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書評『訂正する力』(東浩紀・朝日新書)

訂正する力とは「一貫性を持ちながら変わっていくこと」である、と著者は延べている。

NPOの世界では、すべての団体は「ビジョン」と「ミッション」を掲げて活動している。ビジョンは「自分たちが実現したい社会」を言語化したものであり、ミッションは「ビジョンを実現するために、自分たちがやるべきこと」を言語化したものである。

ビジョンは不変だが、ミッションは時代の状況に応じて、柔軟に変化する。社会情勢が変わっていく中で、過去のミッションにこだわってしまうと、ビジョンは実現できないからだ。

NPOが社会の中で活動していくためには、「一貫性を持ちながら変わっていくこと」=訂正する力を発揮し続ける必要がある。「空気が支配している国の中で、いつのまにか空気が変わっているように状況を作っていくこと」は、まさに社会課題の解決に取り組むNPOに求められることである。

ただ、訂正する力を発揮し続けることは、NPOに限った話でなく、営利企業を含めた、社会の中で活動するあらゆる組織の維持・発展のために必要なことであるはずだ。その意味で、哲学のような難しい話ではなく、人が社会の中で、他者と協力しながら生きていくうえで、当たり前に求められる作法と言える。

当たり前の作法である一方で、実際に訂正する力を発揮し続けることは難しい。

本書でも批判的に書かれている通り、「一貫性にこだわること」あるいは「一貫性を持たずに、ただその場の空気に合わせて変わり続けること」といった罠に陥ってしまいやすい。

外部からのフィードバックを受けて自らの思考や行動を変えていく、ということは、PDCAサイクルを回すことと同様、重要ではあるが、人間の本性に反することなのかもしれない。訂正することは面倒くさいし、疲れるし、恥もかく。見たくないものを見なければならないときもある。

わざわざこうした本が書かれなければならなかった理由としては、訂正する力を発揮しなくても、あるいは発揮しないほうが、あたかも「気持ちよく生きられる」「社会を変えられる」ように錯覚できてしまう時代になっているからだ、と言えるのではないだろうか。

しかし、人は過去や歴史、これまでの習慣や伝統的価値観からは、そう簡単に逃げられない。どれだけリセットを望んでも、革命を叫んでも、これまでのゲームのルールを無視して、新しいゲームを作ること、みんなにそこに移ってもらうことはできない。社会はリセットできない。人間は合理的には動かない。

だからこそ、過去のルールや記憶を訂正しながら、だましだまし改良していくしかない。

「訂正しない力」を求める人たち、そしてそれを利用して膨れ上がっていくビジネスや思想は、今後、より負の影響力を増していくのだろう。それに対して抗う必要性を感じている人にとって、本書は重要な羅針盤になるはずだ。


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