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神になりたい私

ある方が自分のことについて語っているのを見て、(面白い)と思ったので私も少し何か語ってみたくなりました。

私には野望とかないです。
だからドール服についての思いを書いてみようと思います。

ドール服を作るようになったのは、スーパードルフィーにはまった友人の影響でいろんなサイトを見ている中でtonner社のタイニーベッツィーマッコールに出会ったのが始まりです。
大人になって初めて手に入れたドールに憧れの既製服を着せてあげたかったのですが、ベッツィーはコレクティブルドールで、既製服も希少かつお値段が高くとても買う気になれませんでした。
そこで、半ばしょうがなく作り始めました。ところが、作り始めると色違いや自分の好きな柄で服が作れるということに気が付きました。それからは夢中で自分の欲しいものを作りました。別に裁縫は得意でも好きでもなかったのですが、意外と作れるものです。絵を描くのは子供の頃から大好きでずっと描いていましたが、その当時(2003年)はデザイン画が描けなくて…今はなぜか割と描けるようになりました。多分抽象化が上手くなったのだと思います。

話がドール服からずれました。
私はそんなに技能がないので難しい服は作れません。だから、ないなりに自分の理想像にできる限りよせる努力をしています。それから、なるべく簡単に可愛くできる方法がないかすごく考えます。手をかけた分だけいいものができる、とは思っていません。
料理と一緒で、いい材料があってその活かし方をよく理解していれば簡単(手順が少なく)でも素敵なものができます。
もちろん、素晴らしい技能を持った方の芸術的な作品を否定する訳ではありません。
ただ、私は自分でそういうものを作る気はありません。
それと、いいものを作るためには、いいものを見ることが大切だと考えています。映画や雑誌、漫画や絵本など。
例えばロードオブザリングやケイト・グリーナウェイの絵本、中原淳一のデザイン画などです。ビアズリーの図録、ロバート・メイプルソープの写真集、ジャンルー・シーフの写真集も。
第1級の人の作品に満ちた緊張感に触れると思わず背筋が伸びます。
自分の好きを突き詰めることが大事なような気がします。

お店で生地や素材を見ていて、どうしても手放し難い品々をとりあえず買って帰り何年も置いておきます。ある時、この生地にあのリボンはどうだろうなどと閃き雷に打たれたようにピタリとはまったなんてこともありました。また、使い道はわからないけど絶対買わなくてはならないと感じる素材もあります。家でドールに絡めて(コレダ!)と全ての事柄を脇に置いて出来上がったドレスもありました。
自分の目から摂取した美がどんな形で現れてくるのか、直前までわからないなんて不思議ですが私の場合はこんな感じです。

特に野望もなく、気ままにやっています。縛りはせいぜい自分が欲しくてたまらないものを作るということくらいです。
ただ、その欲しくてたまらないという気持ちには全力で正直なので、自分の無意識化にあるものが思わぬ形で出来上がってきた時のカタルシスがすごいです。
この全能感を味わうために続けているのかもしれません。

書いているうちに気が付きましたが、私は神になってるんですね。創造主という意味で。多分誰でもなれると思う。粘土をこねて何かを作り上げるのでもいい。

一枚の絵、一行の詩、一節の歌

全ては自分の意志から始まる


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