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コロナ禍で大学生活終了して思うこと。

本日期末テストが終了し、長い長い4年間の大学生活が終了した。

正確に言えば、大学生活は2年間。その他2年間はだいたい家で過ごした。そんな私の大学生活について振り返ってみる。

1.予想外すぎたコロナ、留学中止の巻。

 受験生を卒業し、ワクワクしながら広々とした大学の門をくぐった2019年4月。私の人生はここからなのよ!と言いたげなザ・若気の至りの私がそこにいた。暗黒の受験期を終え、なんでもできる!好きなことが勉強できる!そんな期待感に塗れた大学1年生。

留学を目標にするな、とよく言われるが、私にとって留学が目標であり私の全てだった。海外に行ったことがない私は、大学で1年間合法的に留学ができることが嬉しく、そのために大学1年生のすべての時間を費やしてきた。

テストも課題も完璧で真面目すぎるほどに真面目な生活を送り、そしていよいよ3ヶ月後に留学を控えた。そんな時に訪れた、悲劇。

コロナウイルスにより、留学中止。

うそん!海外用のクレジットカードも2枚作ったし、海外仕様のSIMカードも買ったし、準備万端だったのに〜!

ということで、夢にまで見た留学はあっけなく中止となり、私の大学生活in自宅生活が始まったのである。

2.なんやかんや自宅が一番

コロナで授業が全部オンラインになり、私はむしろこれが嬉しかった。

大学に行くと煌びやかな私服を纏った人たちで溢れかえり、毎日何を着ていこうかと悩むのに疲れきっていた私は、パジャマでも受けることができる授業形態に魅了されていったのである。

飼い猫とゆっくり寝ころびながら授業を聞き、空きコマにはギターを弾いたりなんかして、まあまあ満喫していた。

それでもやっぱり思うのである。こんなダラダラ生活、いつまでもしてらんない!!

ナマケモノ人間とは不思議なもので、ナマケモノにも関わらずそこに「人間」であることがプラスされるだけで、ダラダラ生活に嫌気がさして動き出したくなるのである。

インスタを見ればコロナお構いなしに遊びに行ってる友達、資格を取る友達、趣味に走る友達。そんな友達の影響は大きく、私も何かしなければ!と思うようになった。

そんな衝動で始めた新しいアルバイト。あまり馴染むことはできなかったが、初めての接客バイトはかなり学ぶことが多かった。が、一生やりたくないバイトである。

ギターの弾き語り投稿をインスタやTikTokで始めたりもした。まあ中途半端なレベルだから、そんなに伸びたりもしない。

曲を作ろうと思い立ってメロディーを作るが、出来上がらず1日で終了。

コロナ禍の大学生活は、そんな“新しい自分”を常に求めながら、模索した1年だった。

色々やってみたものの、どれに対しても手応えを感じることができず、私は何者にもなれないことに嘆いたこともあった。

私の継続力が皆無であることや、飽きっぽい性格であることが原因だなんて一ミリも考えず、私はきっと他のことで輝けるはずと思い上がっていた20歳だった。

3.少しずつ再開した対面授業

対面授業が少しずつ再開する波が来たと思えば、もう時は大学3年の秋。“就活”という2文字を突然ぶつけられたような気がしたが、まだまだ先のことだと考えるのを放棄した21歳。

それでもやっぱり大学に行けることは嬉しかった。部活やサークルも同時に再開して、久々に友達とギターを弾けるのは嬉しかった。

私は人見知りで1人が楽だと思っていたが、やっぱり「人と会う」ことに喜びを感じるんだと再発見。大学はまだまだ活気を失っていたけど、やっぱり外の世界に出られるのって素敵!と感じた。

3年生になった大きな違いは、受講できる授業が圧倒的に増えたことである。

1、2年生の間は必修科目がたくさんあって、なかなか自分の取りたい授業を取ることができなかった。でも3年生になって必修が教職のみになり、少しずつ学びたいことを学べるようになってきたのである。

特に、哲学の授業は今でも心に残っている。

「当たり前を問い直す」という哲学は、自分の無意識や世間の一般常識と呼ばれるものに疑問を抱かせてくれた。

何が正しくて何が正しくないのか。白黒つける必要はないんだなと思った。他の人の斬新な意見を聞いたりもして、視野が一気に広がっていくのを感じた授業だった。

有名なトロッコ問題から難民問題まで、色んなトピックを扱っていく中で、改めて自分を理解する時間にもつながった。

例えば、私は避難民をもっと日本でも受け入れるべきだと思うけど、他の人はその意見に経済面や治安面から考えて反対していた。

でもやっぱり私は苦しんでいる人がいない世界の方がいいし、もし自分が避難民だったらと思うと、救ってほしい。だから自分も救うべきだと思った。

今まで深く考えたことなかったけど、自分が生きる上で大切にしていることが自分で知れた瞬間だったな。


4.戻ってきたはずの大学生活

大学4年になると、大学はマスクをつけている以外ほとんど前の姿を取り戻した。

でも1年生だった私が突然4年生になったかのような感じがあって、まるでドラえもんのビッグライトを1年生の私にあてて、「はい、今日からあなた4年生です」って言われてるような感覚だった。

それもそのはず、いよいよ“就活”というものに向き合わなければならなかったからだ。

就活をしなくてもいい。今は自由な時代だから、誰もあなたを否定しないよ。そんな声は確かにどこからか聞こえていた。いや、自分で必死に唱えていたのかもしれない。

それでもやっぱり、やっぱり自信がなくて。何も武器を持たない私が世に放たれることを想像したら怖くなって、後ろ向きな気持ちで就活に向き合ったのである。

幸い卒業後の進路は決まったが、まだ納得ができなくて、私はこのまま妥協の人生を歩んでいくのか?もう戻れないけどいいの?という声もまた必死に自分で唱えている。

せっかく大学に戻って来れたのに、授業以外のことばっかりして、なんだかあまり大学生活って感じがしなかった。

それでも大学に通う意味はあって、出会った人も4年間で一番多く、充実した日々を送ることができた。留学生も増えて英語で話す時間もあって、後輩にも恵まれて。待てよ、それだけで充分じゃないか!!

5.大学生活の、意味

コロナ禍で失われたものが大きかったこそ、小さな幸せに気づくことができて、素晴らしい環境に居させてもらえてることに感謝の気持ちを持つこともできた。

1年生の私からは考えられないほど、色んな友達ができたし、色んなことも学べた。コロナ禍どんぴしゃな大学生活は、思い描いていたものとは違ったかもしれないけど、それでもここに来た意味は充分にあったと思う。

本当に18歳の私は視野が狭くて、自分のこと棚に上げて他人を批判したり、言うたらしょーもない人間でした。

それでも受験期の自分に頑張ってくれてありがとうと言いたい。成長できる機会をくれた18歳の自分に感謝。

これから社会人になるわけだけど、自分の野望は捨てずに生きていきたいな。まだまだ発展途上な私だけど、成長を止めない人間でありたい。

まだまだやりたいことがいっぱいある!大学にいたら叶えられなかったことも、大学で学んだことも全部含めてこれからの人生で活かしていきたい。

そんな風に思える大学生活終了の日なのでした。
良き4年間だったよ、ありがとう。

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