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冨田菜々風ちゃんは『光』

なんだこの子…めちゃめちゃ光ってるじゃん…

これは誇張でもなんでもなく、俺が

≠ME『秘密インシデント』

のMVを初めて視聴した時に思わず呟いた言葉である。

俺の中でのアイドルソング史上最高傑作のMVで一際目を惹きつけられたそのアイドルは、とてつもなく眩い光を放っているように見えた。




はじめに

このnote記事は、くらそめさんが執筆した俺(きうり)へのインタビュー記事のアンサー記事みたいなものです。

なんかちゃんは光

この言葉は俺が

≠MEの冨田菜々風ちゃん

を表現するときによく用いる言葉である。

俺がなぜ冨田菜々風ちゃんに惹かれたのか。
冨田菜々風ちゃんの何に惹かれたのか。
そして出逢いから鹿児島公演までを、この機会に書き記してみました。
鹿児島公演の余韻と感情の赴くまま一気に長文を書き記したので読みにくいかもしれませんが、お時間あったら是非。



冨田菜々風ちゃんとの出逢い

2021年7月、初めて≠MEを知った。
名前ぐらいは聞いたことあったし、=LOVEの妹分であることは把握していた。
私立恵比寿中学の現場に長く通っていたが、推しメンの中山莉子ちゃんがAnk Rougeのモデルの仕事をした時とほぼ同時期に≠MEの谷崎早耶ちゃんも同じモデルをやってたから、早耶ちゃんだけは名前を知っていた。
なんなら早耶ちゃんがセンターなんだろなって思ってた。

ある日、知り合いの早耶ちゃん推しにノイミーのことを教えてもらった。
その時に君音のMVを見せてもらって、良い曲だなとは思ったが、その時点では特別刺さりはしなかった。
その直後、夜勤中に何気なくテレビを見てたら伝説の番組『イコノイ、どーですか?』が始まった。

「あー、この前教えてもらったノイミーだ。イコラブと番組やってるんだ。ちょっと見てみるか」

そんな軽い気持ちで30分の番組を見た結果、とあるメンバーがあまりにも可愛くてブッ刺さってしまった。
結果的にこれがノイミーにハマるきっかけとなった。
そのメンバーとは、


永田詩央里ちゃんである。

なんかちゃんじゃないのかよ!って声も聞こえてくる気がするが、最初は詩央里ちゃんだった。
俺をよく知る人なら当たり前に知ってるが、俺は童顔の女の子がめちゃめちゃ好きである。
背も小さいし、声もかわいいし、これは“理想の女の子”すぎて非常にまずいとなった。
いやー好きなんですよ、幼い感じの子が…
(ちなみにイコノイジョイの中でダントツで好き顔なのは≒JOYの山野愛月ちゃんです…わかりやすいな)

実はこの回には、なんかちゃんも出演していた。(全員ではなかった)
失礼だけど、この時は全然印象に残らなかった…正直出てたの覚えてない…
後々メンバーのプロフィールを調べたりTwitterを一通り見た時も、「へぇ〜綺麗な子だな。3番手あたりのフロントメンバーかな」ぐらいにしか思ってなかった。(早耶ちゃんがセンターだと思い込んでたので)

そこからの秘密インシデントMVの衝撃である。
一気に心を奪われて、そこからはなんかちゃんにどハマりした。
ギリグループ内推し変じゃないはず。
詳細は省略するが、別の現場で心が折れたことがあり、そういう意味でも出逢ったばかりのなんかちゃんの存在に救われた。
ライブにも行ったことがないのに、当時まだ募集してた君夏のオンラインお話し会に速攻で申し込んだ。
どんどんその眩い光に惹きつけられていった。

史上最高のアー写

初めて直接会話したのは2021年8月21日。
画面越しだったけど、冨田菜々風ちゃんは満面の笑顔で迎えてくれて、すっごい光ってた。

きうり「まだ出逢ったばかりだけど、なんかちゃんは僕にとっての“光”なんです」
なんかちゃん「じゃあきうりさんはお花だね!」
きうり「花?😳」

なんかちゃん「私がきうりさんというお花をこれからもずっとキラキラ〜って照らしてあげる😊」

すごいイナズマに射抜かれてしまった。
俺が求めてた“アイドル”ってこういう人だ。

これ即レスなんですよ、それでこの百点満点の返し。
めちゃめちゃときめいてしまった。
なんかちゃんって、内面まで“光”なのかよ…
冨田菜々風ちゃんが俺にとって“理想のアイドル”だと確信した瞬間だった。

自分の中での“理想のアイドル”というのは、上手く言語化できないんだけど、まず前提として「アイドルとは“偶像”である」という意識が俺の中では強い。
「idol」の意味がそのまま「偶像」だし。
俺の推しスタイルとしては、自分の年齢のこともあるが、基本的に“ガチ恋”という感情は抱かず(例外はいる)、あくまで偶像崇拝というか、一人の女性としては見ずに、一人の女性アイドルとして接する傾向にある。
まぁ他人から見たらどう見えてたかはわからないけど。
ざっくり言うと、もうシンプルにキラキラしてるアイドルが理想のアイドルなんです。

そんな“偶像”として初めて完璧だと思ったのが、冨田菜々風ちゃんだった。
“光”と形容してるけど、その通りキラキラ加減がハンパじゃない。
なんかちゃんの笑顔は空気を動かす笑顔。
ちょっとアホっぽくて愛嬌も抜群。
そして実際にこの目でライブパフォーマンスを見て、それはさらに確固たるものになった。

俺が初参戦したライブは
2021年9月2日
≠ME 1stツアー~やっぱり、恋をした~
初日Zepp Tokyo公演

今はもう更地のZepp Tokyo泣泣

Overtureからの『君はこの夏、恋をする』はめちゃめちゃ感極まった。
そして初めて生で聴いた『秘密インシデント』は、全身から邪気が浄化されていくのを感じ、本当に感動して震えが止まらなかった。
ノイミーのライブは、“青春感”によってもたらされる純粋なキラキラ感がハンパなく、これが俺の求めてるアイドルのライブだ…と確信することができた。
コロナ禍だったから着座だったのにありえん楽しかったな…

初めて画面を通さずこの目で見たなんかちゃんはやはり“光”だった。
そのパワフルかつエモーショナルな歌声には非常に心を揺さぶられた。
表現力もヤバイ、かっこいい系の曲だとさらにそれが発揮される。
マジで凄い、普段あんなにキラキラな笑顔をしてるのにライブではこんなにも魂がこもったアツいパフォーマンスをするのか。
かわいいとかかっこいいとか、もはやそんな次元ではない。
座席はほぼ最後方だったのに、彼女が放つオーラやパワーが後ろの方まで強烈に突き抜けてくる。

あぁ、この人は本物のアイドルだ…
冨田菜々風ちゃんに出逢えて本当に良かった…


なんかちゃんの故郷へ

1stツアーは初日以降、福岡・ダイバーシティ・ファイナルの羽田へ行った。
2回目のライブで福岡遠征とか、当時の熱量がいかにバグってたかわかりますね笑笑
ダイバーシティでの『まほろばアスタリスク』のサプライズ初披露に立ち会えたことはさすがに自慢しちゃう。
そして何よりツアーファイナルでの約5分半にも及ぶ、なんかちゃんのストレートな気持ちのスピーチには大変心を打たれた。
今でも1stツアーは自分のオタク史上最高のツアーだったと思ってる。

1stツアー後もAYAKARNIVALや年末の特別定期公演など、行けるやつはとにかく行った。
特に福岡で開催されたちかっぱ祭はちかっぱ楽しかった。
福岡の対バンまで行ったのには大きな意味があった。
なんかちゃんは鹿児島出身だけど鹿児島でライブする機会が無い。
ならば九州のステージに立つ時は全部見届けるぞ!の心意気だった。
でもいつか鹿児島で凱旋ライブを見たいなぁ…実現するかなぁ…とこの時からずっと思ってた。

さて年は明けて2022年1月。
俺は飛行機で鹿児島へ飛んだ。
人生初の鹿児島だ。
ノイミーのライブが無いのになぜ?
それは、「オンラインツーショット会で俺の背景が本物の桜島だったらなんかちゃん喜んでくれるかな?」っていうだけの理由だった。
(これ別に普通の感性でしょと思ったら、みんなに狂ってると言われた…マジか…)

この時は2日連続でオンラインお話し会があり、鹿児島に到着後、アミュプラザ鹿児島のタワーレコード(タワカゴさん)の前でなんかちゃんとのお話し会をした。

本当にビックリしてたし、本当に嬉しそうだった。
鹿児島に来て良かった。
なんかちゃんがSRで鹿児島土産としてオススメしてた霧島豚味噌(小分けver.)を見せると、「わー!それ!とっても美味しいんだよ〜!」ってすっごい笑ってた。

翌日、天気は雨、真冬日です。
桜島ぜんぜん見えね〜…せっかく来たのに…
それでも本人確認の際にスタッフさんに「後ろ桜島ですか?」と聞かれ、そうですと答えると「菜々風ちゃん喜びますね!いってらっしゃい!」と送り出してもらった。
Meet Passのスタッフは最高。

今まで撮ったなんかちゃんとのツーショット写真で一番のお気に入り。
なんかちゃんが喜んでくれたことが何よりも嬉しかった。

実際に冨田菜々風ちゃんが生まれ育った鹿児島の空気に触れて、感じるものが多くあった。
鹿児島って本当に良いところだなと感じた。
次はなんかちゃんと一緒に鹿児島に来たいな」と強く思った。
それは2年後に叶う。
(実はその間に1度行ってます。なんかちゃんが鹿児島のラジオに生出演した時に桜島に行ってリアタイで聴く為だけに)(怖すぎるだろ)


なんかちゃんに会うためにアメリカへ

2022年5月31日。
ノイミーオタクにとって衝撃の発表があった。

まさかの海外でのイベントが決まった。
しかもアメリカのヒューストン。
詳細を見ると、ライブの他に撮影会やサイン会などの特典会があるという。
当時はコロナ禍で日本で対面接触の機会は皆無だった。
アメリカに行けば、なんかちゃんに会える。
アメリカに行けば、なんかちゃんと初めて対面でお話しできる。

でもさすがに悩んだ。
直行便で往復40万円弱、お金が厳しい。
仕事の休みが取れるのか?という問題もある。
というか業種的にコロナ感染は非常にまずい。

悩みに悩んだ結果、断固たる決意でヒューストンに行くことにした。
理由はただひとつ、冨田菜々風ちゃんに会うために。

職場にはオタバレしていたため正直に理由を言って、なんなら「辞めて行きます」と言った。
熱意が伝わり辞めなくても行かせてくれた。
(余談だが、結局その後辞めた)
公式ツアーが無かったから、知り合いの渡米を決意したアツいオタクたちとグループを作り、いろいろ話し合って移動手段や行程を決めたり準備を進めていった。
当時はバリバリのコロナ禍で、関係書類の用意とか大変だったなぁ。

2022年7月28日、成田空港を発ちロサンゼルスを経由してヒューストンへ向かった。
いや〜さすがに遠すぎました笑笑
けど自身2回目のアメリカ本土、めちゃめちゃテンション上がった。
そういえば1回目の時も好きな野球選手に会うためだけにミネソタまで行ったんだった。
俺って変わらないな。

ノイミーが出演する予定は2日間あり、
1日目 トークイベントと特典会
2日目 ライブ
というスケジュールとなっていたが、海外現場らしく?急遽諸々がライブの前にズレてしまった。
まぁなんかちゃんに会えればなんでもいいと思った。

2日目、トークイベントが始まりノイミーの12人全員が我々の前に現れた時はさすがに非常に興奮しました笑笑

メンバーも笑いながら英語を辿々しく話したりして、すごい楽しそうで良かった。
トークイベントが終わったらいよいよサイン会が始まる。
12人が横並びになり、テーブルが用意される。
なんかちゃんに出逢ってから1年、やっと直接会えるんだ。
俺はこの瞬間のためにアメリカに来たんだ。

結果、なんかちゃんには会えなかった

サイン会は列に並んだ順のランダムとなり、その結果によっては好きな子のところに行くことは許されなかった。
俺はなんかちゃんではないメンバーのところへ通されて、完全に不貞腐れてしまった。
そのメンバーには失礼な態度を取ってしまって申し訳なく思ってるけど…
大金と長い時間をかけてアメリカまで来て、すぐそこにいるのに話せないなんて、こんな仕打ちあんまりじゃないか?
なんかちゃんのビブスを着て、なんで別のメンバーのところに行かなきゃいけないんだ?
俺は席に戻ると、知り合いに八つ当たりするぐらい怒り狂ってしまった。
ヒューストンに行ったなんかちゃん推しは計4人いて、俺だけがなんかちゃんに会えなかった。
この日、俺が地球上で一番弱かった。

完全に心が砕けたが、続けてノイミー全メンバーとのグループショット撮影会が始まった。
気持ちを切り替える。
オタクからの声出しは禁止とのこと。
俺はメンバーの前に行くと、なんかちゃんの顔を見て口パクで「はじめまして」と言った。
なんかちゃんは俺を見て「あっ!」と言ってニコニコ笑ってくれた。
話せなかったけど、なんかちゃんとアメリカの地で心が通じ合った瞬間だった。

12人のノイミーとのグルショは家宝

特典会後、すぐにライブ待機列へ移動した。
ステージの下見は前日に済ませており、絶対に最前を勝ち取るぞの決意だった。
よーいドンで最前まで全力で走った。
今でもあのステージ最前まで走ってる時が、最もオタクとしての“生”を感じた瞬間だと思ってる。
無事真ん中に近い上手の最前を確保し、士気は最高潮だった。

ライブは本当に最高だったな。
Overtureからの『す、好きじゃない!』は脳汁が噴出して止まらなかった。
アメリカのステージでノイミーがパフォーマンスをしていることに感動したし、とても興奮した。
『秘密インシデント』『まほろばアスタリスク』『ミラクル!』『「君の音だったんだ」』『「君と僕の歌」』『≠ME』等セトリがバグっていた。
ライブを見に来た多くの現地の外国人たちも大変盛り上がっていた。
何より日本では出来ない声出し、初めてのノイミーでの声出し。
感情と喉が爆発した。
それまで何度もライブには行ったけど、ノイミーライブの真の楽しさを初めて実感できた。

アメリカでもらった“初レス”🤌

これはあくまで俺の価値観だけど、好きな女の子のために海外まで会いに行くのが、最もアツい気持ちと愛の示し方のひとつだと思ってる。
それも遠ければ遠いほど。
だからあの時、一緒にアメリカまでノイミーを追いかけて行ったオタクたちみんなのことが大好きなんだよな。

後日、YouTubeのイコノイジョイチャンネルでなんかちゃんと蟹沢萌子ちゃんがヒューストンを振り返る回があった。
萌子が「日本から駆けつけてくれた方もたくさんいて」と言った時のなんかちゃんの口角が上がった瞬間に、ヒューストンまで会いに行った価値が詰まってる。

なんかちゃんと直接話せなかったし、財布も失くしたけど(3ヶ月後に見つかって返ってきた)、ノイミーとオタク仲間と唯一無二の時間を過ごしたことはずっと忘れない。
ヒューストンまで行って本当に良かった。
#ノイミーヒューストン は最高の思い出。


大嫌いな『はにかみショート』

※この項はセンシティブというか、ネガティブな話しすぎて表に出すことを非常に悩んだ。
共感とかはいらないけど、きっと読んでて不快な気持ちになる人もいる。
何よりなんかちゃん本人に向けて申し訳ない気持ちが大きい。
でも自分にとってどうしても外せない大きな出来事と感情の移り変わりなので、思い切って書き記す。

夏が終わって
≠ME全国ツアー2022
「もしこれが恋ならば君しか無理なんだよ」
が始まった。
初日の仙台、ヒューストンTシャツを着て行った。
これ以上ないぐらいブチ上がった。
『誰もいない森の奥で一本の木が倒れたら音はするか?』と『空白の花』が確定で聴ける神ツアーだった。
埼玉、松戸も行って本当に楽しかった。
なんかちゃんからのレスも増えてきた。
ヒューストン以降、明らかにレスの質が変わってる感覚だった。
なんかちゃんに少しは認められたのかな。
ノイミーと過ごす今と未来が明るかった。

2022年10月15日。
幕張メッセで行われたイコノイジョイ大運動会に行った。
「アイドルのイベントはこういうのでいいんだよ」って感じで楽しかったし、やっぱなんかちゃんは最高だなって満足してめちゃめちゃ気分が良かった。

夜は同じ会場でノイミーの幕張公演。
大きなステージでのノイミーのライブ、楽しくないはずがない。
席はスタンドのステージ寄りだったけど、そんな距離とかも関係ないぐらい沸いた。
ツアーだから初見ではないセトリや構成だけど、大きいステージで堂々とパフォーマンスするノイミーメンバーを見て、まるで周年クラスのライブのように感じられた。
めちゃめちゃ楽しくて幸せな時間だった。
イコラブの『CAMEO』のカバーも脳汁出た。
イコラブで一番好きな曲なので。

本編が終わり、アンコールの前に新曲のMVの映像が流れた。
なんかちゃんに似ているショートカットの女性が出てきた。
会場がザワつき、俺は「は?嘘だろ?」となり動悸がヤバくなった。
1サビでそのショートカットの女性はなんかちゃんだと明らかになった。
会場中に響き渡った悲鳴が忘れられない。
俺は断末魔のような叫び声を上げたらしい。
そこからのMVの記憶がない。

MVの直後に始まったアンコールのステージにショートカットの冨田菜々風ちゃんが現れた。
状況がまったく理解できない。
昼の運動会どころか本編まで…ついさっきまでロングだったじゃねえか!!!何が起こってんだ!?
パニックでもう立ってられなかったし、誇張じゃなく気を失う寸前だった。
驚き以上にネガティブな感情に支配された。
終演後は知り合いのオタクに「こんなのもうやだよ〜!!!」と半泣きで素直な気持ちをぶつけた。
最高のツアーが一瞬で絶望のツアーになってしまった。

俺は別にロングヘアー至上主義者ではない。
他現場の推しメンが髪型を変えようが髪色を変えようが、ネガティブな感情になったことはそれまで一度も無かった。
なんかちゃんがずーーーっと髪を切りたくて指原莉乃さんに相談を持ち掛けては断られていたことは当然知っていたし、「いつかお許しが出ると良いね!」と純粋な気持ちでリプを送ったりしていた。

じゃあなぜショートヘアーのなんかちゃんに対してそんなに拒絶反応を示したのか。
言っておくが、ショートヘアーのなんかちゃんはめちゃめちゃかわいいし、めちゃめちゃ似合ってると思う。
「やっと髪を切れてよかったね!」の気持ちがあったのも事実。
“一人の女性”としては最高に素敵だと思う。
でも俺はなんかちゃんを“一人の女性”目線ではなく“理想のアイドル”目線で見ていることは先述した通り。

要は、
俺の中の理想のアイドル=秘密インシデントの時の冨田菜々風ちゃん
急に消滅してしまったことに対して大きなショックを受けてしまったということ。
そりゃ年数を重ねれば髪型も変わることもあるだろう。
そんなのはただの俺のエゴであることは自覚している。
でも秘密インシデントの時の…ロングヘアーの冨田菜々風ちゃんが俺の中で“光”と形容するぐらいあまりにも完璧な偶像すぎて、その“光”を失うのがめちゃめちゃ怖かったんだよな。

その後の渋谷公演にも行ったけど、ショートヘアーでのインシデントや誰森、空白の花はやはり違和感がどうしても生じてしまった。
なんかちゃんだけどなんかちゃんじゃない…みたいな。
元凶の『はにかみショート』が流れた時はトラウマが蘇ってしまった。
なんかちゃんにとって思い入れが特に強い曲なのに、大嫌いな曲になってしまった。

たかが髪型のことでそうなるなんて全身全霊でパフォーマンスしているなんかちゃんに本当に申し訳ないし、俺って最悪なオタクだなと自己嫌悪に陥ったけど、思ってもいない綺麗事を言ったりして無理してもダメだ。
受け入れるのに時間がかかるから、なんかちゃんのことが好きだから、一旦離れよう。

ヒューストンまで追いかけて行ってからたった3ヶ月後、ノイミーツアーファイナルの福岡公演を最後に俺はノイミー現場を離れた。


なんかちゃんと初めて対面した日

時間は少し戻る。
ヒューストンから帰国後、ヒューストンまで行ったのに直接会えなかった悔しさを原動力に、俺は『す、好きじゃない!』の個別撮影会を申し込んだ。

個別撮影会とは、
3分間個別のメンバーと撮影会ができるイベントで、こちらがメンバーを撮影しても良し、スタッフにカメラを預けツーショットを撮影しても良し、3分間も好きなメンバーとコミニュケーションを取れるという至高の対面イベントである。
≠MEの初回盤シングルに封入されているシリアルコード付きの応募券から申し込み、各メンバーにつき10名が当選するというものだ。
コロナ禍でしばらく開催が無かったが、久しぶりの開催となる。
当時はまだ対面お話し会が開催されておらず、日本で対面できる機会はこれと個別ポスターサイン会しか無かった。

詳細はまぁ暈さざるを得ないが、基本的に個撮を当てるには相応の口数を投げる必要がある。
それはメンバーの人気度にも当然比例する。
なんかちゃんはノイミーで1、2を争う人気メンバーであり、久しぶりの開催ということもあってボーダー(てゆーか、ボーダーって何?)がどれぐらいなのかまったく検討がつかなかった。

自分的にはこれぐらい投げようと思ってても、でも他の人がこれ以上投げてたら…という不安感が尽きることはなく、最終的にそれなりの金額分の申し込みをしたが、投げてから当落発表までの3ヶ月間、毎日吐きそうな思いだった。

12月9日に届いた当選メールを見て、喜ぶよりも重圧から解放されてめちゃめちゃ安堵したのを今も覚えてる。

ヒューストンではランダムだったが、個撮は確実になんかちゃんに会える。
ヒューストンで話せてたらたぶん個撮は申し込んでないけど、これもまた一興。
しかし、なんかちゃんに会うためにヒューストン+個撮っていうのは、結果的に◯十万円かかったわけで…
我ながら執念が凄いなと思いました笑笑
今はシングル1枚で会えるもんな〜(黄昏)

2023年1月9日。
代アニLIVEステーションで初めて冨田菜々風ちゃんと直接会うことができた。
ヒューストンで会えなかったから、俺はヒューストンの時と同じ格好でなんかちゃんが待つブースに入った。

俺の第一声が「やっと会えた〜!!!」だったのは、心から出た言葉だった。
なんかちゃんも「会えたねー!!!」って特大のキラキラした笑顔で迎えてくれた。

なんかちゃんと初めて会えたことがめちゃめちゃ嬉しかったけど、それ以降の会話の内容は興奮のあまり正直あまり憶えていない。
ヒューストン遠征した時に失くしたけど3ヶ月後に見つかって日本に戻ってきた財布を手にして写真を撮ったのは憶えてますが笑笑

とにかく一瞬で180秒が過ぎた。
本当に幸せな夢の時間だった。
今でもあれは夢だったのかなって思うけど、画像フォルダにたくさんなんかちゃんと撮った写真が残ってるから現実だったんだよなぁ。

近くで顔見せてって言ったら🙅🏻‍♀️された

俺がノイミーで一番好きな曲は『秘密インシデント』で揺るがないんだけど、
俺がノイミーで一番思い入れのある曲が『す、好きじゃない!』なのは、なんかちゃんに会うためにヒューストン遠征と個撮応募を頑張った時の象徴の曲だから。
今でもイントロが鳴ると咆哮してしまう。

これは余談だけど、先日の鹿児島凱旋公演の際にタワカゴさんがなんかちゃんの過去のメッセージ入りポスターをすべて展開して凱旋を盛り上げていたが、俺は迷わずす好きのポスターと撮った。
す好きに対する思い入れが強すぎるからね。

僕には君だけ



アイドルオタク卒業

2023年は私立恵比寿中学の現場が中心だった。
エビ中の新メンバー・仲村悠菜ちゃんが参加する現場を全通することが目標で、それは結果的に達成できた。
(MVエキストラの選民現場とユニドルのシークレットライブを除く)

エビ中が最優先だったので知り合いにノイミー現場に誘われても「エビ中と被ったら行けないから」と断っていた。
周年もツアーも武道館も行かなかった。

そんな俺が久しぶりにノイミー現場に行くことになった。
2023年7月15日、横浜スタジアムで開催されたBLUE☆LIGHT SERIESだ。
最初は行く気無かったけど、翌日にパシフィコ横浜でエビ中の全国ツアーの千秋楽が予定されていたこともあり、前日ならそのまま横浜に泊まればいいし、チケット余ってるなら行くか〜という経緯だった。

試合前にベイスターズのチアリーダーたちが球場外でノイミーの曲などをパフォーマンスするとのことでそこに向かった。
懐かしい顔ぶれが勢揃いしていて、俺が現れたことにみんなびっくりしてた。
途中で知らない曲が流れ、知り合いに「この曲何?ノイミーの曲?」って聞くと、「え?マジで知らないんすか?『天使は何処へ』ですよ」って言われた。
俺はすっかりノイミーから離れていた。

試合後、せっかくならできるだけ近くで見たいとガンダして柵最前をゲット。
前年のツアーファイナル以来のノイミーのライブはめちゃめちゃ楽しかった。
初めて聴いたてんどこはピンとこなかったが、みる何とかまほろばとかは熱いものが漲ってきた。
始球式含め、久しぶりに見たなんかちゃんは、俺が大好きななんかちゃんのままだった。

ライブが終わってメンバーがオタクの目の前を手を振りながら戻っていく。
俺は「なんかちゃーん!!!」と何度も叫んだ。
俺の目の前を通り過ぎた時は逆サイドを向いていた。
それでも名前を呼び続けた。
すると、前に進んでいたなんかちゃんが振り返って俺を見つけてくれた。
久しぶりに俺がいることに気づき、すっごい笑顔で手を振ってくれた。

人生で一番嬉しかったレスかも

こんな嬉しいことあるかよ。
なんでなんかちゃんってこんなに優しいんだろう。
半年も会いに行かなかったのに、俺を見つけて喜んでくれたのが嬉しくてたまらなかったよ。
だから、なんかちゃんは“光”なんだよ。

やっぱりノイミーは最高だなって思ったから、その後は代アニ主催のワンマンこそ行かなかったものの、エビ中現場の合間にサマステやヒカキンのフェスに行ってライブを楽しんだ。
大晦日にはももいろ歌合戦への出演が決定。
私立恵比寿中学と共演する可能性が高まった。

実は俺は年明けのエビ中のライブを最後にアイドルオタクを辞めることを決めていた。
エビ中はもちろん、ノイミーにも十分に楽しませてもらった。
オタク人生のピークでオタクを辞めたかったし、やり切ったなと思っていた。
だから最後の最後でエビ中とノイミーが共演するももいろ歌合戦は、俺の“オタク卒業式”のように感じた。
オタクの神様も味方してくれて、激戦であった前方のSSチケットが当たり、当日も2列目の真ん中らへんの席を引けた。

田中将大投手と共演

メインステージなのかセンターステージなのかという懸念はあったが、運良くエビ中もノイミーもメインステージで間近で見れた。
ノイミーは『天使は何処へ』をパフォーマンスした。
ずっとピンとこなかった曲だったが、2列目で見るとさすがに迫力がヤバすぎてブチ上がり、すっかり大好きな曲になった。
なんかちゃんのパフォーマンスを見るのはこれが最後になるかもしれないと思うと後ろ髪を引かれる思いではあったが、それ以上に満足感が勝った。
本当に最高すぎるパフォーマンスだった。

MCタイムではなんとエビ中とノイミーが同じステージ上で共演するという奇跡が起きた。
右を見たらエビ中、左を見たらノイミー。
オタクの神様からの餞のように感じられた。
最後にこんな光景を見せてくれて、もうオタク人生に思い残すことはないって思った。
まぁこの年ずっと追いかけていたエビ中の仲村悠菜ちゃんだけはそこにいなかったんだけど…

そして年明けのエビ中大学芸会が終わり、俺はアイドルオタクを辞めた。



一番のアイドルは?

オタ卒して俺は一般人としてアイドルとは無縁の生活を送っていたが、さっそく知り合いからノイミーの周年の誘いが来た。

ライカ軍団長とのやりとり

まぁ代アニ主催のノイミーのワンマンライブは1年以上見てなかったし、最後に見るのもありかもと快諾した。
ライブは楽しみだったが、特に新しい曲も予習したりせず当日を迎えた。

2024年3月3日。
ノイミーが5歳となった周年ライブは素晴らしかった。
席もわりと良かったし、2時間超のライブは本当に久しぶりで、大満足だった。
この子たちならもっと大きなステージに行けると確信した。
なんかちゃんは、さらにアイドルとして洗練されていたように感じた。
アリーナでも存在感は抜群だった。

そして俺は、『はにかみショート』に向き合い号泣した。
あの日からずっと暗い気持ちになってライブでもまともに聴けなかったけど、初めてはにかみショートを歌うなんかちゃんをしっかりと目に焼き付けた。
あの頃の辛い感情、懺悔の気持ち、尊い感情、全てが入り混じってずっと涙を流していた。
はにかみショートって良い曲だったんだな…

昼公演が終わり、俺は帰路に着いた。
夜公演が終わった頃に何気なくXを見てたら衝撃の発表を目にした。

“ノイミー、メンバーの出身地を巡る全国ツアー開催決定”

まてまてまてまて、ノイミーが鹿児島でライブするのか!?!?!?
オタ卒してから一切Xでポストしてなかったが、さすがに興奮のあまり2ヶ月ぶりにポストを投稿した。
それぐらい衝撃であり、待ち望んでいたものだった。

もうノイミー鹿児島公演、なんかちゃん凱旋公演のことしか考えられなくなった。

俺は知り合いの外国人っぽい推し被りオタクに「鹿児島連番するぞ」とLINEした。
彼もちょうど俺に「鹿児島連番しましょう」というLINEを打っている途中だったらしい。
彼とは、ヒューストンに一緒に行ったし個撮も偶然連番した間柄であるが、そういえばノイミーのライブで連番はしたことがなかった。
そんな推し被りとの初連番が推しメンの凱旋ライブはめちゃめちゃアツいし、以心伝心してたのも嬉しかった。

一般人になってたけど、迷いはなかった。
やっと…なんかちゃんと一緒に鹿児島に行けるんだ…と胸が熱くなった。
オタク延長戦が決定した。

3月半ば、くらそめさんから俺のオタク人生についてのインタビュー?を受けた。
彼の執筆した記事を見ていただければわかるが、俺は様々なアイドルを推してきている。

「きうりさん、歴代の推しメンで誰が一番なんですか?」

くらそめさんからこう聞かれ、俺は間髪入れずこう即答した。

「推しメンはみんな好きだし選べないけど、一番のアイドルは誰か?って言ったら間違いなく冨田菜々風ちゃんだね

たぶん絶命する瞬間に同じことを聞かれてもこう答えると思う。
俺の中では、冨田菜々風ちゃんが最強で無敵で完璧で究極のアイドルという結論に至った。
なんかちゃんを超えるアイドルは、いない。



理論を超越した存在

くらそめさんが独自に提唱している理論がある。

例外理論
オタクはある程度自分の好みがある。
例えば、ロリ系というのも1つだし、ロングヘアが良いとか、歌が上手い子が良いとか、そういうものだ。
その好みに外れた子にハマった場合、沼る確率が高くなる、というものである。

俺の歴代推しメンは、まず童顔が多い。
年齢も10代の子がほとんどである。(20代になってからも推し続けていた子はいるよ)
そしてセンターという主役級よりは、名脇役だったり、グループのスパイス的な立ち位置を担う子が多かった。
事実、俺のノイミーの入り口は永田詩央里ちゃんという好みドンピシャな子だった。
(永田詩央里ちゃんのことはもちろん好きです。彼女のパフォーマンスや性格が好きだし、ノイミーにハマった感謝を伝えたこともあります)

なんかちゃんははっきり言ってしまえば、かわいいとは思うけど好みのお顔ではない。
センターというポジションも、自分からしてみればあまり目を向けることは無かった。
出逢った頃のなんかちゃんは21歳。
なんかちゃんにハマる要素がひとつも無いはずだった。
完全に例外中の例外だった。

好みの子より、好みじゃなかったけど好きになった子の方が、めちゃめちゃ好きになるし長く推せる

これ、真理だと思う。

もうひとつは「18か月理論
これは俺がエビ中以外の現場にハマっても、18か月ぐらいするとすぐに飽きてしまう、ということを、くらそめさんにちょっと意地悪にいじられている理論である。
くらそめさん曰く、一説には、恋愛状態の快楽物質が出るのが18か月ぐらいらしく、その脳内麻薬が切れるからではないか、とも言われているらしい。

事実、エビ中の中山莉子ちゃん以外に18か月を超えて推していた子はいない。
単純に飽きたとかではなく、卒業してしまった子もいるが、そのぐらいに大きな節目があると満足して離れてしまうこともあった。
なんかちゃんの場合は、ショートヘアーになったあとに離れた。
その後もライブにはちょいちょい行ったが、推していたかと聞かれると微妙な気がした。
つまり、理由はどうあれなんかちゃんも18か月理論に当てはまる。

しかし、なんかちゃんが超越してると思うのは、ここから第2章が始まるってことだ。
同じく超越していた中山莉子ちゃんはずーーーっと推していた。
冨田菜々風ちゃんは最初の“恋”が終わった後、2回目の“恋”が始まる
これは俺の中では初めてのことだ。
もちろん今度は18か月以上、恋していきたいと思う。
まぁ俺のことだからどうなるかわからんけど、もうなんかちゃんのこと一生好きな気がする。
ショートヘアーのことも、はにかみショートのことも受け入れたんだから。



『光』のルーツ

何よりも楽しみにしていた冨田菜々風ちゃんの鹿児島凱旋公演。
そして自分的にも半年ぶりの遠征。
飛行機に乗る前からワクワクがハンパなかった。

前乗りしてさっそくデブラを食べ、その後すぐになんかちゃんが「世界一美味しい」と豪語するWicky's Houseさんのオムライスに舌鼓を打った。
その後はみんなで深夜の桜島に行き、ストアルして大変盛り上がった。
翌日もなんかちゃんが取材で行った(プライベートでも行くらしい)、両棒餅の有名店・平田屋さんに行き、なんかちゃんを感じてきた。
鹿児島、すっげえ楽しい。

そして2024年5月10日。
≠ME全国ツアー2024
「やっと、同じクラス」鹿児島公演
夢にまで見たライブが始まった。

鹿児島・宝山ホールのステージに立つ冨田菜々風ちゃんを見て、胸がいっぱいになった。
地元で楽しそうに躍動しているなんかちゃんを見れることが、本当に本当に嬉しかった。

俺自身、初日の東京公演や次の福島公演へは行かず、鹿児島だけに照準を合わせていた。
あんまり良くない例えかもしれないが、桜島の噴火のように鹿児島公演で噴火すべく、溜めに溜めてたんだよね。
今ツアー初参戦のライブで、繰り出される曲や演出ひとつひとつに感情を爆発させた。
マジで楽しいな、今年のツアー。

鹿児島で聴く『秘密インシデント』は、これを今後超えるものは無いかもしれないと思うくらいエモーショナルなものだった。
すべての始まりのこの曲があったから、俺は鹿児島に来れたんだよな。
『君はスパークル』では、自作した「“なんかちゃんは光”団扇」を胸に当てながら、なんかちゃんのことをただただ見つめていた。
『はにかみショート』は俺にとってすっかり泣き曲になってしまい、今回もまた号泣した。
あれ、歌詞ずるいよな…(今更すぎます笑笑)
そして『ラストチャンス、ラストダンス』
俺がノイミーに求めてるものがすべて詰まっている曲。
12人全員が揃ったライブで聴ける幸せを噛み締めた。

その出身地のメンバーが歌うソロ曲、鹿児島公演のなんかちゃんは、憧れの元欅坂46・平手友梨奈さんのソロ曲『角を曲がる』だった。
俺は平手さんのことはよく知らないけど、平手さんのように“憑依”しながら“表現”するなんかちゃんを真剣に見入った。
本当に素晴らしかった。
地元のステージで憧れの人の曲を歌うって、どんな気持ちになるんだろう。
きっと大きな緊張や不安もあっただろう。
ただただ見守っていた俺は、本当に良かったねの気持ちしかなかった。

鹿児島公演のMCでなんかちゃんは
もっともっと大きくなってまた鹿児島に帰ってきます!!!
と力強く言い放った。

これが冨田菜々風ちゃんなんだよな〜〜〜
常に現状に満足せず上へ上へと向上心を持って、努力を怠らず高みに昇っていく。
グループを背負ってるという責任感もあると思うが、なんかちゃん自身が“夢”に向かってひたすら突き進んでいく。
だから応援したくなるんだよ。
だからなんかちゃんは最高のアイドルなんだよ。

ノイミーの鹿児島公演は、俺のオタク史上一番のライブだった。
このnoteを書き記してる間もずっと余韻が続いていて、冷める気配がない。
終演後に会った知り合いの推し被りオタクたちは、みんな心の底から幸せそうな表情をしていた。
本当に楽しかったね。

ライブ後は、感想戦でなんかちゃんの貴重な昔話を聞くことができた。
なんかちゃんはノイミーのオーディションに合格する前、鹿児島でご当地アイドルとして活動していた時代がある。
『Seven Colors』というグループに所属しており、『ナ〜ナ』の愛称で活動していた。
俺の昔からの知人に、このセブカラに通っていた鹿児島在住の方がおり、当時のナ〜ナの素敵なお話をたくさん聞かせていただいた。
やはり、当時から光るものはあったそう。

一次会のあと、ナ〜ナがセブカラ卒業公演をした場所まで案内していただいた。
Duckbill Kagoshimaという天文館の繁華街にあるクラブ。
この場所から新しい道に進み、6年の時を経て≠MEの冨田菜々風として宝山ホールで凱旋ライブしたことが本当にエモいし、大きくなって鹿児島に帰ってきたんだなあって。
もちろん当時は知らないけど、その場所に来ただけで目頭が熱くなった。

最後にセブカラが本拠地として活動していた場所に案内していただいた。
なんかちゃんの“原点”と言える場所だ。
セブカラはガッツリのアイドルだったというよりは、ダイニングバーに来たお客さんの前でパフォーマンスすることが多かったそうだ。
当時はダイニングバーだったお店が、コロナ禍を経て今はキャバクラとなっていた。
俺はなんかちゃんのルーツを辿るため、迷わず入店した。
鹿児島のキャバ嬢に注がれたウィスキーロックをしこたま呑みながら、ここで原石だった頃のなんかちゃんが歌って踊ってたんだなぁと感慨深くなった。
俺は酔い潰れて終焉(おわ)った。

鹿児島の空気に触れて、なんかちゃんがなぜあんなにもキラキラしてるのか、なぜあんなにも純粋で良い子なのか、それが少し理解(わか)った気がする。
ご家庭の良い環境はもちろんだけど、この土地で生まれ育ったことが“光”の原点な気がした。

鹿児島、やはり桜島のインパクトは凄い。
俺は地元民じゃないからわからないが、火山灰の被害は確かに厄介かもしれないけど、日常にあの桜島の光景があるのは日々の大きな活力に繋がる気がした。
ご飯が美味しい…肉も魚もなんでも本当に美味しかった。
温泉が最高だし、海が綺麗で自然もたくさん。
観光名所やなんかちゃんオススメの場所だけでもたくさんあって回りきれなかった。
何度も来たい場所…を超えていつか住みたい場所になった。
それぐらい、鹿児島のことが大好きになった。



なんかちゃんは『光』

俺は鹿児島から帰ってきて、ノイミーのツアーファイナルのチケットを申し込んだ。
完全にオタク復帰である。
すっきりオタクを辞めれたはずなのにね笑笑
と言っても以前のようにガッツリオタクせず、緩やかに寄り添いながら推し続けていければいいかな。

幸運なことに、周りのオタクにも恵まれている。
鹿児島遠征は最高でまさに“修学旅行”だった。
おもしれーやつらがたくさんいて、現場行くたびに凄い安心するんだよね。
これからもよろしくお願いします笑笑
ノイミー現場はいつまでもオタク1年生でいられるから最高なんだ。

それはそうと、なんかちゃん推しは熱いオタクが本当に多いよね。
俺なんかよりも、なんかちゃんへの気持ちや、なんかちゃんを想っての行動が凄いオタクがマジでたくさんいる。
彼らもまた、なんかちゃんから一生抜け出せなさそうだ。


なんかちゃんのこと好きになれて本当に良かったなぁ。
とお土産に買ってきた鹿児島ハイボールを飲みながらしみじみ書いてます。
これからもその強烈な光に照らされながら、星屑に混ざって想っていたいな。

なんかちゃんは光に照らされて輝いているんじゃなくて、光そのものなんだ。


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