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【UG】ゆうたろうやミニミニ長渕たちと共に戦い抜いた2日間! 24時間テレビ愛はモーヲタを救わなかった……

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PCのドキュメントファイルを整理していたら2012年に書いた没原稿が出てきた。あまりにもくだらなすぎて没になったんだけど笑、アイドル史をクロニクりながらも、結局はAKBを目の敵にしているところや、まだ、単なる後藤真希の一キモヲタだった2001年のぼくの気持ち悪さがにじみ出ているので、掲載するのも面白いかなと。ただ、そのまま投稿するのはさすがに読むに耐えないので笑、2020年現在のぼくのツッコミをつけて、アップグレード版として没原稿を蘇らせました。(※)から始まる注釈が2020年のぼくからのツッコミです。

AKB48がそれまでのアイドルの概念や偶像性を破壊。同時にCDは売れているのに曲は知らないという現象も起き始めた

2012年現在、リリースするシングルがいづれもミリオンヒットのAKB48。彼女たちは「会いに行けるアイドル」というキャッチコピーを掲げ、2005年に秋葉原の小さな劇場でデビューした。その専用の劇場で毎日公演を行うことで、そこに行けばいつでも会えるという「距離感の近さ」でファンを増やしていった。しかし「距離感の近さ」を売りにしていたのは当時はまったく日の目を見ない地下アイドル(今のような日の目を見ている地下アイドルではなく、文字通り路地裏のようなところでひっそり生息)の手法でオリジナルではない。そして当時の地下アイドルは今のような華やかさもなければ、従業員と変わらない扱いだったのでアイドルというより、正直、スナックのお姉ちゃんが歌っているようなものだった。それをおニャン子クラブを手掛けた敏腕プロデューサーの秋元康が巨大資本を基に、美人ではないがそれゆえ親近感を持てる子をメインに集め、制服を意識した明るく可愛らしい衣装、楽曲をコンペで選び、様々なメディアで露出させていくことで、またたく間にメジャーアイドルヲタクの心を掴んだ。また、シングルをリリースする毎に行われる握手会が、さらにヲタとアイドルとの距離を縮めていった。CDを買えば必ず好きなアイドルと握手できる、さらに買うCDを積むことはその推しのアイドルへの忠誠心にも繋がるという、射幸心を煽る悪魔的システムを発明。こうしてAKB48は一気に国民的アイドルへとスターダムにのし上がった。CD不況の音楽業界においても、シングルのミリオンヒットを次々と連発。CDをリリースする度に売り上げを伸ばしていったのは、この握手会システムによるところが大きい。社会学者の古市憲寿氏は、最近の若者の消費概念が物からコミュニケーションに移ったと分析している。

若者の消費概念がだいぶ変わりました。都心部で車を買うのは意味がない、外食でなく家でご飯を作ればいい、ブランド物を買って自己実現という感覚が理解できない。そんなふうに今の若者は思っています。そのかわり、携帯電話の通信費をはじめ、誰かとつながるための出費は惜しみません。握手券を売っているともいえるAKB48、遠足気分で買い物ができる会員制倉庫型店舗のコストコなどの人気も、そこにつながりやコミュニケーションを求める消費者意識が読み取れます。」(『PRESIDENT』(プレジデント社刊行)2012 5.14号 84p 古市憲寿)

古市氏によると、最近の若者は「モノよりコミュニケーション」に消費活動が移っているという。AKB48のシングルが相次いでミリオンヒットを飛ばしているのも、CDを買うと握手券が付いてくるという、実質的には音楽をパッケージしたものではなく、アイドルとのコミュニケーションを売っているからに他ならない。AKB48の握手会システムは、まさに時代の流れに合致したビジネスモデルだった。そしてAKB48を追うように相次いで生まれたライブアイドルたちもまた、CDに握手券を付けてリリースするというこのシステムを踏襲。その結果、今日のアイドル業界において、アイドルとヲタクの距離感はほぼなくなり、ヲタクは身近に推しのアイドルとコミュニケーションをとれるようになった。
(※2020年の地下アイドル業界においてはもうCDすら作らず、音源はYou Tubeに載せて、物販でCDやグッズではなく単に一緒にチェキを撮るというチェキ券なるものを売っているところが多数。基本地下アイドルは1ステージこなせるほどの経済力も楽曲数も集客力もないので、対バン形式で十数組ひとつのイベントに押し込められ、ライブ時間15分、チェキをヲタと一緒に撮る物販時間が2時間とか、もはやメインが完全にチェキを撮ることになっている。さらにチェキにはバックがあるので、全体的にキャバクラ化。ぼくが「偶像」としての敬意や崇めるような対象としての「アイドル」とは程遠くなってしまった。あくまでこれは個人的意見。そういう「アイドル」の方が好きというひとを否定しているわけではない)

当然「ステージの上と下」の区別も曖昧になり、アイドルの「偶像性」やプレミア感が無くなってしまった。AKB48以前のアイドル業界では、「ステージの上と下」ははっきりと区別され、あくまでアイドルはステージ上の手の届かない存在、テレビの中だけの「偶像」だった。だからヲタはアイドルを神格化して、それぞれの思いの丈を巨大掲示板などで熱く語り合っていた。なぜなら作られた面しか見てないわけだから、そこから細部に至る演出について議論し合ったり、妄想を膨らませて小説やら自分と推しが会話している形式のテキストサイトなどを作ったりと、ヲタもある種クリエイティブであった。当時のモーヲタは受け手でもありつつ、クリエイターでもあった。有名なところで言えば、RHYMESTERの宇多丸さん、ロマンポルシェ。の掟ポルシェさん、pixiv創業者の永田寛哲くんなど。親しみを込めて書かせてもらっているのは当時、ぼくはみなさんと直接会っているからだ。特に永田くんに関しては、pixiv子会社のユービックという編集プロダクションに呼んでもらったことで、ぼくがアニメ・声優系の職業ライターとなるきっかけを作ってくれた。
(※最近、元NEWSの手越くんが辻ヲタだったというのをカミングアウトしていて、無駄に親近感を覚えたのは言うまでもない)

掲示板で議論されている中で一番異彩を放っていたのは、某アイドルメンバーは「うんこするのか?しないのか?」問題。実にくだらないんだけど、何年も「するよ派」と「しないよ派」の間でその真偽について論じられてきた(一見もなにもアホな議論なのだが、中には多くの哲学書やSF小説を持ち出して思わず唸らされる説を唱える奴がでてきたりと、力を入れるところを明らかに間違えた変態クリエイターたちの巣窟でもあった)。そんな感じでアイドルとはヲタにとって同じ人間として並べることはできない、ある意味絶対不可侵の神にも近い存在だった。だからこそ、突発的に行わる握手会はまさに天変地異。神秘体験と言っても過言ではなかった。

ここではそんな時代、2001年夏の『24時間テレビ 愛は地球を救う』において企画された「目指せ10万人!握手リレー」で、モーニング娘。が参加した時のとあるモーヲタの、本来の目的から外れた謎の一体感をお届けしたい。

テレビで映っている部分はほとんどがまやかし。本当に苦労しているひとたちには日が当たらない

日本の夏の風物詩ともなっている日本テレビのチャリティー番組『24時間テレビ 愛は地球を救う』。2001年は8月18日、19日の2日間に渡って放送され、メインパーソナリティにモーニング娘。、えなりかずき、今田耕治を迎え、研ナオコがマラソンランナーとして選ばれた。日本テレビに協賛する各地の企業やショップには募金箱が設置。本部の日本武道館では、「目指せ10万人!握手リレー」と題し、武道館のステージを横切る形で長テーブルと募金箱を置いて、募金をしてくれたひとに芸能人たちが握手をするという企画が行われた。

当然、モーヲタたちの関心は、モーニング娘。がその握手リレーにいつ参加するのかということだった。当時、彼女たちは国民的アイドルでテレビの中でしか会えない存在だった。

日本は本格的な就職氷河期に突入し、世紀末を過ぎても一向に先行きが見えない不透明な社会。でも、なんとなく将来は明るくなるだろうと問題から目をそらしながら、カラオケなどでは若い子からおじさんまでみんな「LOVEマシーン」など陽気に歌い、テレビやステージの彼女たちの輝きに未来を夢見ていた。

「ステージの上と下」がはっきりと区別されていた時代であり、コンサートに行っても、代々木競技場第一体育館の客席から見るステージ上のメンバーたちは米粒よりも小さかった。そんな雲の上の存在であったモーニング娘。が、こんな企画の握手リレーに参加するのだろうか?いや、でもメインパーソナリティだしもしや?……そんな議論がモーヲタの主な活動場所である2ちゃんねるの狼板では大いに議論を呼んでいた。そんな中、スタートした18日の「握手リレー」。開始時間である18時30分に事件は起きた。なんとしょっぱなからモー娘。が笑顔で握手をしている姿がテレビで放映されているではないか!「え、マジで握手できるの?」そう思ったモーヲタたちは武道館に殺到。またたく間に皇居内堀に沿って長蛇の列が形成するほどとなった。

後藤真希ヲタのNもそんな情報を聞きつけて並びに来た一人だった。
(※他人事のように書いていますが、NとはねりなのN。つまりぼくです笑)

Nが武道館に到着した時には内堀通りに沿って延々と列が続いていた。2000年に日比谷公会堂で行われた「ファミリーマート主催・モーニング娘。『パラダイスイベント』」(当時、まったく握手できなかったモーニング娘。の他に、カントリー娘。、メロン記念日全員と握手ができて、写真撮影タイムもあるというまさに夢のイベント)を逃したNにとって、これは絶対に逃せないものだった。トップアイドル後藤真希と手が触れ合えるという信じられない体験が、ここ武道館でまさに今行われているのだ。こんな機会はもう二度と来ないに違いない。
(※こんなキモヲタしかわからん詳細情報の羅列、完全に書いているやつがN自身ですやん!ってわかる下手っぴで赤っ恥な文章笑)

そんな思いで頭がいっぱいのNには、並ばないという選択肢は当然なかった。田安門をくぐり抜ける頃には20時を過ぎていた。並び始めて2時間以上かかってようやく武道館の中に到着。Nは用意した募金を片手に高鳴る鼓動を押さえられずにいた。

「あこがれのごっちんと話すことが出来る!」
(※後藤真希は世間的にはゴマキと呼ばれていたが、本人はごっちんという愛称がいいとテレビやライブなどで公言していたので、ヲタはみんなごっちんで統一してた)

期待を胸に、募金箱が置かれている長テーブルの前にやってくると、後藤真希はおろかモーニング娘。のメンバーは一人もいなかった。それどころか普通の芸能人すらおらず、そこに立っていたのはものまね芸人たちだった。長渕剛のものまね芸人のミニミニ長渕、石原裕次郎のものまね芸人のゆうたろうなどといった面々。彼らはものまねをしながらコミカルに握手をしてくれたが、もはやNにはそれを笑う気力もなかった。2時間以上根気強く並び続けたのも、ひとえに後藤真希と握手ができると信じていたからだった。それがこんな無残な形で、一瞬にして打ち砕かれたのだ。絶望感は半端なかった。半泣きになりながら武道館を後にしたNだったが、聞けばこの「握手リレー」は明日も行われるという。だったらまだまだチャンスはある。今日はたまたまそっくり芸人たちだけが居ただけのこと。明日に賭けよう。Nは次の日も朝から並ぶことを決意した。

19日、Nは早朝8時に武道館にやってきた。
(※今と違ってすごい行動力があったんです)

一人では心もとないので大学の友達O(辻ヲタ)も誘い、一緒に並ぶことに。まだ早い時間ということもあって、1時間かそこらで武道館内に入ることができた。しかし、募金レーンに到着すると、またもやものまね芸人たちばかり。「やはりモーニング娘。と握手なんてできないんじゃないのか?テレビで放送されたのはあくまでヤラセじゃないのか」そんな悲観が込み上げてきたが、なんとレーン後方には紅一点、安達祐実がいた。ものまね芸人だけではない、普通の芸能人も「握手リレー」に参加していたのだ。この事実はNを勇気づけた。

「まだ今日は長い。何度か並べばいつかごっちんがいるはず!」

希望を胸に抱き、出口から出ると再び外の列に並び直した。時間は9時半を経過。徐々に列が伸びてきた。並んでいる途中で、石川梨華と握手出来たというヲタたちが武道館横手の出口からとろけた表情をしながら出てきた。Nはモーニング娘。と握手できたヲタがいることに励まされながらも、同時に並んだタイミングをミスったことを後悔した。1時間半ほどで武道館内に着く。Nを迎えたのはまたもやものまね芸人たちだった。ゆうたろうが石原裕次郎の渋い声マネをしながら「ありがとう」と握手をしてきたので、内心「またお前か」と毒づくも、彼らも仕事でここに立っているのだ。無下にするのも大人気ない。そんな気持ちも芽生え始めてきて、Nはようやくゆうたろうと目を見て握手を交わした。ゆうたろうの渋い笑顔がそこにはあった。「まあいい。まだチャンスはある!」こんなことでへこたれるかという気持ちで、そのまま外の列に向かった。

時間は正午を回り、快晴の天気ということもあって気温は上昇。立っているだけで汗ばむ陽気となった。待機列もぐんぐんと伸び、最後尾は内堀通りを竹橋駅付近過ぎた辺りになっていた。Nがしばらく並んでいると、少し前の家族連れの会話が聞こえてきた。小さい女の子が父親に「辻ちゃん加護ちゃんに早く会いたい」と無邪気に話し、父親も「もう少しで会えるよ」とニコニコと返していた。「かわいそうに……」Nは素直にその子供に同情した。暑い中、延々と並んで待っているのは偽浜ちゃん、ミニミニ長渕といった子供からしたらそもそも誰のものまねをしているのかわからんおっさんばかり。「こんな小さな子供の夢さえ踏みにじるのか、日本テレビ!」そんな怒りすら沸々と湧いてきた。

汗を流しながらひたすら並んで募金しても、ものまね芸人たちとしか握手させてくれない日本テレビのやり方にNは頭に来ていた。案の定、またも募金レーンには偽松ちゃんや偽古畑任三郎たちが雁首揃えていた。単純作業をこなすように黙々と彼らと握手をして、再び並び直す。時間は14時を越えており、そろそろNにも焦りが出てきた。「自分がモーニング娘。と握手している絵が想像できない。このままものまね芸人と心中するのだろうか……」そんなネガティブな想像が頭をもたげ目眩がした。しかし、焦っているのは回りのモーヲタたちも同様で、並びながらラジオを片手にテレビの放送を聴き、中の状況を探る者や、電話をかけてテレビの放送がどうなっているか聞く者たちが続出。Nはラジオを持っていなかったが、近くのヲタが大きな音でラジオを流していたので、それを聴きながらやきもきとしていた。なんとかうまいタイミングで中に入れないものか。そっくり芸人たちだけではなく、モーニング娘。たちも僅かではあるが、握手レーンに居る時が確かにあるのだ。そのタイミングさえ掴んで入ることさえ出来れば……。Nは列をわざとゆっくり進んだり、時には早く動いたりと調節しながら歩いた。武道館内には16時に着いたが、それでもやはり握手をしていたのはものまね芸人たち。

偽浜ちゃんやミニミニ長渕が、疲労でへろへろになりながらモーヲタたちと握手をしていた。それもそうだろう。テレビでたまに「握手リレー」の模様が映っている時は、モーニング娘。たちが笑顔で握手をしていたが、テレビに映っていない大半の時間は彼ら、ものまね芸人たちが募金に来た人たちとずっと握手をこなしていたのだ。10万人を越しているであろう募金者たちと握手をしていればどんな超人であろうと疲れる。ましてや、ほとんどの人たちがモーニング娘。が目当てであり、彼らと握手をして喜ぶ者など皆無。むしろ敵意の目すら向けられる。これだけ握手をしても喜ばれないというのはどれほどの苦行なのか。Nも正直、彼らのことをハズレだと思い、会う度にイライラしていたが、よくよく考えると彼らはまったく悪くない。むしろ、こういう損な役回りを彼らに押し付けた24時間テレビのやり方こそ悪なのではないか。外に出て列に並び直すと、時間は17時を過ぎていた。観覧している内通者と連絡を取っていたヲタが、モーニング娘。はずっとステージにいて、もう募金スペースには戻らないと嘆いていた。他にもラジオで中の様子を聴いていた者も同様の落胆した顔をしていた。

「もう、モーニング娘。と握手は出来ない」そんな諦観が列全体に漂い始め、やがて一人、二人と列から離れていき、長蛇だった列はあっという間に霧散して人がいなくなってしまった。元々、モーニング娘。が目当てで並んでいる人たちばかり。当然と言えば当然の成り行きである。しかし、Nはそのガラガラになった列にまだ並んでいた。なぜ?モー娘。はもういないのに?……単なる未練?いや、そうではなかったのだ。

テレビには決して映らない愛がそこにはあった!

Nはこの「握手リレー」を2日間共に戦った戦友に挨拶するために武道館に向かった。

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募金箱の前に行くと、他のものまね芸人たちが軒並みダウンしていく中、ゆうたろうは悠然と立っていた。しかし、差し出されたゆうたろうの手を見ると、今までの握手で手がパンパンに腫れ上がっていた。Nは言った。「今日はお疲れ様でした!」すると、ゆうたろうは「君も一日お疲れ」と苦味走った笑顔で答えた。もちろんNだけではない。この時間帯にはゆうたろう他、ものまね芸人に敬意をはらうヲタたちが気持ちを込めて握手を交わしていた。テレビでは決して映らない美しい共闘関係が、そこにはあった。そう、共通の敵は日本テレビ。今後、24時間テレビについて語る時は、偽善だ!芸能人のギャラの方が募金額より高いじゃねーか!公共の電波を無駄に使うな!などとボロクソに言いまくってやろう。そう決意した。
(※24時間テレビをぼくはその後20年間、嫌ってきたが根本にはこういった私念があったようだ。これを発掘するまですっかり忘れていた笑)

当時国民的アイドルとの握手は、それほどありえない奇跡のようなものだった。Nが後藤真希と握手することができたのは、それから2年後の「抱いてよ!PLEASE GO ON」というシングルの発売記念握手会だったとさ。
(※このリリイベ時は既にぼくは後藤真希本人と友だちになっていた。でも後藤真希の友達とは、誰よりも後藤を表でも応援しなければならない騎士でなければならない。だから普段も会っているが、鬼のようにCDを買い、姫の晴れ舞台を何度もループして祝福。当然、東名阪の遠征も行って握手した。姫とは、ぼくらの間の後藤真希の愛称。当時、ぼくは姫と真希ちゃんの半々を使って呼んでいたと思う。

ちなみに、2001年のこの武道館で握手できなかったことが尾を引いて、それまで頑なに後藤のお母さんがやっている居酒屋「袋田の滝」に行くのを拒んでいたが、この年の冬に足を運んでしまった。ご家族のプライベートな場所にヲタが行っていいわけがないという罪悪感があった。

しかし、お母さんがとてもオープンな方で、居心地がよくなってしまい笑、それから一週間に2回くらいのペースで通うようになった。お店にはよく本人が立ち寄るなんて話を聞いていたが、通い始めて半年経ってようやく初めて店に降臨したのを見た。が、あくまでお母さんのお店だし、常連さんの前でがっついてはいけない、目立ってはいけないという気持ちがあった。実際、がっついた奴は常連さんから排除されたりしていたから、目の前に神が降臨しているのに、座敷席でぼくは目の前にいる常連ヲタと、さも何事もなかったかのように話していた。神がすぐ側にいるというのに!しかし、同じ空間にいるだけで幸せだった。がっつくなんて滅相もない。ただ、当然ながら目の前のヲタの話はまったく耳に入ってなかった笑。店常連となってからも、度々本人はお店に降臨したが、がっついたことなど一度もなかった。話しかけられなければ話さなかったから認知もされていなかったと思う。

書いていて思い出したが、初めて握手したのはファンクラブツアーでハワイに行った時だ。だから上の掘り出した文章の記載は間違っている。20万ほど出してハワイで握手したのが初だった。袋田の滝では握手なんてしたことなかった。当たり前だ。居酒屋で握手する場面なんてあるわけがない。袋田の滝はたしかにごっちん目当てで行ったけど、あくまでお母さんのお店なので、お母さん第一でお母さんのお酒にはよく付き合っていた思い出ばかり。お母さんには江戸川区の色々な個人居酒屋に連れて行かれたなあ。。あれはあれで楽しかった。だから、袋田の滝=お母さんのイメージ。姫と仲良くなったのはやはり、コンサートで良席を積むようになってからだ。ヲタは現場(ライブ)に足を運んでなんぼだよ、やっぱり)

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