学習とは、ひとつの領域での当たり前を突き詰めた先に、今までの当たり前の外側に出るために、自分をアップデートする営み。他者の学習を支える人は、自らがコンフォートゾーンの外に出て学習し続けられるかが問われる存在でもある。
収益のような「分かりやすい」数値だけで部門や個人の貢献度を決めることは、仕事の価値を測る難しさから逃げる行為だと思う。 自社の企業理念や行動規範、生み出す価値、実現プロセスを俯瞰的に見据えて、自分たちにとっての仕事の成果を定義し、説明責任を負うことがフェアな評価の一丁目一番地。
世界を広く深く理解しているような思い込みから、自分の当たり前が世界の全てという暗黙の前提に縛られ、その延長線上にない視点や情報は存在しないものとして、他者の言動を抑圧していることを自覚できなくなる人たちがいる。DEI推進の本質はこのような環境を乗り越えていくことにある。
まもなく4月。 新たに社会人になる方も、新たに社会人となる仲間を受け入れる方も、働くって何だろう?という意味を自分なりに考える時期かもしれません。 かなり以前のものですが、ちきりんさんのブログはとても共感できるメッセージです。 https://chikirin.hatenablog.com/entry/20120328
ものすごく共感。時間がかかることもある、と受け容れることが長期的な歩みのなかでは大切だと思います。 https://www.instagram.com/p/C3BbabXhKFW/?igsh=MWJ5NjVkZmZxYXlrZA==
山口周さんの言葉。「自分らしい働き方」を追求できるのは、まず自分らしさを投げ打ってまっしぐらに働く段階を経てから、と。その通りでもあるけれど、同時に「自らの意志で、自ら考え行動する」ことを習慣づけておくのも大切だと思う。 https://twitter.com/shu_yamaguchi/status/1779659781466378290?t=9pbRA8yhawKtNbpI1obBdw&s=19