季節が止まった生活を送ってきた20代

先週、とあるきっかけでFacebookを見ることがあった

Facebookは僕の中ではTHE リア充が使うSNSとして考えていてTLに並ぶのは結婚報告だの、新しく仕事を始めただの、そういったものばかりだ

苗字が変わっている人も多く、20代で子供がいる人がフォロワーの中にたくさんいる

「あー、あの人、今こんなことしてるんだ」っとついつぶやいてしまいそうになる

FacebookのTLに眩しさを感じるくらいだ

まるで自分だけ時間が止まっていた状態を浦島太郎状態と呼ぶのだろうけどもまさにそんな感じ

俺の20代は世間で一般的にすることはせずにひたすらに自分の好きなことに熱中して明日を迎えることの繰り返し

世間一般的な20代男性をしなかったことに喪失感のようなものはあるけども劣等感と悔いはない

これは好きなことに時間とお金をがっつり使って好き放題してきた20代の時間に後悔がないからそう感じるのだと思う

だから僕の場合は時間が止まっていたというよりは季節が止まっていたという感覚の方が近い

季節が止まった日々の中でいわゆる一般的な大人たちからは散々な言葉をぶつけられてきた

「休日は家に篭ってPCの前にずっと座ってどうやら曲を作っているらしい」
「お金にもならないような曲を作ってはろくに貯金もしない、結婚もしない、仕事も出世をするわけでもない。まるで失敗作だ」

こういったことを親にも言われたことがある

休日は何をしているのか?と聞かれて「PCで曲を作っています」と答えると鼻で笑われたことが22歳の新卒サラリーマンの僕にあったことは今でもはっきりと覚えている

しかし、そんな時でも「お前らよりも濃い時間を過ごしている」とは素直にずっと思ってきた

服なんてものは着れりゃいい、基本夏服と冬服で数パターンしかない

車も移動手段として最低限の乗れりゃいい、特にこだわりもないからワゴンRで十分

彼女は3年に1人いるかどうかのレベルだ。女性に対しての興味がなくなったなんてことはないが執着心が薄れてしまった

当然、今の生活においても結婚のけの字もない

こういったことに表面上のものだけを見た世間一般的な大人から「悲惨な20代を送ってきたのだな」という反応を取られることの方が多い

振り返って見れば周囲の目や期待を無視して生きているし、生活に季節感なんてまるでない

季節は春夏秋冬を巡って1年が経過する。季節が変わろうが気温が暑くなったな、寒くなったくらいしか思わないから季節が止まった状態なのだとも言える

でも時間が経過していることは自分との戦いを日夜繰り返してきたつもりではあるからそれは感じる

むしろ時間の感じ方を考えて、早く感じる時と遅く感じる時は自分の中でどういった状態にあるのかを考察したこともある

だから時間が止まった浦島太郎状態ではなく、季節が止まった浦島太郎状態なのだ

しかし季節が止まっていたと自覚できることは良いことだと僕は思う

それだけエネルギーを注ぐ先があったということもであるし、充実した時間を自分なりに感じて生きている

自覚できるくらいに視野が広がって余裕が出てきたということだからもう少しだけ季節を感じながら生活を彩っていければもっと面白くなるかもしれない

こういったことを最近では思うことが増えた

自分の中での季節を止められたほどの武器を持っているならばこれからの30代に向けて良いおっさんになっていけるんじゃないかと思う

だから次は季節ではなく何が止まるのだろうか

そういったワクワクに近い何かを持ちながら20代後半を楽しんでいく



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