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やさしさで、できてなくてそれでいい。

「放課後、帰宅中の児童らが、彼等の近くを歩いていた障害者の方の歩き方を真似して笑っていた、これは如何なものか、学校できちんと指導してほしい」

という内容の電話が学校にあったらしい。

昨今は悪戯な子ども達のしたことを大人がその場で叱って諭すとうっかり「声かけ事案」として警察署に通報されてしまいかねない。電話の方はそれを知っていて直接注意をせず、小学校の方に注意の電話を入れるという判断をされたのだろう。

それで朝、登校から1時間目の隙間の時間に「自分とはやや異なる体を持っているとか、違う動き方をする人のことを真似したり、嗤うなどすることはヘイトである、恥ずべき行為である」という内容を優しくかみ砕いた言葉が教室にあるモニターを通して全校児童に語られた。それはしてはいけないことなんです、そしてこのことを今からクラスでよく話し合いましょう。

でも教室の前に設置された50インチのモニターに、いつもその辺を歩いている先生の顔がぱっと映り、画面越しに話しかけてくるのを面白がっている1年生には「障害者に向けた揶揄そしてそれの延長にあるヘイト」が一体どのようなもので何がそんなにいけないことなのか、それを明確な言葉にして互いに語ることはちょっとまだ難しい。それで担任の先生は小首を傾げる子ども達にこう言ったのだった。

「みんなのクラスにも、みんなとちょっと違う人、おるよな」
「あー、○○さん」

○○さんとは、うちの6歳の娘のことだ。丁度この時私は、娘の付き添いで廊下に立っていた。

娘には心機能障害がある。カテゴリ―的には身体障害者(取得している手帳が身体障害者手帳なのでこの認識で間違いはないと思う)で、普段は普通級と支援学級の両方を行き来し、普通級では常に酸素ボンベの乗ったカートを持って過ごしている。運動機能に問題がある訳ではないけれど心肺機能が他の子どもらよりかなり脆弱にできているので、長時間の歩行が難しく屋外での移動は電動車椅子を使用する。

「みんなとちょっと違うからって、みんなが笑っていいなんてことはないはずやし、身体の不自由な人にはどうしてあげなあかん?」
「手伝ってあげるー!」
「大丈夫?って聞いてあげるー!」

先生と子ども達の『話し合い』は大体を要約すると、自分と違う、障害のある人には優しい気持ちで、思いやりの心で接しましょう、笑ったりするなんて一番いけないことですということだった。

優しい気持ち、思いやりの心、それは人間にとってとても大切なことだ。障害のある人を揶揄するなんてもってのほか。

実際にクラスの子ども達は娘にとても優しい、自分の体の2/3程の高さのボンベを運ぶ娘のために道を空けてくれたり、『せいかつ』の授業でアサガオの種を植える時、酸素ボンベの運搬で片手の空かない娘の植木鉢を運んでくれたり。本当に素敵な同級生だと思う、とてもありがたいことだなと思っている。

でも、この一連の会話の中には間違っている点がひとつある。

それは娘が、みんなの優しい気持と、思いやりの気持ちによって地域の公立小学校の普通級で授業を受けている訳ではないということ、さらに言えば、障害のある人が生きることは、地域の健常者の方々の思いやりと慈しみの心と優しさによって成り立っているものはないということだ。

このことを、悪戯ざかりの子ども達の無邪気な揶揄、それが結果的にヘイトになってしまった案件と同じ文脈で語ることはできない、というよりしてはいけないと思う。これはとても個人的な意見ではあるけれど。


かつて、障害のある子どもには「学校に来ても仕様がないのだし、別にこなくていいんですよ」という時代があった。就学猶予、就学免除という柔らかな言葉のもと、学習環境が整わないという理由で特に重心児と呼ばれる重度障害のある子ども達の多くは教育を受けられなかった。養護学校、現在の特別支援学校が義務教育であると定められたのは1979年、今から45年前のことだ、その1年前に生まれている私は、これを然程遠い昔の話だとは思わない。

重心児の就学機会の獲得、それは当事者とその家族と支援者、先人たちの闘争の証だ。

以後、今日まで重心児を含む障害のある子ども、ならびに医療的ケア児の就学と就学後の支援、そして合理的配慮は、それまでどこにも存在しなかった前例をこつこつ地道に作り上げてくれた先人の後をまた後に続く誰かが引き継ぎながら少しずつ、しかし連綿と途切れなくかたち作られてきた。

例えば、娘と同じような心疾患児だったある方は地域の小学校入学に際し「うちでは責任を持てません」と突っぱねられたそう。けれどその方のお母様が粘り腰の交渉を続け、ようやく入学を実現させたのだとか。その条件は日中の保護者付き添いで、お母様は1日も欠かさず我が子に付き添った。彼女はもう既に立派な大人であるけれどあの時のお母様の気迫はなかなかに恐ろしかったという、そういう方々が作った道の上にいま、小学1年生の娘は立っている。

だから、クラスのお友達が、娘のことを思いやってくれる気持ちは親としてとてもありがたくて嬉しいのだけれど、娘はみんなの思いやりの気持ちがあってここにいる訳ではなくて、そして障害があって可哀想だから優しくしてあげなければならない訳でもなくて、合理的配慮と介助者とその他色々を権利として有すみんなと同じ小学1年生なのだよと、そういうことを何となくでいいからわかってくれると嬉しいなと思う。

でも、こういうことをあまり声高に言うと、毎日一生懸命に子ども達のことを守り指導してくださっている先生に申し訳ないなとも思うし(第一彼女だって悪気がある訳ではないのだ、当事者側に立たないと分からないことはいくらでもある)、毎日廊下にそっと潜んで、逐一先生の言うことに耳をそばだてている私という保護者がいて、更にそれにいちいちモノ申すなんてことは相当イヤなことだろう、それくらいのことは教員じゃない私にだって簡単に想像はつく。

でも先生にもひとつ、考えてもらえたら嬉しいなと思う。

娘のような子どもの就学とそれにまつわる合理的配慮、更に大きな枠組みで言えば障害者福祉というものは誰かの優しい思いやりの心で形成されていない、というよりされてはいけない。

それは障害のある方とその家族と援助者が戦って勝ち得た権利であって、誰かの「お気持ち」ではないのだ。思いやりの心は大切だし私も個人としてはそれを忘れずに優しい心で生きていきたいものだと常日頃思うけれど、障害のある人を「誰かが優しくして初めて社会で生きていける人」にしてしまうと、それはいつか何かのきっかけでヘイトにくるりと姿を変えてしまう。

税金で生きているくせに
福祉の補助や年金で得をしているくせに
自分達の厚意がなければ生きていけないくせに

結局のところこういう言説は、思いやりの心こそが障害者福祉の根源であるという齟齬から生まれてくるのだ。同じ線上に立つ人間だと思っていない故であるともいうのかな。

娘は、みんなと同じ線上の人であって、それは色々できないことはあるけれど、掃除の時間に「いや、別にやらんでええで」と言われた机と椅子の移動も、片手に酸素ボンベ、片手に机を掴み気合でこなしているし、昨日昼にボンベの交換に来たら2つの机を同時に動かしたりしていた(そして椅子を派手に転がしていた)。

だからそんな特別に優しくなんてしなくていいし、大丈夫?っていつも聞いてくれなくてもいい。ただたまにいかんともしがたい時にだけ同級生として手を貸してくれたらとても嬉しい、代わりにきみの机を娘が運んだりはできるから。


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