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「解らない」を「イメージ」で捉える

デジタル技術はその性質上、曖昧さがほとんどなく、具体的な情報で成り立っているもので、

ハードウェアの面もソフトウェアの面も、すべてが計算された上で構築されてるはずです。

しかし、この具体性を説明するには抽象的な視点が必要なんだなと、最近特に思います。

そもそも、デジタルの複雑さや仕組みを理解するには、物事を単純化し、抽象化する能力が欠かせませんよね?

具体的な要素と抽象的な概念を結びつけるイメージ力が重要なのかな、と。

とある著名人がここ数十年のデジタル化や人工知能の件に対して、「人間の方がデジタルに寄せる事が出来る」という旨の発言をされてたのですが、

これは計算機から始まるデジタル機器や、動物やその他生物に対してもですが、人は何かに思考を寄せたり、想いを馳せたりとイメージをする事が出来る生き物なんですよね。

確かに思考を寄せたりイメージを寄せてもそれは真に合っているか?と問われると多分違う事がほとんどだと思います。が、同時に≒でもあるのでは?と私は思うんです。

そもそも、計算機等は何のために作られたか?と問われるとこれは極端な話ですが、


その人が便利に快適に過ごしたい。

あるいは、

人に便利で快適に過ごしてほしい。


という抽象的な思いを具体的な結果で出してるとも考える事が出来ませんか?

もちろん、この考えが的確で無いことは承知ですが近年のITの発達を見ていくと、どうしても私の中でのこの思いが自分で否定出来ないのです。





さて、学習においてこの「イメージ」がどう役に立つのか?
を考えていきたいのですが、これは

「分からない箇所を予測というイメージで補う」

というのが非常に有効な使い方ではないかと考えます。これは技術書での勉強法などでよく聞く「わからないところは一旦飛ばす」という考え方に近いのかなと思います。

以前にこんな記事を上げさせていただきましたが、ここでいう「解らない」は「(具体的には)解らない」がほとんどなはずです。

一度解らないで詰まってしまった時、大体は具体的な理解がしづらい内容だと思いますので、対象を解る言葉で置き換えたり、仮説、予測(のイメージ)として一旦自己解釈のまま進めるとその先で理解出来るポイントに当たると思うんです。

そのまま進めるとまた理解が必要になる瞬間が来るのですが、保留が出来ず見過ごせない段階にもなると仮説や予測のイメージの具体性がかなり高いところまで進んでいる事がほとんどではないのか?

なので、わからなくても進めるだけ進めて、そこで止まれば振り返り理詰めを行った方が非常に効率よく学習を進めることが出来るのでは?という考えです。

たとえば

1.

#python3
>>> print('sikou')
sikou

のように方法の学習に当たり、もし内容がいまいち理解が出来ないと思った時は一旦その場は参考書の通り進めて理解の出来ない箇所の解説を字面だけ把握して終わらせます。

その次に他の項目でもし上記の処理を使っている内容に出会った場合、その処理について振り返ります。

2.

#python3
>>> name = 'sikou'
>>> print(name)
sikou

例えるならこんな感じ。

この例で言うなら1がprint関数の使い方で2が変数の使い方という流れなのですが、2では変数を使った際の確認として1で学習したprint関数を使っていますねよね?

1でprint関数を学習した段階だとこの具体的な使用法というのが解らず「だから何なのだ…?」という思考に陥ります。
なのでそこではその気持ちは一旦心の奥底にしまい次に進むとすぐにそれを応用した項目に入りますのでここで基本に立ち返るのです。

その時に学習している内容を根本から理解出来るのは、それを実際に使っている場面が殆どです。

なので、解らない事に出会した時そこを上手くパスするには自分の知り得る知識を用いて「つまりこういう事ではないだろうか?」とイメージで進めて行く能力が大事ではないのかと考えています。

知識は新たな知識、学習はまた新たな学習を生んでくれます。
ぜひ、色んな学習イメージ力を鍛えていって下さいね。
そして学習法としてこの記事を参考にしていただければ幸いです。



私は最近、IT支援「思考遊泳」と題しまして、
「人とITの距離」についてを考えて活動をさせて頂いております。
デジタルやITに対して抵抗感がある方が少しでも身を委ねてその距離を近づけてもらえればという思いの下、活動していきたいと思います。

今後も面白いお話が出来ればなと考えております。


以上!


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