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鬱を抜けてふりかえった2022年2月-3月

先月、友だちが亡くなった。かれこれ付き合いは11年にもなるが、一緒に芝居に出たり、奇天烈だけどみんなが思わず見てしまう脚本を書いてくれたり、とにかく舞台の上で、稽古場で仲良くなった人だった。
11年前、13歳で演技を始めて子役になった。少し早くに演技を始めた彼女はまだ10歳くらい。彼女はいつも不機嫌で奇声を発しては理不尽にキックをくりだし、おやつを渡すとおとなしくする。演出家のダメ出しを真面目に聞いている俺の肩にまたがって、自分もちゃっかりメモしながら俺の頭上でふむふむ聞いていたときもあった。
11年後こちらが曖昧な社会人2年目、24歳を迎える今年、彼女は20歳でこの世を去った。発症するまでわからない、先天性の脳の病気だそうだ。
20歳で突然意識を失って、亡くなってしまう病気なんて、物語で書いたら「そんなご都合主義な!」とすぐに赤ペンを出される。「リアリティがないよ」と担当者に落胆の言葉を付け加えられることも、よくあることだ。

本当に、リアリティがない。

人は、突然死ぬ。理由はない。伏線もなければ、辻褄も合わない。「人生は物語」こんなキャッチフレーズはありきたりすぎて、最近ではなかなか見られないほどの常套句だけど、ほんとうに人生が物語だとすれば杜撰すぎる。アイデアはもう少し練ってから出せよ、と作家の頭を引っ叩きたくなる。
彼女の通夜には、もう会わないと思っていた人がたくさんいた。演劇なんて密室に篭ってあーだ、こーだと言い続けることを10年近くやっていれば、絶縁するほどの修羅場も少なくない。しかし、そんな人がみんなそろっていた。人が死ぬってそういうことか、と要領を得ないことを考えた。

通夜の帰り道、ネットニュースには迫るオリンピックの閉会式と戦争の前触れが並んでいた。閉会式を終えた直後、本当に戦争は始まった。あれからもう1ヶ月が経つという。核爆弾や奪還・占拠というおおよそファンタジーだった侵略戦争そのものの語彙がニュースで駆け回り、面食らっているうちに核武装やウクライナ支援や原子力発電所問題が熱高く叫ばれはじめている。TikTokで外国語を打ち込めば、スマートフォンで撮影された戦場が縦型にずらりと並ぶ。

人がたくさん死んでいるらしいことさえ、あまりよくわからない。


戦争が始まった日、先輩に連れられて会員制の焼肉店に行った。住所非公開の飲食店なんて初めてだった。ほとんど生で食べたほうがいい焼肉やボリューミーなユッケを食べながら、リアリティのなさと少しだけわいてくる罪悪感を感じていた。
数週間後、あちこちで大規模なデモが起こった。アーティストは反戦フェスを企画した。数日で数百万円が病院や人道支援団体やその他必要な組織に寄付されたという。同時に、外国の寄付で買った手持ち型対戦車ミサイルが次々にロシア軍戦車を破壊する様子が勇ましく報道されるのも目にした。ボタンが二つしかないミサイルで、子育て中だった母親や一介の会社員が銃撃戦に加勢しているらしい。

そこでもまた、ウクライナ人もロシア人もたくさん死んでいる。

経済制裁を受けて完全に孤立したロシアに住んでいる、まだ選挙権もなかった子どもはこれからどんな夢を見ればいいのか……。人生から選択の自由が勝手に奪われたことは想像に難くない。
自分の頭上で爆撃が起き、自分の家が瓦礫に変わり、友人が死んだウクライナ人の子どもはどんな夢を見られるのだろうか……、その傷を癒すことに多くの時間もお金もかかることは簡単に理解できる。

そんな悲痛な現実から、遠く離れて、日本にいる。
何の当事者性も持っていない。何も知らない。

戦争が始まってから、電車を乗り継いでまで美味しいものをたくさん食べた。贅沢な買い物もした。桜を見ながら散歩した。心震える映画を見た。仕事をさぼって昼寝をしたし、人の悪口を言いながらお酒も飲んだ。サウナにも銭湯にも行ったし、たくさんセックスもした。幸せだと感じる瞬間は無数にあったし、それを感じる間もなくつまらないことに悩んで、不機嫌になることも多かった。

二十歳で死んだ友達のことさえ、あまりよくわからない。遠くの国で死んでいる兵士や子どもや誰かの母親のことなんて、さらによくわからない。建前さえなしに侵略に踏み切ったことを、狂気だ、前時代的だ、と批判する国が少し前に起こした真っ赤な嘘とともにある戦争のことも、差別のことも、償いや国際秩序のこともよくわからない。本当はウクライナでは何の被害も受けていなくて、影の政府が暗躍して正義を貫いている…と主張する人たちの言うことが間違っているか正しいかなんて、おそらく間違いだとしても本当はよくわからない。この目ではまだ何も見ていない。何も見ていないのに、杜撰な悲劇は次々に起こる。毎日は何の影響もなく、忙しなくつづく。電車は止まらない。アダルトビデオを違法ダウンロードしたVtuberが活動休止になる。会員制焼肉の予約は2ヶ月先まで埋まっている。牛丼屋にクレームは届くし、芸能人の暴露動画が百万回再生される。
飢餓で、戦争で、差別で、先天性の病で、夥しい人が死ぬ。

戦争がはじまってすぐに、日曜日の昼のラジオで誰かがリクエストしていた。ボブディランの「Blowing in the wind」春の陽気とともに花粉症が始まりかけていた。風に乗ってスギ花粉がやってきて、目や鼻や後頭部を悩ませる。どこかで粉塵を舞い上げながら、風はとおりすぎていく。「How many time?」あと、どれだけと60年前のボブディランが尋ねる。まだわからない、何もわからない。毎日の幸せとともに、免罪符を誰もが思い出したように探してしまう。


2022.3.31
平田純哉

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