おおぬき

ゆとり世代で全国紙記者。娘が無事爆誕し、父親業も始めました

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【経済】株主総会における珍妙な株主提案をみて笑顔になろう~後編~

このように飛び抜けてふざけた話もあれば、読んでいて考えさせられるものもいくつかある。 典型的なのはテレビ東京ホールディングスの株主総会(2023年)である。 要するに、新聞記者しかやったことのない日経出身の幹部に(テレビの知見もないし経営の知見もないのだから)テレ東の経営などできようはずもないという話だ。一部を以下に抜粋しよう。 これは実にごもっともな話である。新聞記者であれデスクであれ、結局の所は記事を作る側の人間であり、もっと言えばコンテンツを作る側の人間だ。コンテン

    • 【経済】株主総会における珍妙な株主提案をみて笑顔になろう~前編~

      企業で一番偉い立場と言われると普通は「社長」と答えがちだが、実は違う。 株式会社で一番偉いのは株主だ。 株式会社であれば、社長はあくまで仕事を進める上で一番偉い立場であって、経営の大事なことを最終的に決定するのは株主である。それだけに社長を含めた取締役の人事を承認するのは社長ではなく、株主の集まる株主総会なのだ。そんな株主総会は決算期の兼ね合いもあり、日本の場合は5~6月ごろに集中している。 株主の中には意見のあるひともいる。会社側に「こんな取り組みをしろ」とか「これをや

      • 無駄な時間だったって言うけどそれも込みで自分だからしゃあない

        誰しも無駄なことをしたいとは思わない。 でも人生を振り返ると、不思議と無駄なことばかりしているものだ。 毎日を振り返ってみても「なんでこんなことしてたんだろう」とか「変な暇つぶしをしてしまったな」とか、いろんな後悔があるものだ。 仮に、理想の境地に一切寄り道せずに至ることができていたら、と考えてみる。 それは非常に無駄がなくて、いろんなことに使う時間ができそうな人生ではある。でも、どこか味気なく感じることがある。 努力をして、まっしぐらに一つの目標に向かい続けられる人とい

        • 人生は短い(多分)

          「人生の主役は自分自身である」ということばがある。考え方はいろいろあろうが、人生の捉え方は往々にして自分中心のものになりやすく、利己的で視野狭窄に陥りやすい。 私自身はその傾向が顕著で、20代は「自分が人生をどう作るのか」という視点しか持ち合わせていなかったし、他人との関係性のなかで自分を捉える努力を怠ってきた。結婚願望もなく、子供がほしいと思ったこともなかったというのは、その証左といえるかもしれない。 ただ、不思議な縁で結婚し子供まで生まれた。私にとっては「想定外」の人生

        【経済】株主総会における珍妙な株主提案をみて笑顔になろう~後編~

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        記事

          白米のような毎日を

          この間銀座に行った時、「名探偵コナン」のオープニングなどで知られる倉木麻衣さんのデビュー25周年を記念した展示会がやっていた。 デビュー25周年ということは、当たり前だが歌を歌い続けて25年ということでもある。「歌う」という、同じことを繰り返してきたのだ。クリエイティブな世界に長らく身を置き活躍を続けるのはそれだけですごいことである。 翻って私たちの人生を考えてみると、同じことをただ機械のように繰り返すことに意味を感じなくなったり、飽きが来たりすることはよくある。 クリエ

          白米のような毎日を

          【育児】舌を出す娘

          表現という言葉は「表に現れる」と書く。 表情や言葉などを通じて、「表」側に感情や考えが「現」れることが、表現の根本である。 ということは、前もって表に出ていない、表現されていない何かが内側にある、ということでもある。 表に現れているもの以上の「表現」が自己内部に広がっているということだ。 誰しも「ああいえばよかった…」などと思い悩んだ経験があろうが、それは「表現できなかったもの」そのものなのである。 最近、娘が笑顔で舌を出すようになった。ロックバンドの「KISS」よろしく

          【育児】舌を出す娘

          一人一人が決断して世の中変わるって話

          人生は決断の連続であるという意見がある。まったくもってその通りだ。 決断とは「決めて断つ」と書く。要は、何かをすると決めて、他の可能性をその瞬間に捨象する行為が決断なわけだ。 たとえば、今日何を食べるかも決断である。カレーを食べると決めれば、おそらく大概の人はラーメンやかつ丼を食べることをその瞬間は諦めることになる。ほかにも「いまから『いちご100%』を読もう」と決めれば、その瞬間は「めぞん一刻」や「サンクチュアリ」を読むという可能性をあきらめている。 こうした「決断」は

          一人一人が決断して世の中変わるって話

          「エアコンが効いているところでだらだらしていればお金がもらえる仕事」で満足できるのか

          中学生のころにあるおじさんが、学校でキャリア教育に関する講演をしてくれたことがあった。 そのおじさんは「キシさん」という人で、もったりとした不思議な話し方をするおじさんだった。 講演後にはその人の物まねが一瞬流行するくらい妙な話し方ではあったのだが、肝心かなめのキシさんが一体何者であったのかはよくわかっていない。 そのキシさんが言っていたことは断片的にいくつか覚えている。「生涯賃金が全然違うから正社員になったほうがいいよ」とか「履歴書の名前は丁寧に書いたほうがいいよ」とか、

          「エアコンが効いているところでだらだらしていればお金がもらえる仕事」で満足できるのか

          【育児】娘にはすでに「このおもちゃは私のものだ」という意志があるっぽい

          私が小さかったころ、車のおもちゃである「トミカ」でよく遊んでいたものである。 その際に父親がやってきて「ちょっと見せてよ」と、トミカを一台すっと取って眺めていた時、私は心の底から「それは俺のおもちゃだから早く返してほしい」と思いながら、気の弱い私は何を言うこともなくただ父親が「奪った」トミカをまじまじと眺めていたものだった。 これは物心ついたころ、たぶん幼稚園ぐらいのときの話であるから、年齢にして4~5歳のころだ。振り返ってみればあのころには間違いなく私の中に「このおもちゃ

          【育児】娘にはすでに「このおもちゃは私のものだ」という意志があるっぽい

          若いころと年を重ねた時とで夢の重みは違う

          以前も取り上げた、お世話になっていた先生の話である。 先生に感謝の手紙をお送りしたとき、私は誤って便箋を2枚重ねずに送ってしまったことがあった。目上の人に対する手紙では失礼な行為のひとつだが、その際に先生からの手紙でお叱りを受けたことがあった。 そのとき、「君は記者であるから言っておくが、社会常識を知ってあえて踏み越えるのと、知らずに踏み越えるのとでは大きな違いがある。記者という仕事は社会常識を知りながら、あえて踏み越えることが時には必要な仕事だ」と書いてあった。 すでに物故

          若いころと年を重ねた時とで夢の重みは違う

          小説みたいな現実って本当にある

          「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、人生を振り返るとごくまれに「事実が小説より奇」だったことがある。 いまでも「こんなことあるのか」と思ったのは、2006年の夏の甲子園の決勝戦である。 端正な顔立ちで「ハンカチ王子」として一躍有名になった斎藤佑樹擁する早稲田実業と、夏の甲子園三連覇のかかる田中将大擁する駒大苫小牧の試合だ。 もとよりメディアの報道が過熱して盛り上がっていたのだが、決勝戦は引き分け再試合となり、再試合となった決勝ではマウンドに斎藤投手が立ち、駒大苫小牧

          小説みたいな現実って本当にある

          志ある方が「行政手続き」に苦労しているのは社会にとって損失が大きすぎる

          手術の練習に使うための子供の心臓の模型を作る会社の社長さんからお話を伺う機会があった。もともとものづくりを手掛けていた会社だったが、ひょんなことから心臓の模型を作ることになったという。 日本で様々な規制が多いことはよく知られているが、医療の分野ではとりわけ規制が多い。 医療者が手術の練習をするためのものであるため、国に「販売してもよいか」という薬事承認を得なくてはならない。 この薬事承認を得るという手続きが極めて面倒くさく、我々が想像する以上の役所の「たらい回し」に苦しめら

          志ある方が「行政手続き」に苦労しているのは社会にとって損失が大きすぎる

          取材を受けてもらえるのは会社の看板のおかげである

          ふと思ったのだが、大手メディアの記者は、基本的に断られる経験をあまりしていない。 取材を申し込めば「ぜひ」と相手も乗り気であることも多い。いうまでもないが、それは当然取材先もパブリシティという形で利用できると考えるからである。都合が悪いものではない限り、基本的にウェルカムな状態で受け入れてくれる。そうでなくともとりあえず相手にしてもらえることは多い。 断られたり無下にされる経験を知らないと、人は往々にして生意気な態度をとる。場合によってはいたく横柄になったりしてしまう。 記

          取材を受けてもらえるのは会社の看板のおかげである

          鈴鹿サーキットに行ってF1生観戦をしてみた〜後編〜

          鈴鹿サーキットは三重県の「稲生」という駅の近くにある。降り立ってみると結構な田舎だ。 駅から20分ほど歩くと鈴鹿サーキットが突如あらわれる。レースを控えてか露店やショップが並んでおり、余裕で2時間くらいの暇つぶしができる。 円安の時代だからなのかモータースポーツだからなのか、外国人がやけに多い。日本人があまり目につかないくらいであった。余談だが、トイレが異常に混むので名古屋などでトイレを済ませておくのが吉である。 モータースポーツはスタートの瞬間に我慢できないくらい異様にテ

          鈴鹿サーキットに行ってF1生観戦をしてみた〜後編〜

          鈴鹿サーキットに行ってF1生観戦をしてみた〜前編〜

          私にはいくつかの夢がある。 大小様々あるのだが、そのなかに「生でF1を見る」というものがあった。 私は運転は下手なのだが自動車がまあまあ好きで、「グランツーリスモ(GT)」というプレイステーションのゲームにハマったのが契機である。 他の自動車ゲームでは架空の車で架空のコースを走るものがほとんどだが、そうしたなかでGTは実在する車で実在するコースを走ることができることが幼心に実に感動的で、どっぷりはまったのだ。 GT4になると日本にあるコースも多く走れるようになり、「筑波サ

          鈴鹿サーキットに行ってF1生観戦をしてみた〜前編〜

          「好き」の原体験を探る

          そういえば、ことあるごとに文章を書くのが好きだ好きだと言って憚らない私だが、そもそも文章を書くのが好きになったきっかけはなんだったのだろうか。 仕事をする前、大学の時分には暇を持て余してつたない小説を書いたことがあった。どれも陰鬱な作品ばかりで小説とは人間性がよく出るものだと我ながら感心したものだが、同時に小説を書く作業というのは苦難以外の何物でもなく、おそらく私には向いていないのだろうと半ばあきらめてこんな調子でエッセイやコラムのようなものを書き散らすようになった。 文

          「好き」の原体験を探る