アキタロウ

メッセンジャーをしています😆👍💓「幸せ」についての記事を書いたり、筆で字を書いて小エッ…

アキタロウ

メッセンジャーをしています😆👍💓「幸せ」についての記事を書いたり、筆で字を書いて小エッセイを書いていたりします😊

マガジン

  • いまここを楽しむために

    「いまここ」について書いています。

  • 一日一筆

    一日一字書いています。

  • 旅の記録

    身近な旅の記録です。

  • 詩然

    身近な自然から浮かび上がってくる詩。

  • 深い森に還る

    自然をテーマにしたエッセイ集です。

最近の記事

今とひとつになること、それが正解

春の風を心地いいと感じるように、生活のすべての時間に心地よさを感じられるようになると、幸せを感じられるようになることだろう。 しかし、すべての時間を幸せと感じられるようになるのは、難しかったりする。 とはいえ、難しいからといって、何もしないでいても幸せになることはないため、幸せを感じられるように工夫していくことは欠かせないだろう。 なので、まずはどんなに些細なことでも、たとえそれが自己満足でしかないことであっても、心地よいと感じることを取り入れて生活をしてったほうが、自

    • 人生の分岐点にさしかかったときは、自分の成長をさせるチャンスとなる。選択したことが成功と感じても失敗と感じても、それは自分を知る機会であり、実質的には成功しか残らない。このため何かを選択するときは、失敗してもいいという思いで飛び込むといい。分岐の先にあるゴールは、ひとつしかない。

      • 迷路を道に変えるには

        前回、「いまここ」を生きれば幸せになるという記事の中で、次のようなことを書いた。 迷いとは、いわば出口を見つけられない迷路の中にはまり込んでいるようなものであり、苛立ちと落胆の中で過ごしているような状態だといってもいいかもしれない。 その一方で、迷いのない状態になるということは、自分が今何をすればいいかを理解しているという状態であり、そういった明確さが人を前に進ませるようになる。 しかも、自分が何をすればいいかが明確になっている状態の中での間違いは間違いではないし、そう

        • 運勢とは「勢いを運ぶ」と書く。このため、どんなことでも勢いを止めずに一定の状態を保つことで運勢が上がっていく。例えば、常に楽しんで過ごしていれば、喜びの運勢が上がっていくだろうし、いつも穏やか過ごせば、平和な現実を創造できるようになるだろう。運勢は継続の力のよって上がっていく。

        今とひとつになること、それが正解

        • 人生の分岐点にさしかかったときは、自分の成長をさせるチャンスとなる。選択したことが成功と感じても失敗と感じても、それは自分を知る機会であり、実質的には成功しか残らない。このため何かを選択するときは、失敗してもいいという思いで飛び込むといい。分岐の先にあるゴールは、ひとつしかない。

        • 迷路を道に変えるには

        • 運勢とは「勢いを運ぶ」と書く。このため、どんなことでも勢いを止めずに一定の状態を保つことで運勢が上がっていく。例えば、常に楽しんで過ごしていれば、喜びの運勢が上がっていくだろうし、いつも穏やか過ごせば、平和な現実を創造できるようになるだろう。運勢は継続の力のよって上がっていく。

        マガジン

        • いまここを楽しむために
          45本
        • 一日一筆
          252本
        • 旅の記録
          10本
        • 詩然
          1本
        • 深い森に還る
          13本
        • 彩りのある世界を創るために
          19本

        記事

          Jリーグ清水vs水戸観戦記

          5月28日の日曜日、地元の友人からの誘いで静岡県清水で行われた清水エスパルスVS水戸ホーリーホックの試合を観戦してきました。 茨城県在住の地元の友人は小学校から高校までの同級生で、中高は一緒にサッカーをやっていた仲です。 そんな友人は、どういうわけか清水エスパルスファンで、清水での試合を観に行こうと誘われました。 友人の希望は、エスパルスファンに囲まれて試合を観ることでしたが、エスパルスファンの集まるゴール裏の席は残念ながらチケットが売れてしまって、結局、水戸の応援団の

          Jリーグ清水vs水戸観戦記

          生活のひとつひとつの動作を神事と思って丁寧に行えば、「いまここ」で過ごせるようになる。また、そういった丁寧さが、人としての精神性を向上させていく。自分自身を神と思って丁寧に、生活の場を神の場として丁寧に「いまここ」を過ごせば、清々しい湧水のように生きていけるようになることだろう。

          生活のひとつひとつの動作を神事と思って丁寧に行えば、「いまここ」で過ごせるようになる。また、そういった丁寧さが、人としての精神性を向上させていく。自分自身を神と思って丁寧に、生活の場を神の場として丁寧に「いまここ」を過ごせば、清々しい湧水のように生きていけるようになることだろう。

          今日は、これから地元の友人と静岡県の清水に行ってサッカーJ2の「清水エスパルスVS水戸ホーリーホック」の試合を観てきます。ちなみに僕らは茨城在住ですが友人はエスパルスファンで、僕は特に贔屓にしているチームはありません。そんなわけで、記事の仕込みができないので、明日はお休みします。

          今日は、これから地元の友人と静岡県の清水に行ってサッカーJ2の「清水エスパルスVS水戸ホーリーホック」の試合を観てきます。ちなみに僕らは茨城在住ですが友人はエスパルスファンで、僕は特に贔屓にしているチームはありません。そんなわけで、記事の仕込みができないので、明日はお休みします。

          「いまここ」を生きれば幸せになる

          今この瞬間に生きることができると、迷いが消えるものである。 迷いのない状態で、どんな瞬間でも生きられるようになれば人は幸せを感じながら生きていけるようになるだろう。 迷いとは、二つの矛盾する思いを持つことで生まれるものである。 迷いは、いってみれば二元の意識であり「前に進みたいのに進めない」、「やりたくないのにしなければならない」、そういった矛盾や葛藤を抱えた状態といってもいいだろう。 こういった状態に人は苛立ちを感じるようになるからこそ、迷いを消したいと思うようにな

          「いまここ」を生きれば幸せになる

          理性は多元的な事象の中から一元的な事を導き出していく意識であり、この宇宙に存在する法則を見抜く力である。このため抽象度の高い宇宙の法則を理解するには、感覚と思考を同時に使う理性が必要になる。理性は自分の内側で感じていることと外側で起こっている現象の整合性を思考することで養える。

          理性は多元的な事象の中から一元的な事を導き出していく意識であり、この宇宙に存在する法則を見抜く力である。このため抽象度の高い宇宙の法則を理解するには、感覚と思考を同時に使う理性が必要になる。理性は自分の内側で感じていることと外側で起こっている現象の整合性を思考することで養える。

          「喜び」の中で生きるとき、人は生かされて生きるようになる

          前回の「望んでする」が幸せの分岐点、という記事で、次のようなことを書いた。 今回は、このことについて書いていこうと思う。 上の文にある「生かされているということに気づく」ということはどういったことなのか。 これを理解するには、「我々はシステムによって生かされている」ということを認識しなければならない。 そして、「我々はシステムによって生かされている」ということに気づくことができれば、生き方を変えるようになることだろう。 なぜかといえば、生き方とは「採用する生き方のシ

          「喜び」の中で生きるとき、人は生かされて生きるようになる

          希望とは、希(まれ)な望みと書く。だからこそ心から望むことを見つけることは難しい。しかし希望を見つけるヒントは誰もが持っている。心が楽しいと感じることを辿っていけば、自分の求める望みを見つけることができるだろう。希望とは心が躍動すること。心が躍動すれば、あとは自然と上手くいく。

          希望とは、希(まれ)な望みと書く。だからこそ心から望むことを見つけることは難しい。しかし希望を見つけるヒントは誰もが持っている。心が楽しいと感じることを辿っていけば、自分の求める望みを見つけることができるだろう。希望とは心が躍動すること。心が躍動すれば、あとは自然と上手くいく。

          「望んでする」が幸せの分岐点

          前回、「過程を楽しむこと、人生を楽しむこと」という記事を書いたあと、ちょっとした気づきがあったので、今回はそれを書いていく。 どういった気づきがあったかというと、過程を楽しめるかどうかは「自ら望んでやっているか、やらされているかの違い」ということだ。 たとえば、自分が望んでしていることは、いつまでも飽きることなくできるためゴールが存在せず、それをやり続けていく限り過程になる。 しかし、やらされていると思ってすることは楽しめないだけでなく、それを早く終わらせたいという思い

          「望んでする」が幸せの分岐点

          鳥の運んだ種が地に根づき、我が世の春と咲き誇る皐月の花が散っていく。青々と生い茂る葉々と相対し、散りゆく花の美しさ。薄桃色の花弁の落ちるその先は、ひやりと冷たい石畳。虫達の注目を浴び、役目を終えた花たちは、こうべを垂れて朽ちてゆく。今度の種は、鳥に替わってこの手で土に還そうぞ。

          鳥の運んだ種が地に根づき、我が世の春と咲き誇る皐月の花が散っていく。青々と生い茂る葉々と相対し、散りゆく花の美しさ。薄桃色の花弁の落ちるその先は、ひやりと冷たい石畳。虫達の注目を浴び、役目を終えた花たちは、こうべを垂れて朽ちてゆく。今度の種は、鳥に替わってこの手で土に還そうぞ。

          意欲を持って何かに取り組むとき、そこに期待感が存在する。期待感があるとは、そこに具体的にやってみたいことあるということ。つまり、意欲とは明確な目的がある時に生まれるものである。人が意欲を持って行動するとき、その瞳が輝き始める。真の意欲が芽生えた時、それが自分を生きる出発点となる。

          意欲を持って何かに取り組むとき、そこに期待感が存在する。期待感があるとは、そこに具体的にやってみたいことあるということ。つまり、意欲とは明確な目的がある時に生まれるものである。人が意欲を持って行動するとき、その瞳が輝き始める。真の意欲が芽生えた時、それが自分を生きる出発点となる。

          過程を楽しむこと、人生を楽しむこと

          人生とは常に現在進行形であり、過程の最中にある。 だから人生のすべてが過程であると思えるようになれたなら、結果を気にして生きることがなくなっていくことだろう。 どんなことでも過程がなければ結果が生まれることはない。 結果とは、試行錯誤しながら行き着く先に得られるものであり、そういった試行錯誤から気づきが生れ、自分の可能性を広げていけるようになるもの。 だから、結果とは過程の中のひとつの指標でしかない。 結果という指標から、生きるヒントを見つけ出し、日々、自分自身を、

          過程を楽しむこと、人生を楽しむこと

          自然は常に脱力している。緊張して咲く花がないように、我々もリラックスすることで華を咲かせるようになる。リラックスして生きれば風に乗ることができるようになるから、あとはその身を委ねて生きて行かばいい。風がやんだら、その場所で種を根づかせ日の光を浴びて、のびのびと花を咲かせればいい。

          自然は常に脱力している。緊張して咲く花がないように、我々もリラックスすることで華を咲かせるようになる。リラックスして生きれば風に乗ることができるようになるから、あとはその身を委ねて生きて行かばいい。風がやんだら、その場所で種を根づかせ日の光を浴びて、のびのびと花を咲かせればいい。