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誰かのきっかけになれることは嬉しいこと

4年ほど前になるのですが僕はバンドをしていた時がありました

その頃はひたすらにライブをしたいという気持ちしかない状態で出れるライブは片っ端から出ていました

多い時には週3本でライブをした時もありました

地方のバンドではインディーズバンドで年間30本ほどでもライブをするのは多い方だと言われているくらいで僕もそれくらいの数のライブをして、近い県ではありますが遠征ライブもしたことがありました

最近僕がバンドをしていた頃のライブ音源をふと聴くことがありました

ライブ音源なので市販されているような綺麗なライブ音源の音質のものでは無く本当にライブといったような音源です

しかし写真でも映像でもない「当時の音」という泥臭く荒々しい日々の記録は4年という時を経て聴いてみると色々感じることがありました

●4年前の僕と今の僕が音楽を続けて嬉しいと感じる瞬間が同じだった

ライブ音源の中で僕が言っていたことの一つに

「誰かに一歩踏み出すきっかけを与えられることができたら嬉しい」

振り返ってみれば当時の僕には誰かに何かを表現することができるものとしてはバンドしかなかったからこそ

数少ないライブにきてくれる人たちだけでもいいから感じて欲しかったことなのかもしれない

平凡なごく普通の大学生活から始まり音楽は18歳から始めて楽譜、もちろん音符すら読めない、ギターも全く弾けないところからスタートし

4年後にはオリジナル曲を作って自主制作ではあるけれどデモCDを作って実際にライブハウスでライブをしていた

当時の僕からしたら平凡な大学生活から刺激的で充実した生活に変わった

だからこそ誰かの変わるきっかけが自分から発信するものだったら嬉しいのかもしれない

●きっかけを待っている人も多いのかもしれない

きっかけは待つよりも自分から作りに行く方が早いと考えていますが

きっかけを待っている人も多いと感じています

変わろうにも何かが邪魔をしたり、偏見やプライドが変われない理由になっていたりすると思うのですが

きっかけを待ってそうだなと感じる人には自分から声をかけたり

自分の作品で誰かのきっかけになれたら嬉しいなと感じます

そして変わることができた人は生活の可能性が広がるわけなのでそこから前向きに行動さえできていければ

もしかしたら何かの形でまた携わることができるかもしれないのです

馴れ合いではなく本当にその人を想った答えを出すことで自分を頼ってくれるかもしれない

自分を頼ってくれる人が増えることで同時に自分に力を貸してくれる人の可能性も増えるということです

そう考えれば誰かに変わるきっかけを与えることはメリットの方が多いのだと思います

●終わりに

見返りばかりを求めると誰かにきっかけを与えるというのは長続きはしません

あくまでもきっかけ作りは自分が容易にできる範囲内であるべきですしサービスという考えが一番賢いと思います

自分がしていて楽しいと思うことが大事ですし僕の場合は音楽なので意識せずにサービスであり武器を持つことができていると考えます

今はDTMで音楽を続けていますがきっと自分がこの世を去る時以外は音楽を続けることは終わらないのだと感じています

というわけで今日はこの辺で!

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