「吾輩はばかである」

吾輩はばかである。
名前は、名乗るときも先に立派な所属組織の名を言うことが多い。事務所とか、大学とか。

小学校低学年の頃、出がけに両親は一人で留守番する私に「お米を炊く」というミッションを課した。お米を量って釜に入れるところまでやってくれた。水の量と押すボタンも教えてくれたので、小学生にでさえとても簡単なミッションだった。両親を見送った私はめんどいので一旦ほったらかして図書館で借りてきた本を読んだ。ひと段落してキッチンに戻ると、どのボタンを押せばいいのかわからなくなった。焦ったけれど、とりあえず米を炊飯器に入れ、「変なボタンを押すよりは置いといたほうがいいと思った」と釈明しようと決めて部屋に戻った。いつのまにか眠ってしまった私は、キッチンから聞こえる両親の声で目を覚ました。両親は怒っていなかった。その代わり、憐れむような眼で私を見た。はじめは何を言われているのか理解できなかったが、しばらくして、自分が炊飯器を壊したことを知った。釜は一時的に米を入れておくものではないこと、炊飯器に直接米をザラザラと注いではいけないことも同時に。初見の家電を一人でいじるのが恐怖になったのはそれからだ。大学生になって付き合っている女の子と一緒に住んでいた時には、新しい家電を開封だけして一人では頑なに絶対に電源を入れないので気味悪がられていた。吾輩は、ばかである。

思えば、自分でお金を稼ぐようになるまで人の話をほとんど聞けなかった。音では聞こえているけれど、内容を追うことはすぐに諦めてしまう。特に人から作業の手順を説明されている時に顕著だった。理科の授業中に実験の説明をされても頭に入ってこなくて、みんなが取りに行く器具を真似して取りに行くものだから、私がいる班は試験管やビーカーがよく余った。今となっては本当に申し訳ないのだが、体育の先生の話は小中高12年間聞いたことがなく、陸上をやると思っていたらキックベースが始まるなんてこともザラだった。

「娯楽全部奪い家庭」で育ったので、クラスの男子がスマホやPCを駆使して性に目覚めていく中高時代、私はガンガン取り残されていった。中学のパソコンルームでは授業に関係のある調べものがあるという建前でネットが使えた。ニコニコ動画に上がっているお笑いの動画を観たいけれどアドレスすら持っていない私はアカウントを取得できず、心優しい友人にIDとパスワードを教わって昼休みや放課後にログインしていた。スケベなコンテンツなんか学校のPCではブロックされているし、そもそもみんな見たい物は自宅のPCやスマホで観まくっているから学校でなんかチャレンジしないのだけど、私は周りにたまたま人がいない瞬間にグラビアアイドルの名前を検索して一瞬動画を観たりしてしまっていた。そもそもお笑いを観るのも先生の目を盗んでなのだから、「隙のさらに隙」を見ての行為ではあったが、ニコニコ動画に、というかあらゆる動画サイトに「履歴」という機能があることを私が知るのはまだまだ先のことである。それに気づいたときは恥ずかしいどころの騒ぎではなかった。わざわざ学校のPCで人のアカウントを使ってうっすらスケベな動画を観てる奴。キモ過ぎる。これも当時はあまり気づいてなかったのだけど、男友達の性の対象がAVの女優さんたちだったのに対し、自分が思いつく最も肌を露出した女性たちは「ヤング」と冠された漫画雑誌の表紙の人たちだったのだ。コンビニの漫画雑誌の表紙しか性の手掛かりがないのだから仕方がない。私が胸や腰回りを布で覆われた静止画を見ている間に、級友たちは布なしの絡みありの動画を見ていたんだぞ、とニコ動の大恥履歴の言い訳をしてみる。1人からアカウント借りっぱなしだと申し訳ないから数人から借りていて、中には女の子もいたことも今思い出して死にたくなっている。思い出など言語化するものではない。吾輩は、ばかである。

半年も経たずに今年2回目の救急車のお世話になった。笑い事ではない。夏は鉄分の値が生きている人間のそれでないとお医者様に怒られた。今回はリンとナトリウム。いや今度は2種類て。食事や睡眠を抜いて予定を入れまくっても、人前に出るとなんとなくアドレナリンが出てしまって体の悲鳴が聞こえなくなる。療養中の今、最近のスケジュールを見返すと、収録が押したのでM-1の準決勝を観にタクシーで移動してるのとかどうかしている。家に着けばどうせご飯を食べるから、と十何時間何も食べていない体で聴けてないラジオを消化するために深夜1時間歩いて帰宅することも習慣化していた。帰宅後は観ないと気が済まない録画や映画や書籍を眠くなりにくいように細切れに見る。気絶するように自然に寝落ちするまでそれがやめられない。たかが半分学生の売れてない芸人の分際で落合陽一さんか前田裕二さんにでもなったつもりかという話だ。とにかくばかである。

自分は2016年暮れまで怠けて生きてきた分を残りの人生で取り返さねばならないと思っているけど、1週間とか10日間休まなければならなくなるとその間はまた怠けることになってしまう。仕事のことで周囲に迷惑をかけてしまうのがダメなのは当然なのだけど、自分にとっても機会損失でしかない。そして、落合さんや前田さんだって生まれた時からトップスピードだったわけじゃなく、トップスピードでやっても周りがフォローしてくれる立場と一行動あたりの燃費を自身で築いてきたから今の仕事量があるに決まってるのである。後先考えず無茶するのは驕りだ。ばかとは反省をしない者のことだと思う。やりたいこととやるべきことを、分を弁えながら省みて積み上げる。ばかを、卒業しなければならない。

(special thanks to 星野源『そして生活はつづく』より「ばかはつづく」)


文章を書くと肩が凝る。肩が凝ると血流が遅れる。血流が遅れると脳が遅れる。脳が遅れると文字も遅れる。そんな時に、整体かサウナに行ければ、全てが加速する。