手段としてのお金なのか目的がお金なのか

ここ最近、SNSを見るとやたらめったら起業!とかフリーランス!という言葉を目にする

僕自身もフリーランスというのには興味があった時期もあったが今は執着心がなくなった

なぜならSNSでよく目にする多くのフリーランスになりたい!と声を上げる20代はお金を目的にして楽をしたいだけなのではないか?と見えてしまうことがある

なにも苦労して汗水垂らしてお金を稼げということを言いたいのではない

ぼくもどちらかといえば楽にお金を稼ぐことができることに超したことはないと考えるが僕の身内のフリーランスの何人かを見る限り、楽をしているというよりは自分の仕事に責任を感じているし、楽というよりは充実感を感じているように見える

世間は副業ブームということで僕も副業として本職以外にアルバイトをしてトリプルワークをしたことがある

これは思いっきりお金を目的にして働いてみたわけだがその結果感じたことが

おもしろい!とか発見がある!と感じられない副業はお金をもらったとしても実感が沸かないということだった

お金を目的として時間と労力を対価にするとお金をもらうことの幸福感が少ないといった方がわかりやすいだろうか

ありがたいことには間違いないのだがこんなものなのか…っと思ってしまう、寂しさに近い何かを感じてしまった自分がいた

これはお金を目的としてしまった場合、自分はこうなったということで、今は何かをするための手段としてお金を稼ぐということの方が気分的にも健全な状態になることの方が多いと感じる

何かの手段として必要なのがたまたまお金なだけだからそのために稼ぐと考えることができれば

稼いだお金には中身があるっと感じられる、そのお金が次は何かに変化を遂げるっと考えられるからだ

お金を目的としてしまっている場合はお金のことばかりが頭の中にある

お金を手段としている場合はやりたいことばかりが頭の中にある

明確に何をして何を楽しみたいのかということがスパッと答えられるかどうかでお金が目的、もしくは手段のどちらの考えなのかがわかってしまう

自分のスキルや考えを元に何かを生み出し様々な人々と面白いことをしたい

それが後にお金なのかモノなのか何らかのかたちで自分に返ってくるのであれば幸福感の高い報酬として素直に喜ぶべきなのだと思う

これからも手段としてお金を使って生活を面白くしていきたい

目的がお金になってしまった瞬間から時間の幸福感が下がっていってしまうと僕は考えるから


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