育児を一年やってみた感想

ここ最近、20時半を過ぎないと寝なかった娘が、珍しく19時半に寝た。
夕寝がなくなってどれくらい経つだろう。昼寝の時間を16時には切り上げないと、夜なかなか寝付かなくなったのはいつ頃からだったっけ。
今日は5月16日。明日で娘は1歳になる。一年前のちょうど今頃は、迫り来る陣痛に悶え苦しんでいる頃だな。痛みのピークはまだまだ先だよ、頑張れ。

この一年の育児生活の中で、私の場合3回の大きな挫折ポイントがあったので、今回はそれについてちょっと思い出しながら書いていこうと思う。

とはいえ、一年前というのは十年くらい前のようにも感じるし、昨日のようにも感じる。

あまりにもこの一年が濃過ぎて、ちょっと時空が歪んでいる。
今までの人生で一番泣き、一番笑った一年だった。


初めまして赤ちゃん、対よろです

3時間おきの授乳が、本当は3時間おきじゃないって知ってた?
それは、義務教育でも新人研修でもたまごクラブでも教えてもらえなかった事実だった。3時間はあくまで目安だった。授乳後、慣れない手つきでゲップをさせ、寝かしつけても寝かしつけても寝ず、バッキバキの目でこちらを見つめてくる赤ちゃんと格闘し、なんとか寝かしつけたのにもう次の授乳の時間だぁ✨は育児あるある大辞典すぎて書くまでもない。
寝ないと言うか寝る気のない赤子を揺らしまくってる時ほど「私今これ何やってんだっけ?」ってなることない。

助産師さん「赤ちゃんが自分の手を舐めていたり、口を動かしていたら、授乳の合図です。ここで頑張れば母乳量も増えます。あと母乳は赤ちゃんに吸われないと出ません」

うちの赤ちゃんは寝ている時以外口を動かしていた。授乳スパイラルの始まりである。そしてクソ真面目な私は、掟を守って一生授乳していた。産後ハイの私にとって、助産師さんの言葉は絶対だった。さらには私の母乳は馬鹿みたいに勢いよく出るスプラッシュタイプだったので、娘はよくむせこんでいた。出るならそれに越したことないじゃんと思うだろうが、後述する「絶望の哺乳ストライキ〜あんたどうやって生きていくつもり〜編」につながってしまうのである。

そして、授乳バトルだけやってればいいわけでもない。
寝かしつけバトルもまた、赤ちゃんとの戦闘における重要任務かつ心と体(特に肩と腕)が死ぬ任務である。
赤ちゃんに縦揺れ派と横揺れ派がいるって知ってた?保健体育の教科書載ってた?
ちなみにうちの娘は初手横揺れ→うとうとし出したら縦へシフトチェンジしないと寝なかった。だるすぎるだろ。また、赤ちゃんは首がすわるまで縦抱っこができないため、抱っこしている間ずっと横抱きしてなければならない。ちなみに赤ちゃんはパワハラ上司も退職に追い込まれるほど理不尽なので、座るとガチギレされるので立ってなければならない。腕と肩がマジで死ぬので、首がすわるまでは本当にしんどかった。ちなみに長時間立って縦揺れするのもしんどかったので、固定できるタイプのバランスボールがめちゃくちゃ重宝した。縦揺れ派赤ちゃんをお持ちの方、お試しくださいませ。

睡眠状態はどうだっただろうか。寝る時間はあっただろうか。あるわけねーだろ。
思い出しただけでも震え上がるほどの細切れ睡眠だった。新生児は長時間授乳しないと脱水になってしまうので、すやすや寝ていたとしても3時間おきに授乳しなければならない。うちの娘は割とまとまって寝てくれる方だったと思うけど、それでもアラームは3時間おきだった。
寝れない寝れないとは聞いていたけど、マジで寝れないとは聞いてない。人の生活って「寝ること」が1日のリセットボタンのはずなのに、リセットされる瞬間がいつまでも来ないので、1日が終わらない。区切りがない。それが恐ろしい。そりゃメンタルやられるに決まってるよね

何もかもが初めての新生児期。毎日幸せと不安の応酬だった。
可愛い、可愛い、可愛いすぎて怖い、でも可愛く思えない時があるのって母親としてやばいのかな、寝てる、可愛い、息してるかな、眠い、寝れない、これっていつまで?ずっと?乳が張り過ぎて痛い、しんどい、しんどい、しんどい

でも、寝顔を見ると、愛おしさにまた涙が出る。そしてまた次の日が来る。
思えばメンタルが一番上下したのはこの時期だ。心臓の奥の方から溢れ出してくる、初めて感じる「愛おしさ」と、赤ちゃんを召喚した身として、はじまってしまった育児に対する「不安」が交互に押し寄せてくる。毎日毎日、愛おしくて泣き、しんどくて泣いていた。あの頃の自分に教えてあげたい。
全部そのうち慣れるよ!


絶望の哺乳ストライキ〜あんたどうやって生きていくつもり〜

生後二ヶ月を過ぎた頃だった。
だいぶ「赤ちゃんとの生活」に慣れ始めた頃だった。寝返りはまだせず、ゴロゴロ横になっている時間が大半だ。活動時間は1時間半が限界なので、それを目安に都度寝かしつけていた。
それは突然だった。授乳しようとすると、のけぞってギャン泣きするのである。

「何をするんですか。突然人の口に乳を突っ込んできて、どう言うつもりですか。私は絶対に飲みませんし、この時間が無駄なのでやめてもらえますか」と言っていた。絶対、言っていた。

ギャンギャン泣きながら体を反らせるので、最初はどこか痛いのかと思い、ネットで検索しまくった。中耳炎がヒットしたので、耳鼻科に連れて行った。

「耳の中、綺麗ですね。おっぱい飲まないの?二ヶ月だもんね。まだわけわかんないよね」

わけわかんねーからここに来たんだが?とクリティカル逆ギレをキメそうになるも、大人パワーでこれをおさめ、帰宅した。

助産院にも行き、原因を探ってもらった。
一つ考えられるのは、あまりにもスプラッシュする私の母乳の出方である。自分に置き換えて考えてみた。ペットボトルに口をつけた瞬間、ホースの先端をキュッとつまんだ時並のジェット噴射が来たらどう思うだろう。ブチギレるわな。

つまり娘は、毎度授乳のたびにむせかえることに嫌気がさし、ストライキを起こしている可能性がある。
対策として、授乳前にある程度圧を抜いてみた。ここで欲張って搾乳までしてしまうと、乳が「足りてないのかも!?」と勘違いを起こし増産してしまい、乳が岩になるからである。マジで母体、言いたいことは他にも色々あるけど、基本的なシステム構造に問題があるとしか思えない。

ここから約一ヶ月、「授乳」が恐怖の時間となる。
とにかく脱水が心配だった。季節的にも夏真っ盛りだ。赤ちゃんは大人よりこまめに水分補給をしなければならないのに、シラフ状態ではまず飲まない。寝かしつけ中のうとうとしたところを狙わなければならなかった。夜襲をかけてる気分だった。
絶対に飲まないことを決めた赤ちゃんだったが、お腹は空くらしい。「空腹」と「眠たい」が合わさると赤ちゃんはどうなるだろうか。ブチギレるのである。
赤ちゃんは理不尽なので、それはもうタガが外れたようにブチギレ、ギャン泣きするのである。少しでも眠れる環境をと、明かりを落とした暗い部屋で一人縦揺れしているあの時間、あの瞬間の私を今すぐ抱きしめてやりたい。泣きながら縦揺れしたな。もう諦めてちょっと泣かせておけ。そのうち寝るから。

ちょうど旦那も在宅勤務から出社が増えたタイミングだったので、赤ちゃんと二人きりになる時間も増えていた。
そんな時だったので、私のメンタルを心配した実家の母が迎えにきてくれた。私はしばらく実家に帰って、育児をすることにした。

そして一ヶ月後。

赤ちゃん「哺乳ストライキ?何それウケる、そんな奴いんの?(笑)だってうちらまだミルクしか飲めないし、生きてけないぢゃんウケる(笑)てかそろそろ授乳の時間じゃね?あーしお腹空いたんだ㌔(笑)」

地獄の離乳食 絶対に口開けない過激派

初めて買った離乳食セット。色とりどりの可愛い器。小さいフィーディングスプーン。可愛いお食事エプロンスタイ。

私の心のウキウキ度が伝わってくるだろう。実際ウキウキしていた。
赤ちゃんが一生懸命口を開けて、ご飯を食べる姿は可愛い。インスタやユーチューブのショート動画でよく流れてくる。可愛いのだ、小さい生き物が一生懸命ご飯を食べている姿は。

初めて十倍粥を娘の口に運んだ時、一抹の不安が心の中をよぎった。
真一文字。綺麗な真一文字。あんたそんな力あったの?ってくらい口を開けない。まだ生後半年にもならない小さな生き物から、確固たる意志を感じる。この意志の強さは旦那だな、と思った。

「離乳食はご機嫌がいい時に!嫌がったらすぐに切り上げて!」
とひよこクラブに書いてあったけど、すこぶるご機嫌だったのに、離乳食開始と同時に死ぬほど不機嫌になる場合はどうしたらいいんですか?

そもそも、離乳食というのには段階がある。
最初はもはや水?と思うくらいのお粥から、月齢や口腔機能の発達に応じてだんだん歯茎や舌で潰せる程度の固さしていく。
しかしそれはあくまで「食べる赤ちゃん」に限定される。
うちの娘は「お口真一文字系赤ちゃん」だったので、一生十倍粥から進まなかった。 

月齢に応じて食事の回数も本来なら増えていく。
9ヶ月ごろからは離乳食後期と呼ばれ、食事は朝昼夜と三回になる。
うちの娘はというと、10ヶ月までほぼ1回食だった。母の気が乗ったときだけ2回食べさせていた。適当すぎる。保健師にグーで殴られる。

赤ちゃんは離乳期に差し掛かると鉄分不足になったりもするので、本来は食事から足りない鉄分を補うのが望ましい。鉄分というものは大人でも食事からの摂取が難しかったりするので、離乳食用のレバーパウダーや、鉄分が入ったきなこやら、色々便利なベビーフードがある。わたしも離乳食が始まるまでは、「鉄は大事!夜泣きの原因にもなるかもだし、ベビーフードの力も借りながら食べさせよう!あっもちろん、離乳食は全部手作りで♥」

生後六ヶ月を迎える頃、母は手作り離乳食をひたすら三角コーナーに捨てまくる哀しいモンスターと成り果てる。
反SDGsすぎて、環境保護団体にビンタされる。

そして私は、手作りするのをやめた。

「手作りする→食べない→捨てる→悲しい→何で食べてくれないの、こんなに頑張って作ったのに」
というお母さんヒステリック構文がいとも簡単に出来上がるからである。

ベビーフードというものは、大企業のとっても頭のいい人たちと、一流の栄養士さん達が、賢い頭をこれでもかと悩ませ、考え、国が定めた厳しい審査基準をクリアし、血のにじむ努力の結果世に出してくれたありがたい代物だ。
私は大いに活用させてもらうことにした。ベビーフードだと、食べてもらえないときの悲しい気持ちが8割減なのだ。当時の捕食打率で考えればほぼ悲しい気持ちになるんだから、使わない手はなかった。

8ヶ月を過ぎ、「乳児の鉄分不足うんぬんかんぬん」など完全に頭から抜けていた。育児書は近所の側溝に捨てた。

なんせ口元に食べ物を持っていくと、うちの娘は目をつむり、口を真一文字に結び、耐え忍び始める。離乳食に村を焼かれたのか?と疑うレベルだった。さながら某国のスパイが拷問にかけられているようだった。

体重はというと、うちの娘の場合は増加の一途を辿っていた。むしろ成長曲線からはみ出していた。マジで食事量と体重増加は個人差がでかい。

周りの赤ちゃん達がより幼児食に近いものを食べ始める中、うちの娘は頑なに「おっぱい一筋」を貫いていた。一途な女である。

そして時は来た。
10ヶ月を過ぎたある日、突然食べるようになった。食べるといっても月齢基準の半分〜3分の2くらいだけど、口を開けて食べようとするようになった。
あっという間に食事は三回になった。
こんなもんである。私の半年近い苦悩の日々はなんだったんだろう。今だって食べむらはあるけれど、それだって拷問に耐え忍んでいた頃を思えば可愛いもんだ。

私がお守りにしていた言葉「そのうち食べる」は、実際に直面している時はなかなか思えないものだけど、大人になって「あー、僕離乳食進んでないので、まだ十倍粥なんです(笑)」っていう人会ったことないな

心が折れそうになった時は、「目の前の娘が元気かどうか」で判断していた。
元気そうだから、大丈夫。もうそれだけでいい。それ以外考えない方がいい。
夜中にググる「離乳食 食べない どうなる」ほど、答えに辿り着けないものはない


1歳おめでとう

一年前の自分と、今の自分を比べると、ぶっちゃけあんまり違いはわからない。
強いていうなら妊娠前の体重から+3キロ、この3キロが落ちないってことは確かだ。

だけど今でも、愛おしさと不安が交互にくる瞬間はある。
多分これは、自分の子供を世に爆誕させた以上、死ぬまであると思う。自分より大切なものをこの世に出しちゃったのだから仕方ない。

確実な変化としては、ありきたりだけど、親の気持ちが少しだけ理解できるようになった。色々な場面で「あの時申し訳なかったな」とか、「あの時嬉しかっただろうな」というのが少しだけ想像できるようになった。

それ以外はどうだろう。自分の時間なんて産前と比べたらほぼないし、何でもかんでも後回し、毎日を生き抜くのに必死だ。

ただ、淡々とこなしていた生活が一変して、面白くなった。
子ども、めちゃくちゃ面白い。予想だにしないことめちゃくちゃする。

今回、改めて感想を書こうとしたけど、日々目まぐるし過ぎて、子育てについて深く考える時間も無かったことに気がついた。
わざわざパソコンひっぱり出してきて書き起こしたのに、中身ないな。

やっと一年。あっという間の一年。
めちゃくちゃ大変だったけど、めちゃくちゃ楽しい一年だった。

今日はおもちゃ箱にお尻がはまってしまって、ハイハイする姿がヤドカリみたいになっていた。自分のお腹の脂肪を取り外そうとしていた。シャワーの水が掴めなくて泣いていた。母のヘソに積み木をしまおうとしていた。うどんを頭からかぶろうとしていた。雨が窓に打ち付けるのをじっと見ていた。

この面白い生き物との関係が、まだ一年そこそこだと思うとちょっと信じられないし、子どもを産んでよかったことなんて数えたこともないけど、既に自分が死ぬ時に思い出したいなと思う瞬間はいくつもある。

今年も母ちゃんの走馬灯の映像、たくさん増やしてください。
でも、まずは健やかに。直近の具体例でいうと、鼻水早く治そうね。

お誕生日、おめでとう。
産まれてきてくれて、ありがとう。

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