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僕らは矛盾の中に生きている



矛盾とは?

《昔、中国の楚の国で、矛 (ほこ) と盾 (たて) とを売っていた者が、「この矛はどんなかたい盾をも突き通すことができ、この盾はどんな矛でも突き通すことができない」と誇ったが、「それではお前の矛でお前の盾を突けばどうなるか」と尋ねられて答えることができなかったという「韓非子」難一の故事から》二つの物事がくいちがっていて、つじつまが合わないこと。自家撞着 (じかどうちゃく) 。「発言の—を突かれる」「二人の話が—する」 

goo辞書より


矛盾をいけないことだと思っている人は
矛盾が無いように生きようと頑張っている
んだと思う。

矛盾っていけないことなのかな?

あなたの物差しとわたしの物差しが
「全く同じ」なんてことは絶対にない。

そんな中、「少し似ているな」と感じた時
嬉しさに心が躍る。

似ていると思った気持ちは
勘違いでもいいと思っている。

だって嬉しいんだもん。


根っこは同じことを
おもてからアプローチする人と
裏からアプローチする人も
見た目は矛盾しているように見えると思う。

でも、よく話を聞いてみると
根っこは同じことを考えていて
そこは矛盾していないことに気づく。

どう行動するか?

動き方が違うだけかもしれない。

どう表現するか?

表現の仕方が違うだけかもしれない。

そこが違うだけで、同じことを指している
のかもしれない。


矛盾はいけないことではないと思う。 

だって矛盾は面白いから。

その矛盾に、それぞれの人の違いを感じる。

毎日考えていることは変わっていき
日々、違う気持ちになっている。

これも矛盾のもとなんじゃないのかな?

昨日と今日で言っていることが違う。

でも、違う理由があれば、それは矛盾では
ない気がする。


ある矛盾に怒りを感じたら
まず、その相手と自分の関係性を考える。

その人が《通りすがりの人》だったら
(※接点のない人、どうでもいい人)
その怒りは捨てゼリフなどを吐いて
手放してしまう。

その人が《関わりを持たないといけない人》なら
その人の性格と立場を考える。

なぜ、そう言ったんだろう。
どういう気持ちでそこに至ったんだろう。

その人になるくらいその人のことを考えたら
その言葉を口にした時の気持ちや
その行動を取った理由がわかることがある。

わかった時には、もう怒りは無くなっている。

そして
『そういう意味で言ったのでしょうか?』
と本人に聞いてみる。

向こうの言葉足らず、わたしの理解不足だったりして
けっこう誤解が解けたりする。


矛盾に対して怒りが湧く時は
その矛盾を正そうとしている時

矛盾に対して悲しい気持ちになる時は
諦めの気持ちが湧く時なんじゃないかな。


わたしは、ふだんあまり矛盾を感じていない。

なぜかな?

やりたくないことはやらず
会いたくない人には会わないから。

気持ちよくいられる人とだけ付き合い
気持ちよく取り組めることだけしているから。


それは

やりたいことの中心にいるからかもしれない

と気づいた。


ということは

周りがわたしに対して
矛盾を感じてるのかもしれない

ハッとした。


一緒に活動している人に聞いてみようと思った。

Shihoさん、素敵な気づきをありがとう^ ^



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