聞き耳のリーダーシップ

何をいまさら・・・と思われるかもしれませんが、あらためて。

私たちが生きている現在の社会は、とても変化の激しい時代です。例えば、私たちの生活を一変させたスマートフォンですが、アップルが初代iPhoneを市場に導入したのは2007年のことで、まだ17年しか経っていないのです。

さらに、いまとなっては「それなしで生きること」すら考えられないようになっているインターネットですが、インターネットの利用率が50%を超えたのは2000年のことで、いまからたった24年前のことだったのです。

ざっくり言えば、概ね四半世紀すぎると、世界の風景や常識は変わってしまうということです。

一方で、私たちのキャリアは長寿命化と社会保障制度の逼迫によって長期化する傾向にあり、すでに50年以上働かないと老後を生きられない社会がやってきています。

これらの事実は、年長者のリーダーシップのあり方に、大きな変容をもたらす圧力になるでしょう。平たく言えば

昔とった杵柄で生きられない時代がやってきた

ということです。

こうなると、社会における年長者の立場はどんどん難しいものになるでしょう。なんと言っても、若手時代に築いたスキルや知識はどんどん時代遅れになり、そんなスキルや知識で現場にアドバイスなどしようものなら、かえって混乱を招きかねないからです。

では、どうするか?

一つの方策として、若手と同じように、時代に応じて学び続ける、新しい知識を習得し続ける、ということがよく言われます。

これはこれで王道だとは思いますが、私はちょっと無理があると思っています。人間の脳には生涯を通じて可塑性が保たれると言われていますが、学習能力はどうしたって若い人に敵いません。

ということで、別の方策をということで僕が提案したいのが「聞き耳のリーダーシップ」です。

スペースシャトルの事故を題材に考えてみましょう。

なぜスペースシャトルは落ち続けるのか

2003年1月16日は非常に寒さが厳しく、この日、打ち上げられたスペースシャトル「コロンビア号」には、離床直後に剥離した断熱材が機体を直撃する、というアクシデントが発生していました。

慎重な読者からすると、これは由々しき事態と思われるかも知れませんが、慣れとは恐ろしいもので、これまでの打ち上げでも断熱材の剥離が何度か発生していたことから、ベテランを中心とした関係者の多くは「ああ、またか」と反応したに過ぎませんでした。

但し、「経験の少ない」一部の関係者の中には、剥離した破片の大きさから、機体への影響を憂慮する人も存在しました。

当時の関係者は、NASAのエンジニアであるロドニー・ローチャが、打ち上げ翌日に断熱材の衝突箇所の拡大写真を見て「周囲が飛び上がるほどの驚きの声」を上げたことを記憶しています。

関係者の多くは、「よくあること」と一顧だにしませんでしたが、念のためということで、この問題を調査するためのチームが編成され、「驚きの声」を上げたローチャはその共同委員長の一人に選ばれます。

現場の意見を取り上げないリーダー

打ち上げから五日たち、経験豊富なリンダ・ハムが議長を務める定例の会合が開催されました。

この委員会は、コロンビア号の飛行任務を統括し、飛行中に生じた問題への対応策を策定する責任を負っていました[1]

ここで、耐熱材の衝突に関する問題が取り上げられたとき、議長のハム女史は「これは以前の飛行でも何回か起きたことで心配するに足りない」という指摘を行いました。

確かに、1981年のスペースシャトルの初飛行以来、ほとんどすべての飛行任務で断熱材の機体への衝突は発生していました。しかし、これは本来見過ごせないトラブルのはずです。スペースシャトルの本来の設計仕様は、断熱材の剥離を前提としていません。

しかし、何度も何度も経験し、結果的にそれが大きなトラブルにつながらなかったためにエンジニアもフライトマネージャーも剥離の衝突に慣れっこになっていたのです。

一方で、剥離片の調査チームは、断熱材の衝突による損害を正確に把握するためには追加のデータが必要だという結論に達し、NASAの上層部に対して、コロンビア号の追加映像を申請することにしました。

この申請は具体的には、米国が保有するスパイ衛星をつかって宇宙空間のコロンビア号の写真を撮影するよう、国防総省に協力を要請してほしい、というものでした。しかし、なぜかこの要請は最終的にハム議長に出されることはありませんでした。

なぜでしょうか?

エンジニアが直接に上層部に対して意見具申するなどということは、あってはならないことだ、と言う強い空気が、当時のNASAにはありました[2]

と後になってロドニー・ローチャは述懐しています。

数日後、再びミッションマネジメントチームの定例会議で、また剥片の衝突問題が持ち上がります。

しかし以前と同様に、ハム議長はこの問題が飛行の安全性に関わるものではないことを確認し、「この問題は次の飛行への準備期間において対処すべきだ」と強硬に主張しました。

ローチャはこの時「いろいろと疑問もあり、言いたいことも会ったけれども、沈黙してしまった」と述べています。

後になって、一部のエンジニアが重大な懸念を抱きながら発言を封じていたことについてコメントを求められたフライトディレクターのリロイ・ケインは、批判的に次の様な注意を促しています。

飛行の安全に関する懸念をチームの一員が感じたのであれば、彼にはそれを表明する責任がある。別に大声でどなれということではない。静かに立ち上がって、懸念の内容とその理由について話せばいい。

しかしローチャはこのコメントに同意せず、NASAにおいて上層部の意見に意義を唱えるのは極めて難しいのだということを事故委員会の行ったインタビューで述べています。

最終的に、コロンビア号事故調査委員会は「コロンビア号の惨事に際して多くのマネジャーとエンジニアがとった行動は、NASAの職場慣行と過去何年間かの間にNASAに深く浸透した行動パターンを反映している」と指摘しています。

NASAが、その「米国の宇宙計画の推進を担う」というフロンティアスピリットに溢れたミッションからは想像し得ないほどに官僚的で硬直的な組織だということはあまり知られていません[3]

極めて上下関係に厳格で、煩雑な手続きと厳しい規則にがんじがらめになっており、コミュニケーションは規定の厳格な指揮命令系統を通じて行うしかない。

当時のNASAでは、エンジニアが組織階層で数段上にあるディレクターやマネジャーと直接対話するようなことは「秩序を乱すものであり、あってはならないこと」と考えられていた様です。

チャレンジャー号およびコロンビア号の二つの爆発事故を研究した社会学者のダイアン・ボーンは、NASAが内部で建設的な討論(=認知的不協和)をせずに、結果的に二つの事故を招くに至った理由を次の様に説明しています。

私が出席したあるNASAの会議で、ロドニー・ローチャとロジャー・ボジョレー(チャレンジャー号の事故が起きる前に、結果的に事故原因となったリングの安全性に懸念を表明したエンジニア)は、NASAの内部では「心配性のうるさいヤツ」というレッテルを貼られていました。いわゆる「オオカミ少年」ですね。だから彼らの意見はあまり信用してもらえませんでした。「またか、うっとうしいな」ということです。この様な組織では、人の入れ替えをしても事故を防ぐことは出来ません。なぜならこれは個人の性格の問題ではなく、組織上の問題、文化の問題だからです。登場人物を変えてみても、まったく組織と文化が変わらない限り、やはり同じ事故が発生するでしょう[4]

聞き耳のリーダーシップ

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