慰撫コンテンツと輸出コンテンツ

エンタメを観るのが好きだ。いや、好きと言うのも違う。「呼吸するのが好き」とあえて言う人はいないように、映画やお笑いやテレビやラジオに触れる行為は、私にとって生存と直結している。どんなに親しい人ともエンタメと関係ない世間話ができないし、移動中や入眠前はイヤホンでラジオを聴かないと落ち着かない。

そんな生活の中で、自分みたいな者にも見えてくることがある。

成功者たちは下積みを突き抜けるまでの努力について「とにかく目の前のお客さんを楽しませることを怠るな」とか「とにかく沢山の試行錯誤を重ねろ」と言う。もちろん正しいんだけど、この若手クリエイターへの助言は随分不親切だなあと思う。

世の中のコンテンツは「慰撫コンテンツ」と「輸出コンテンツ」の二つに分けられると思う。これは一つの市場を基準にした相対的な区分で、その市場の内輪にウケることを目的としたコンテンツを「慰撫コンテンツ」、ゆくゆくは市場の外でもウケるように作られたコンテンツを「輸出コンテンツ」と呼びたい。(自分は体系的な文化論の教育を受けていないので、これに相当する用語を知っている方は教えてほしい。)慰撫コンテンツは「内需コンテンツ」、輸出コンテンツは「刺激コンテンツ」と呼んでもいい。例えば日本映画は基本、「日本人」(日本語話者)をターゲットとして作られているが、国内での消費がメインの映画は「慰撫コンテンツ」、海外の映画祭などに出品される映画は「輸出コンテンツ」だ。前者は映画のヒット作で言うと『釣りバカ日誌』や『踊る大捜査線』などをイメージすると分かりやすい。日常に疲れた日本の客たちを一瞬癒すのがこれらの使命で、慰撫コンテンツだからと言って質が低いという話では全くない。日本と海外を例に出したのでかえって分かりにくくなってしまったかもしれないが、例えば『シン・ゴジラ』を「怪獣映画ファン」というターゲットで見ると、怪獣映画を普段観に行かない多数の客にリーチした同作は確実に「輸出コンテンツ」だ。例えば『ラ・ラ・ランド』は普段ミュージカルを観に行かないお客さんにも届き、『君の名は』は普段アニメを観ないお客さんにも届いた。既存のお客さんも満足させつつ、外のお客さんにも届く仕掛けが緻密に施されているのがヒットの条件なのは自明だ。(この「慰撫↔︎輸出」という対立軸には作品の過激さも関係ない。血みどろのスプラッター映画でも、そのジャンルのファンにだけ消費されていれば慰撫コンテンツだ。)

お笑い芸人が売れることも同じだと思う。ライブシーンで大人気であることが全国区での露出と相関しないことはお笑い好きなら誰でも知っている。でも、それで華やかに露出が多い人をその割に実力がないと批判したり、メディアにあまり出ない人を不遇と言ってやたら同情するのを見るととても違和感を持つ。メディアで売れた人は「ライブシーン」という市場の外を狙って「輸出コンテンツ」の商品開発に集中した人、ライブで長くやっている人は目の前のお客さんの期待を満たすことに長けた「内需コンテンツ」の職人、という違いしかない。

「若手時代はあんなに滑ってたあいつが一芸を見つけて今メディアで活躍してるのも、がむしゃらな試行錯誤の結果だ」というエピソードは半分あってて半分間違っている。もちろん初期に芸の基礎からダメで、試行錯誤を経て技術が身についた部分もあろうけど、それだけでは売れるはずがない。最初から輸出コンテンツを作ろうと意識していたので目の前のお客さんにはウケていなかっただけ、という例の方が多いのではないか。

もちろんお客さんに信頼されていないアウェイの場ではできるトライも限られてくるので、慰撫コンテンツが作れてから輸出コンテンツを作る、という順序は必要になる。こう言うと「新ネタ=輸出コンテンツ」、「鉄板ネタ=慰撫コンテンツ」と勘違いされそうだが、全然違う。新ネタにしても慰撫を目的をして作るのと輸出を目的として作るのでは全然違う。メディア露出が少ない人のネタでも、初見のお客さんの前での営業で爆笑を取れるのは輸出コンテンツだ。賞レースで勝ち進んでも売れない、みたいな話が増えるのも、本来輸出を目的とした大会なのにお客さんの慰撫が勝ち進むための必要条件になってきているからだと思う。その結果、輸出コンテンツのつもりで何十年も慰撫コンテンツを作り続けてしまう無敵に面白い人達がいるのもまた現実だし、それは自分も含めたライブのお客さんにとっては福音だ。

当たり前のことだからなのかもしれないが、この「内需コンテンツと輸出コンテンツのバランス」という視点を成功者が教えてくれないのはマジで意地悪だと思う。成功者たちはクリエイターの卵たちに「誰にも負けない芸を試行錯誤の中で見つけろ」としか言わない。「慰撫コンテンツを受け入れてくれるお客さんを掴みながら、輸出コンテンツの開発に勤しめ」なんて教えてくれない。そんな成功者たちの意地悪を感じつつ、優しい成功者になるために、今日も僕たちは目先のコンテンツを捻り出すために机に向かう。

文章を書くと肩が凝る。肩が凝ると血流が遅れる。血流が遅れると脳が遅れる。脳が遅れると文字も遅れる。そんな時に、整体かサウナに行ければ、全てが加速する。