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生き方の自由が認められるなら、終わらせ方も自由に決められるべき

社会に出ると、自由に決めていいんだぞということがよく謳われる。
実際、基本的人権の一つとして憲法で自由権が定められている。

けれど、死を選ぶことは否定されている。
自殺者の手助けをすれば自殺幇助という罪に問われるように。


あくまで寿命を全うすることは前提だ。
言い換えれば、生きることを「強制」されている。

あれれー?おっかしいぞー?(コナン君)
強制って自由とは逆の概念だと思うけど…。


人生という選択肢の中に、もっとカジュアルに「死」が認められてもいい。
終わらせ方も自由に決めさせてほしい。


この世にはどうやったって幸せに生きられない人間がいる。

治る見込みのない難病。例えばALS。
体の筋肉が動かせなくなり、徐々に自力で何もできなくなっていく病気。完治する方法はない。
進行すると呼吸すら自分の意思では行えず、人工呼吸器に生かされるだけの日々。
歩くこともできない。立つこともできない。声も出せない。
そんな地獄のような病気が発症しても、生きたいと思える人がどれだけいるだろうか?

私なら何としてでも体が動くうちに自死を選ぶだろう。


他にも色々なケースがある。
毒親、虐待、性被害、いじめ…。
一生消えることのないトラウマを植え付けられている人だっている。毎日悪夢にうなされ、死にたいと望む人も。

発達障害、鬱、重度のHSP…。
人並みに物事がこなせず、何をやってもうまくいかず、劣等感に苛まれる人だっている。
生に何の希望ももてない人だっている。

誰もが幸せに暮らせる世界なんて言えば聞こえはいいが、この世は綺麗事ばかりではないのだ。


にも関わらず、生を強制されるこの世界。

なんて不自由なんだろう。

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