長いシャワー

20代の大半を一緒に過ごして来た人との関係が今年の長い夏と一緒に終わった。

決定的な破綻が起きた夜、長く話したが修復はできなそうだった。自分は彼女が大きな過ちを犯したと思っていた。彼女にとっては逆なのかもしれないが、それはもはや理解する必要もないことだという結論から私は抜け出せなかった。彼女は美しいはずだったが、言い逃れを繰り返すその晩の彼女はとても醜かった。その晩から明け方にかけて我々は語数と感情に比べて情報量の少なすぎる言い合いをした。又吉さんの『劇場』を思い出した。彼女との関係が終わるとしたらこういう感じなのだろう、と思って読む、好きでありリアルすぎるので苦手な小説だった。しかし、目の前にあるのは又吉さんが描いたみたいな正しい別れではなく、もっと卑近なつまらない齟齬だった。

彼女は私の知らないことをよく知っていたし、私がよく知っていることについて羨んだり誉めたりしなかった。彼女の影響で聴くようになったミュージシャンの音楽が自分の生活の一部にもなった。ファッションセンスが壊滅的な私に、記念日や誕生日に彼女は身に纏うものを順番にくれたので、そこから読み取れるテーマを自分のこだわりのように外で吹聴した。性愛だけじゃなくて創造的なもので繋がれる関係に夢を見すぎたのかもしれない。その幸いに比して、破綻のきっかけはあまりに野暮だった。

自分がライブや打ち合わせを終えて終電で帰ると、彼女はご飯を作って待っていた。手際と味付けの感覚に長けた人だったと思う。私の帰宅の直前に急いで作ったことは、ゴミだらけの流し周りと、火の通りが甘い根菜類の歯ごたえから分かった。朝が早い彼女は私が食べているうちに眠ってしまう。生来が潔癖の自分は洗い物を残したまま床に就くのが嫌で、毎晩一人寝ずに皿を洗った。寝ている彼女のために部屋を暗くし、キッチンの電気だけつけて前の夜のラジオをイヤホンで聴きながら皿を洗う時間が好きで、わざとゆっくり洗った。

自分が大学にも行かず芸道も怠って一番ふらふらしていた時期に彼女は就職活動をしていた。彼女のエントリーシートの下書きを見て、彼女の長所をもっとくっきりさせる方法はないかと考えている時間は楽しかった。サブカルの知識を問う筆記問題が出るという入社試験の前日、映画や文学についての予想問題を一緒に考えたが、実際に出た問題はそんな対策は要らないくらい簡単なものだったので二人で声を出して笑った。何がそんなにおかしかったのだろう。あまり時間を守らない彼女は締め切りにも鈍かった。PC画面で出来上がったエントリーシートの下書きを渋谷のマクドナルドで急いで書き起こし、窓口が閉まるギリギリの郵便局に向かって二人で走った。

その日の朝、破綻が起こることをまだ知らない我々は久しぶりに交わった。そのまま仕事に行き、2人で住む部屋に帰って来て破綻し、明け方に疲れてヘアワックスも落とさずに少しだけ眠り、翌日の大事なテレビの仕事に寝坊しかけて着替えだけして家を飛び出した。長い収録を終えて久しぶりに実家に戻った。エリザベス宮地が監督したMOROHAのMV(『バラ色の日々』)を見て泣こうとしたが、やはり美しいものを見ては泣けなかった。我々の終わりはもっとずっと醜かった。長い2日間をまたいだ彼女の温度と匂いが体に残っていた。いつもの2、3倍の時間をかけて体を流した。


追記:

最後のシャワーのところは本当はこれからもう彼女の匂いを感じることはないだろうから一旦洗わないで寝ようか迷いました。そういう自分の雑魚根性を面白にできないところが文章だけじゃない自分の表現全般の課題です。今読むと自分の否を全然認めてないし酔ってるし気持ち悪いと思います。自分も待ち合わせに遅れまくってたくせに彼女だけ時間にルーズだったような書き方をしてるところなんか最悪です。後日私の性格の問題点を彼女に優しく文字で諭されました。ちょっと前に書いたけれどさすがに私的すぎる話なのでネットに公開しなくていいやと思って下書きに保存したままにしていました。でもここ数日、今あんなに文筆で活躍されてる星野源さんが最初は文章の下手さを馬鹿にされていたけれど自分から知り合いに頼み込んで連載をもらっていたことや、有吉さんが仕事がない時期に有吉文庫というエッセイを知人に配っていたことを知りました。自分みたいなもんが恥を意識することの方が恥ずかしいことです。

文章を書くと肩が凝る。肩が凝ると血流が遅れる。血流が遅れると脳が遅れる。脳が遅れると文字も遅れる。そんな時に、整体かサウナに行ければ、全てが加速する。