大喜利の解体

大喜利の答えについて日々考えるのは当然のことだが、最近は大喜利のお題についても考えることが多い。憧れのロフトプラスワンでの『大喜利のお題を考えるライブ』というイベントにお呼ばれしたからかもしれない。

大喜利ライブでお題が出た時に「いいお題」「悪いお題」「楽なお題」「難しいお題」「広いお題」「狭いお題」とか感覚的に口々に言うけれど、もっともっと言語化できる。

2ヶ月ほど前の「オオギリダイバー」という大喜利バトルライブでの「タッグお題」という種目を思い出す。一緒に組んで参戦したフランスピアノなかがわ、バーニーズまぐろ(※諸事情)という2人の芸人は個人戦をやっても活躍する大喜利強者。彼らとタッグを組んでとても勉強になった。

映像を見てもらえればわかるのだが、普通一人で埋めるべき空欄がお題の中に2個あって、それを二人で1個ずつ埋めなければいけない。ただでさえ数寄者が集う大喜利界隈でもだいぶマニアックな種目だと思う。この大会の場合はお客さんに出す前に仲間で少し相談しても良いことになっている。例えば以下の動画、4分30秒辺りから私とバーニーズまぐろ(※諸事情)という芸人が参戦している。

Q.上履きに画びょうが!よりも酷いイジメ「〇〇に✖✖が!」

最初に私は、大切なものを隠すないしは手の届かない高いところに置くタイプのいじめを想起し、その再極端な例として「谷底」をホワイトボードに書いてまぐろに提示した。まぐろは瞬時に、遠くに置かれたら困る物(上履きなど)の再極端例として「孫が」と書いた。ここでの回答が成功したのは


①お題の具体化
②具体化された問題への回答


という分業がスムーズにいったからだと説明できる。
いじめには色んな種類があるが、では「物を隠す系のいじめだとどうなる?」という小問を私が提示し、まぐろ(※諸事情)は小問をひねりすぎず条件反射的に打ち返した。「合コンに、叔父が」という回答の辺りで自分はその作業をようやく俯瞰的に理解したように思う。自分たちだけでも6答しているのでここらでいじめっぽくない小問が要ると思い、
いじめ→気まぐれなもの→機械的だと面白い?→機械的に訪れるもの→番組→番組の中でもいじめと遠そうな枠→月9の恋愛ドラマ


という回路で「月曜9時に」と振るとまぐろ(※諸事情)はロマンチックなフリには嫌なもので落とすという基本的な方程式を素早く使って「金縛りが」と落としてくれた。小問に区切られたお題に飛躍しすぎず瞬時に答えるの、すごくない??

次はフランスピアノなかがわと組んだ戦い。2:00辺りから。

Q.アホアホ町内会のお祭り、大人は神輿を担ぐ、子供は山車を引く、お年寄りは〇〇を✖✖する。

ここでも私は②の小問への瞬時の回答をする自信がなく、①のお題の具体化に徹してしまう。
古い村っぽいワードとして「迷信を」と提示するとなかがわは「10個増やす」と回答。
ダメ押しで「童歌を」とふると「再録する」で落としてくれた。
この時少なくとも私は気づかなかったが、この二つの回答はセット、いわば「天丼」になっている。「迷信を10個増やす」も、まず語り継いでなんぼのものを意図的にしかも習慣的に足すな、足すにしても足しすぎだろ、と幾つものツッコミどころを持つ厚めの回答。だがそれだけでなく次の「童歌」が迷信とほぼ同じカテゴリの言葉で振りとしては今思えば弱いところ、「風習をアップデートしちゃう老人たち」という前答のイメージを引き継いでよりデジタルっぽい「再録」という言葉で仕留めてくれたのだと思う。最後に「そっと街に逃がす」という下の句をなかがわがふってくれて、自分は「そっと」という語感とギャップがあってかつ昔話の世界観に合う意「大蛇を」で受けた。この時は捻りがなくて不安だったが、今思えば細分化された小問への回答なのであながち間違った距離感ではなかったのだと思う。

一問ずつ解析して行ったらキリがないのでやめるけれど、冒頭の大喜利のお題を「広い/狭い」で分ける基準は小問が何段階隠れているか考えれば割と理解できる。

小問を立てる際の捻り方、そして小問に答える際の捻り方でもっともっと深く遠くに行けるんだけど、それはまた別のお話。。。


文章を書くと肩が凝る。肩が凝ると血流が遅れる。血流が遅れると脳が遅れる。脳が遅れると文字も遅れる。そんな時に、整体かサウナに行ければ、全てが加速する。