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運動するデメリットもある

私は日常的に運動するようになって良いことばかりありました。中年が運動を始めるんだから良いことばかりなんです。血流は良くなりますし、筋肉量は増えますし、メンタルも屈強なほどに安定します。軍事的なほどです。軍事ヘリに乗ってパラシュートで降下出来る気すらします。私はベースは心配性なんですが、運動によってセロトニンが出ちゃってるので不安や心配を感じることが少なくなりました。

いやしかし!

私の創作人生を思い返してみると、大きな評価を得られた作品は、メンタルが少し病んでる時に作られたものが多いんです。メンタルが病んでる状態というのはセンサーの感度が高い時です。カメラで言うとISO12800ぐらいでしょうか。薄暗くてもしっかり映る感度です。でも、ISO256000みたいな暗視カメラみたいな感度ではありません。

メンタルが病んでる時は、社会で起きていることの裏側をしっかり見ようとしますし、真実とは何なのか、人生は何なのかと追求しようとします。

さらに、なぜ自分はこんなに弱いのかと自分の内側にも意識が向かいますし、その弱さを受け入れられずに抗います。そうやって抗う過程で、自分なりの解決方法を見つけたりします。

そして、感度が高い時は一般的な考え方を疑いますから、創作するにあたっても他とは違う観点からの作品が出来て、ディティールもよく見えるのでクオリティも上がります。そうやって出来た作品は必然的にいい作品になるんです。

いやしかし!(2回目)

運動を習慣にするとメンタルが軍事レベルに安定してしまいます。軍事レベルに安定したメンタルで繊細な作品が作れるでしょうか?投げても壊れない金属で出来た業務用の農器具みたいな感じです。トラックの荷台に放り投げても80年壊れない農器具です。

それは実感としてあるんです。メンタルが安定してる時は「うわ!何の危機感もない!」と思います。社会に対する義憤も弱く、良くも悪くも「なんとかなる」と思ってしまうんです。

そこから「私が作品を作って世の中に一石を投じる必要なんてない。人類は賢い。人類が木から地上に降りてから今まで、十分に良くやって来たじゃないか。」と思ってしまうのです。

そこまで鈍感になってしまうと作品は作れません。

歴史に名を残す芸術家が結果的に自殺してしまう理由は分かります。センサーがギンギンに高いんです。「箸が転がっても笑う年頃」などと言いますが、そういう人は「箸が転がっても死にたいメンタル」なんです。そうやってセンサーのメーターが振り切れてる人は普通の人には見えないものが見えているんです。だから、とてつもない作品を残すんです。本人の幸福感はかなり弱いですが。

才能があると言われている人でメンタルを病んでいる人は多いんですが、実はそれは逆で、メンタルを病んでいるから才能があるような結果を残してしまうとも言えるんです。

さらに言うと、メンタルが安定している時は成功がそれほど嬉しくないんです。例えば、映画祭で受賞したのと「痩せて若く見えますね」と言われるのと、喜びにそれほど差がないと言いますか。だから、血反吐を吐くほどの苦労をしてまで映画祭を目指さなくなるんです。SNSに気の利いた写真をアップして、いいねが100個つけば承認欲求が満たされます。

ほら、もうメンタルが安定した人間はダメ人間なんですよ。本人の幸福感は強いですが。

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