験の受験生活を振り返ってみて改めて感じるのは、「一年目で受かるチャンスをみすみす逃してしまった」という悔恨である。そのつもりで受けていたのだから、一年目で受かってしまって、その後の経験を早く積むに越したことはないと、今でも考えることがある。
 しかし、およそ人間の進む道などというものは、配牌と自摸の中でどうにかするしかないのである。であるならば、つかみ損ねた牌を惜しんで嘆いたり、向かいの人間の手牌を羨ましがったりする虚しい時間など捨ててしまって、自模った牌の中でいかに楽しむかを考えた方がよい。幸い私の場合、失った牌も魅力的に見えたが、一年の浪人生活で得た牌もなかなかどうして魅力的であった。知識、経験、自分の強みの再認識、人とのつながり、心の準備をする時間、自らの大いなる愚かさを知ったこと、その愚かさに向かい合った小さな自負。それらの牌を抱えて、はい、おっぱっぴー。

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