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上手にグチを言える人と そうじゃない人がいる

上手にグチを言える人っていると思う。
〈上手に〉って言うのは、「あの人、よく話を聴くとグチなんだけれど、テンポがいいから、なんか面白い話みたいに聞こえるんだよねー」というような、周りの人にとっての〈上手に〉という意味ではない。

グチを言うことで、自分の中の、くろーいものとか、もやっとしたものとかを、ちゃんと外に出して、うまいこと残らないようにできること。イヤな感情を減らすことができる、と言えばいいのか。自分目線での〈上手に〉。

私は、それが、できない。

誰かにグチを言おうと思うと、相手の人に私のグチの内容が伝わるように、前後のいきさつとか、何が起こったとか、かいつまんで説明をする必要があるよね、って思ってしまう。だから、私が何をグチりたいのか、説明をするために、状況を頭の中で整理して言葉にする。
思い出したくもないイヤなことを、わざわざ丁寧に思い出して、まとめているから、グチを言う準備?をすることで、不快指数が上がってしまう。(状況が整理されてすっきりする、なんてことはない。)

で、相手に話す。ほとんどの人は「あーそれはひどいね」とか「大変だよね」とか共感してくれる。有難い。
とても有難いけれど、共感してもらうことで「あぁ、私のこの状況って、やっぱり人がみても大変なことなんだよな」と、自分の大変が承認されたような気がして、なんだか落ち込む。(←面倒な人だな。)
もちろん、共感してもらえずに「そんなのあなたの甘えだわ」とか「誰にでもあること」とか言われたら、それはそれで、落ち込むのは目に見えてるのだが。

グチを言っている自分の話ぶりが好きじゃない、という気持ちもある。はっと我に返ると、そんな自分がイヤになる。

それで、グチを言っても自分はすっきりしないタイプだな、と、やっと気づく。グチを言うハードルが上がるから、次に誰かにグチりたくなったときも、ちょっと身構えて、やっぱりあの「グチを言う準備をする作業」から始めてしまう。改善されない。

どうしたらいいのかな。

キレイゴトを言ってしまうと、グチではない方法で、〈もやもや〉を晴らせばいい。
もやもやは、ほっておく。それで、自分の好きなことしたり、嬉しいこと考えたりして、頭の中にHAPPYで満たしていく。そうすれば、いつしか、「もやもや」は押し出されるかもしれないよ、とかね。

でも。どうかな。人の頭の中って、そんなに、思い通りにはいかない。グチを言っている自分の話ぶりは大嫌いだけれど、それも自分だし。誰かに対するイライラする感情や、ちょっと意地悪な気持ちを持つのも、自分だし。

いつもいつも何もかもうまくいき、理想論の世界だけで生きられる訳じゃない。グチりたい程イライラする何かも、グチる時の自分の高圧的な話し方も、全部ひっくるめて現実。まぁ、しゃあないよね、と思うしかない。
そして、誰かにグチを聴いてもらって余計に落ち込む日もあれば、自分の中に抱えて悶々とする日もあっていい。

イヤなことを、何でも、すぐに解消しようと思わなくて、イヤなことを抱えながら生きていけばいい。というか、人はみんな、何かしらのイイことと、何かしらのイヤなことを抱えながら生きているんだと思う。

グチを言うのが苦手、というのは、パイナップルが苦手、と言うのと同じ程度の、まぁ、大したことのない話かもしれない。
いや、ここは、「かもしれない」じゃなくて、「大したことないよね」と、断言しておくことにする。
グチくらい言うのが苦手だからって、大したことないよ!

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