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マジパン思い出話第十九回 進んで、下がって、進んで、下がって

 少し時間を巻き戻し、2021年の暮れの話から。
 アイドルファン卒業を宣言しつつ、ワンマンライブの熱量に心動かされた僕は、ひとつのことを決意します。
 それは「『マジカル・パンチライン始めてみようかな』という人向けの簡単☆マジパンガイド」の再開です。

 もともとは旧体制時代、涙ながらの「横浜ベイホールを埋めたい」という沖口さんの訴えに対し、ファンとしてもなにかできないだろうかと考え始めたのがきっかけでした。しかし、アイドルファン卒業とともに、旧体制のまま情報更新を停止していました。
 ですが、このときのマジパンを見ていて改めて思ったのです。「やっぱりああいうページはあったほうがいいよなあ」と。
 このころは頻繁に現場に行っていたわけではないので、新メンバーの情報や特典会の今のレギュレーションなど、いろいろマジファンの方に教えていただき、12月1日に暫定版公開、翌2022年1月に正式版公開となりました。

 2022年最初のニュースは「Shiny Shoes」のリリースです。前述の通り披露は初ワンマン時ですが、満を持してのリリースとなりました。キャッチ―で可愛いメロディー、サビでの指差し、ノリのよいテンポと、まさに理想的なアイドルソングと言えるでしょう。新体制ではもっとも頻繁に歌われるうちの一曲です。
 そして、2月23日には待望の2ndフルアルバム「キラハピ☆THE WORLD」がリリースされます。今の時代、CDで、しかも単価の高いアルバムをリリースさせてもらえることがどれほど恵まれているか。メンバーにとってもファンにとっても、歓喜の出来事でした。
 可愛い、楽しい、という「キラハピ」をベースとしつつ、それだけに留まらない個性的な楽曲が収録された一枚です。個人的には「全編にわたって沖口さんの意向が反映されたアルバムだな」という印象でした。
 おそらく「クリスマスソング、ハロウィンソングがほしい」という要望で生まれたのが、「くっりっすっまっすっ」「Magical Zombie Night~いたずらしちゃうぞ~」でしょうし、楽曲に癖があったポニキャン時代の屈指の人気曲「108煩悩bomb」を今のメンバーでやってみたのが「Spotlight」でしょう。ONIGAWARAさんに制作をお願いした「あいわなびー」が、同じくONIGAWARAさん制作の人気曲「これから、私!」を受けて依頼されたものであるのも言うまでもありません。
 そしてもうひとつ特筆すべきは、はじめて沖口さん自身が作詞に関与した「ずっと …」でしょう。詞として、決してセンスがある言葉が使われているわけではありません。しかし、アイドルへの熱い気持ちを胸にまっすぐ進んできた沖口さんの歩みがうかがえるその歌詞は、ファンの心を打ちました。
 1月から2月にかけて、アルバムのリリースイベントが行われました。ワンマンぐらいしか現場に現れない僕ですが、一度はリリースイベントに顔を出すか、と2月13日、池袋で行われたリリースイベントに行きました。
 しかし、そこで目にしたのは、少々ショッキングな光景でした。
「……えっ、これだけしかいないの?」
 週末、池袋という好条件にもかかわらず、人が少ないのです。しかも、見知った顔ばかりで、女性ファンはたしか一人もいなかったんじゃないでしょうか。
 イベントそのものは、とても楽しかったんです。しかしそこには――誤解を恐れず言うなら――「腐臭」とでも呼びたくなるようなものが漂っていました。もう少し具体的に言うと「終わりが間近なアイドルグループが漂わせている匂い」です。ワンマンにしか足を運んでいなかったので、僕は気づいていませんでした。しかし当時のマジカル・パンチラインには、そういう危うい気配が濃厚にありました。
 奇しくも、沖口さんが苦しい本音を吐露したブログをアップしたのは、その一週間後でした。
「動員が減った」
 すでにLINEブログのサービスが終了してしまっているため、今はもう内容は読めません。しかし、リーダー兼プロデューサーの言葉で、はっきりそう綴られていたのをよく覚えています。三人の卒業以来動員が減っている、苦しい、それでも絶対にいいものを見せるから6周年ワンマンに来てほしい、と。
 思えばマジカル・パンチラインの歴史は、進んで、下がっての繰り返しでした。佐藤麗奈が新グループを立ち上げた直後は快調でAKIBAカルチャーズ劇場をパンパンに埋めてみせたものの、佐藤麗奈のスキャンダルで足踏み、復帰して動員が回復しつつあった中で、佐藤麗奈の卒業とポニキャンからの契約切れ。ドリーミュージックに移籍が決まり、新メンバーが加入し、ようやくポニキャン時代に追いついたと思ったら、コロナ禍によるライブの中止と三人の卒業です。
 進んで、下がって、進んで、下がって、進んで、下がって……。ファーストワンマンが新宿ReNYで、それから周年ライブや卒業ライブもことごとく新宿ReNY、ずっと新宿ReNYの規模から抜け出せません。沖口さんを筆頭にメンバーたちの心がよく折れなかったものだと思います。その根性は、尊敬しかない。
 しかし、流石にそれももう、ダメかもしれない。そんな危機感を持ちながら迎えたのが、2月23日の6周年ワンマンライブでした。

 横浜ベイホールでの新体制最初のワンマンライブでわずか11曲しか披露できなかったマジカル・パンチラインですが、その後、対バンライブやハロウィン・ツアーを経て、少しずつレパートリーが増えていきます。パフォーマンスが難しいポニキャン時代の曲も披露するようになっていました。
 しかし、ドリー時代の曲の中で、いまだに披露されないままの曲が2曲、残っていました。それは「マジ☆マジ☆ランデヴー」と「もう一度」です。前者は自己紹介ソングですから、分かります。しかし後者は、謎でした。あの六人でしか披露されない特別な曲なのではないか、このままお蔵入りしてしまうのかもしれない。そんな危惧をしていました。
 しかし、その封印が、この6周年ライブで解かれたのです。しかも、最大の見せ場であるロングトーンを、小山さんのパートを引き継ぐことが多かった歌姫、宇佐美さんではなく、沖口さん自ら歌い上げたのです!

 この衝撃のために一年間封印していたのだとすれば、策士・沖口優奈には諸手を挙げて賞賛を送らねばなりません。
 この日のライブがあまりに良すぎて、帰宅してそのまま僕は、二時間かけてろくに推敲もしないままライブレポを書いていました。今まで僕が見たマジパンのライブの中でも、あの日の「もう一度」は、屈指のパフォーマンスだった。そう明言してまちがいないでしょう。

※のちに多少推敲し、他のファンの方から写真もご提供いただき、よりライブレポらしくなった記事はこちら。

 今から思えば、あのときの「もう一度」が、僕の現場復帰の決め手になったように思います。前半はアルバムの曲順に披露してマジパンの世界観を示し、中盤で「もう一度」「今日がまだ蒼くても」でエモーショナルにぶち上げ、後半には益田さんのピアノ伴奏というチャレンジもあり、最後は「ぱーりないと!!」で楽しく締める。改めて、とてもいいライブでした。
 余談ですが、このとき特に推しがいなかった僕は、旧メンバー衣装がとてもよく似合っていた山本さんとツーショットを撮り、そのあと2回ランダム写メを回したら2度とも山本さんに当たる、というミラクルを起こしていました(笑)(すべてO田さんのせいです)

 4月からは、久々の定期公演「ONE TIME」が行われます。なにより心が強くなったのは、回を追うごとに少しずつ動員が増えていったこと。後半は(ギリギリではありましたが)何度かソールドアウトもしました。
 また、C;ONさんやTask have Funさんを招いたマジパン主催イベント「マジフェス」が開催されたのもこのころです。コラボやカバーなどでフェスを盛り上げ、対バン相手のファンにも好印象を持っていただける素敵なイベントだったのではないでしょうか。
 夏には、新曲「キラッとサマラブ」もリリースされます。夏のアイドルソングらしい快速チューンで、再生回数は過去最多の15万回を記録しました。
 秋には再びハロウィン・ツアーが開催されます。このときの最大のニュースは、沖口さんの病欠でしょう。あまり身体が頑健とは言えない沖口さんですが、特典会を休むことはあっても、ライブの欠席は初めて。しかもそれがツアー初日の仙台公演です。
 沖口さんの不在をカバーした4人の奮闘はこちらの公式Vlogをご参照ください。3人の卒業以来、涙を見せることがめっきりなくなった吉澤さんの号泣を見ると、いかに沖口さんの不在がプレッシャーだったのかがよく分かります。

 そのあとの東京公演での沖口さんの涙も合わせてご覧ください。

 また、このハロウィン・ツアーで初めて実施されたのが、バスツアーです。札幌、及び福岡で行われたバスツアーは、メンバーとファンの距離が近く、大好評でした。
 そうして迎えた東京公演も大盛況。そして、ついに僕はここで緑タオルを購入し、山本花奈推しを宣言します。
 個人的にとても印象に残っているのが、特典会を終えた宇佐美さんや山本さんが「みんなまた遊ぼうねー」と言って楽屋にはけていったこと。僕らは友達か(笑)と思わず突っ込んでしまったものの、今回はバスツアーもあったことから、それだけ彼女らがファンとの距離を近く感じてくれていると(自惚れながら)思った出来事でした。

 という具合にいろいろとあったマジカル・パンチラインの2022年ですが、その最後に、思いもよらない事件――とさえ言っていいでしょう――が待っていたのでした。
 それが、急遽決定した東京コミコンへの出演でした。コミコンが、マジカル・パンチラインにとってどんなものだったのかは、また次回。


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