見出し画像

死後について

死んだら全部終わり!生まれ変わりとか輪廻転生とか多分ない!あったとしても何の意味もない!死んだ後に残された周りの人たち?関係ない!もう死んでるから。周りの人が悲しむ?君に関係ないよ。もう死んでるから。死んだ後ってどうなるのかな?なにも残らない。消え去るだけ。死んだら周りの人が悲しんでも、何も思わない。てかなにも思えない。もう死んでるから。現世しかないんよ、結局ね。ゴッホも意味ない。死んだ後に褒められたってなにも嬉しくない。嬉しいって感じる機能がもうないから。死んでるもの。

と私の心が叫んでいる。

心は勝手なものなので、根拠なく好き放題を言ってくれる。たまには心に付き合って、あくまで冷静にこの問題について向き合ってみようかなと思ったので、わたしは筆を執ることとした。

とりあえず調べて見た。どうやらアメリカに生まれ変わりについて研究している酔狂な研究者がいたらしい。彼らによれば、50年に渡り40カ国を調査したところ前世の記憶を持つとする2600ものデータを入手したとのこと。しかしながらこの前世の記憶は、8歳までにほとんど消滅してしまうらしい。すなわちこの調査は、基本的に8歳以下の知能が未発達な子供に「生まれ変わりについて研究するほど生まれ変わりに対してロマンを抱いた研究者グループ」が行ったものである。あまりにも信用ならない。私も子供の頃はよく騙されていたものだ。悪いことをしたらナマハゲが来ると。残念ながら悪いことをしてもナマハゲは来なかった。大人の思い通りに動かされてしまう年齢である訳だ。50年に渡り40カ国で調査をして2600というデータもまた絶妙である。2600人くらいは前世のことを刷り込む親がいそうなものであるし、2600人くらいは前世を覚えているフリをする少年少女がいそうなものであるからだ。まぁこの調査の信憑性の話はここまでにしておこう。しかしまぁ鵜呑みにするのはどうかと思う調査であるなという印象は拭えない。そしてそんなことより何よりも、前世の記憶が8歳までに消滅するのであれば、仮に前世の記憶があったとしてもあまりに意味がない。肝心な時に役に立たない。流石にいらなさすぎる。

次に輪廻転生だ。六道輪廻が一番有名であろうか。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道のどう見ても辛そうなものと、人間道、天上道のそこそこ良さそうなものの2つから構成されているのが六道輪廻である。サクッと調べただけなので、正しいかは知らないが、どうやら地獄道は罪を償う必要のある魂の転生先であり、餓鬼道は己の欲求を満たせない餓鬼になるべき魂の転生先であり、畜生堂は人間に使役されるべき家畜になるべき魂の転生先であり、修羅道は自分自身との戦い、試練が必要な魂の転生先であり、人間道は人間界で生まれ直すべき魂の転生先であり、天上道は人間より優れた神になるべき魂の転生先であるらしい。そしてどうやら餓鬼道と地獄道に送られた魂は、転生後にも永遠に苦しみながら生き永らえることになるらしい。だとしたらあまりにも数が合わない。地獄道と餓鬼道からは帰って来られないのだとすると、地球上の生命体は減少の一途を辿るはずである。それどころか、地球が誕生したその日が最大数値であるはずだ。しかし地球ができた頃は当然のようにまともな生物が住める環境ではなく、生命体数は多くなかったことが推測される。減る一方のはずの生命体が増えてしまっては理屈が通らない。まぁしかし、何らかの奇跡で魂の数が増えて輪廻転生がある可能性が万に一つくらいはあるので、輪廻転生の有無については置いておきたい。そんなことよりも何よりも、どこを探しても輪廻転生を覚えているという記録がない。誰も覚えている人がいないと言う訳である。覚えていないのであれば、転生したとしても全然意味がない。結局どこに行っても1回目だ。肝心な時に役に立たない。流石にいらなさすぎる。

死んだら周りの人たちが悲しむだろうなと考えたことのあるエゴイストな君達についても考えていきたい。ちなみに私も、死んだら周りの人が悲しむだろうから極力生きていようかなと思って生きている。根っからの悪人ではなく、普通の感性を持って生まれ育っていれば、極力周りの人を傷つけたくないという考えに至っているだろう。生きている私の思考は間違いなくそうであるし、私の周りにいる人々や、これを読んでくれているあなたもそういう考えを持っていると思う。生きている私達はそう考えている訳である。
では死んだ後は?
我々は脳で色々なことを考えながら生きている訳であり、思考や感情も脳が司っている。脳が機能しなくなった死後は?残念ながら死後の私達に思考も感情もない。その機能が停止しているから。生きていた頃の我々には大切だったはずの、?死後の周りの人々であるが、死んだ我々には大切にすることが出来ない。その機能が停止しているから。いくら相手方の記憶に自分が残っていたとしても、自分の意識が消滅してしまった以上、自分には関係のない話になってしまう。生前、周りの人々にどれだけ何を残してあげたかったとしても、なんならもし仮に何かを残してあげられたとしても、死後の自分には知る由もないし、関係もない。同様にゴッホも、死後いくら褒められていたって知る由もなければ関係もない。彼は賞賛されることなく人知れず死んでしまった。彼が知り得るのはここまでである。今を生きる我々だからこそ、ゴッホはスゴイと知っている。今生きる世界でのゴッホの賞賛のされ方を見ているからこそ、死語とはいえゴッホも報われてよかったなぁなどと思ってしまうが、彼の人生は賞賛されずに終わっているしこの賞賛は彼に届かない。届く由もなければもう死んでしまった彼には関係もない。

という具合に、今日は私の心の叫びをひたすらに正当化するコーナーであった。思想の押し付け&宗教批判のコーナーみたいになってしまったが、本文章で私が言いたいことはそういう事ではない。別にひねくれたかった訳でもない。私が考えるに、どんな人でも等しく今世は今世で完結する。死んだら何もない。死んだら今生きている世界とは無関係になる。どうせ結局死んだら何も残らないのだから、今世は全力で今世を生き抜く。別にどんな道を進んでどんな生き方をしても自由だが、今世に忘れ物だけはしないように、生きていくことの必要性がある。こんな具合に上手くまとめておく。

あとがき

勢いだけで書き始めたんよこれ。ノープラン。ふとした瞬間に「生まれ変わったら俺、何してんねやろな」と思ったんよな。26歳。まだ若いけどぼちぼちええ歳よ。同じように育ったはずの友達もいろんな道行ってる。ええ会社に就職して真面目に頑張って出世してる奴、海外転勤なった奴、ええ会社辞めてインセンティブ型の営業で勝負に出た奴、なんか知らんけど社長なってる奴、行方不明になってしまった奴、同じホストしてる人でもアホみたいに売れてる人、そこそこ売れてる人、売れてないけど頑張ってる人、行方不明になってしまった奴、友達みんなどんどん結婚していくなぁ、そういえば謎のアプリ開発してた奴もおったぶっちゃけあんま使い勝手良くなさそうやったけど、まだ大学院で熱心に研究してる奴もおったか、前いた会社を辞めた奴、前いた会社で引き続き頑張ってる奴、そういえばガルバ作った奴もおった、単身でマカオ行ってポーカープロ始めた奴もおるなぁ、ほんまいろんな人生を見た。どの道を10年前の俺には歩めた道、選べた選択肢なんよなぁ。その中でいま、好き放題やるこの道を歩いてるのも、それを選んだのも自分。とか物思いにふけってるときに思ったんよな。『そういえば俺、生まれ変わった奴って見たことないわ』って。輪廻転生した奴も見たことない。えてか死んだらどうなるんやろな。どうもならんか。みたいなテンションでここまで書いてきたった。まぁ結局、今世とりあえずやるしかないかぁって感じやなぁ〜。みんな頑張ろ〜!読んでくれてありがとう!またね!!!😳


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?