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ちょっぴりの「おなじ」がうれしい

ワークショップの最初に、ちょっとしたワークをいれようと思う時、手軽に実施できるのが「共通点探し」です。2~4人くらいのグループで行います。グループの人同士の共通点をなるべく沢山探してね、というゲームです。

共通点は、本当に、何でもいいのです。
兄弟姉妹の一番上。末っ子。犬か猫なら犬が好き。洗濯が好き。散歩が好き。朝のニュースは●チャンネル。中学校で軽音部だった。逆上がりができない。クツが黒。同じ●●線の沿線。今日ここまでバスで来た。朝はパン派。
などなど。
共通点を探す、というよりも、共通しそうな項目をいかに沢山思いつけるかの方が重要かもしれません。

まぁ、ゲームはどうでもいいのです。このゲームをやると、チームメンバーの距離感が、ぐっ、っと近くなります。だって、共通点を探すために、自分の好み、内面、生い立ち、出身地、得意不得意、昔のこと・・・と、お互いに自分をさらけ出していくのですから、お互いのことを、すごく詳しく知っています。そして何より「共通点」って、お互いの距離を縮めるのに、とっても訳に立つんですよね。

出身地が同じというだけで近しさを感じる。
共に第一子だと分かれば同じ苦労を分かり合える気がする。
同じスポーツ選手を応援していれば仲間意識が芽生える。

どれも「共通点」のおかげです。

今は多様性を大事にしよう、ということが言われるようになりました。「みんな同じ」ことは必要ではありません。同質な人だけで集うのではなく、多様な存在の人がいる方が強い、とも考えられています。
もちろん、その通りです。

人は、1人1人違う。違って当然の1人1人を均質化するのではなく、違いは違いのままで、個の良さとして認めていこう、という風に、社会の風潮が変わりつつあるのは、いいな、と思っています。

でも、1人1人違うからこそ、その中に、何か「同じところ」があると、嬉しくなるのではないでしょうか。お互いが繋がる接点、というイメージです。1人1人違う、という大前提があるからこそ、「ここは、お互いに強く共感できる」と思える部分があることが、嬉しいのです。

「共通点探しゲーム」は、同じであることを強要するためのゲームではなく、違うからこそ「同じ」が嬉しい、というゲームだったんですね。

他の人とつながるための接点になるものを、自分の中に沢山持っていたいな、と思うのでした。

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