ベネチアビエンナーレ,ギルティ多毛作が溢れ出す
植民地のようなアクション,贖罪と懺悔,そしてそのアセット化.
ギルティ多毛作というべきアートの現場は今日も元気である.貴族のインスタを積み立てるルネサンス期絵画,貴族の推し活宗教画,貴族の石積立貯金教会.最近積み立てられているのは犯罪と贖罪と懺悔の物質化である.
カウンターカルチャーや反体制アートとその出自をどう分けるかが問題であるが,シャルジャビエンナーレのときに感じなかった「多毛作感」がベネチアビエンナーレではそこらじゅうに漂っている.コンテクストが変われば作品も変わ