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深呼吸 光りを心にとりこもう

第5週 5月5日〜5月11日の記憶。 それを探る試みです。 
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。

今週は、季節の中で美しき景色が次々とあらわれていることを観て
その景色をみずからの栄養にしていくかのごとき詞(コトバ)

表現に昇華させていきましょう!

では、読み解いていきます。

E. FÜNFTE WOCHE (5. MAI – 11. MAI [1912]).

5.
Im Lichte das aus Geistestiefen
Im Raume fruchtbar webend
Der Götter Schaffen offenbart:
In ihm erscheint der Seele Wesen
Geweitet zum Weltensein
Und auferstanden
Aus enger Selbstheit Innenmacht.

Anthroposophischer Seelenkalender, Rudolf Steiners,1912


  仙界の深き処から湧きあがる光の中で
  空間を豊かに織りなしながら
  大いなるものの表現があらわれる

  光の中に心がやどり
  彼方に広げる覚悟
  そして息を吹きかえす
  狭い自我から内なる勢気へと。




いつもと違う光を感じる

山歩きをしているとき、踏み跡がついた道をはずれて、沢におりたり草の上を歩いてみると一気に「野生」が感じられます。くれぐれも戻ってこられる範囲で自然破壊につながらないように注意深く入らねばいけない世界なのですが…。

道をはずれた途端に神経が研ぎ澄まされ、音や気配を感じ取ろうとする器官が一斉に稼働し始めるといった感覚です。沢の音も大きくなり、鳥もさえずりだけではなく枝にとまっている姿を簡単に発見できたり。たかが立っている位置が100m程ずれただけでも自然の雰囲気がガラリと変わり、自分の中に眠っていた野生がうごめき出すのを感じられるのです。

心を探索するときにも、普段、あなたが使っている道を少しだけはずれてみることが大切なのかもしれません。いつもの見慣れた景色が、非日常の劇中の照明によって照らし出されている状態、夢の中の映像みたいな情景を想像してみてはどうでしょうか?

スカンノは、陽光にあふれ、そこここに黒い小さな人影があって、まるでおとぎの国のようだった。まさにドキュメンタリーを思わせるものすべてが消えてしまうよう、ディテールを白くとばそうとした。それによってそこに、より深い詩が見いだせると考えたのだ。スカンノやほかの写真でリアリズムを追い求めたことなど、一度もない――例え平凡なことであれ、その時々の私の心を再現することを求めているだけだ。優れたリアリズムはとても好きだし、影響すら感じるが、自分が写真を撮るときにはこれから自分がなそうとしているのがリアリズムなのか、シュールレアリスムなのか……といったことはまるで考えたりしない。私はただ、自分が感じていることを写真に収めることにだけ集中している

マリオ・ジャコメッリ

マリオ・ジャコメッリは世界的な写真家。イタリアの小さな村が舞台の写真集<スカンノ>の説明文の一節です。「ディテールを白くとばそうとした。それによってそこに、より深い詩が見いだせる」それが、自分が感じていることだから。といいます。

彼の写真のロケ地は、行ってみるとなんの変哲もない場所だったりするそうなのです。しかし、彼の眼によって表現された世界は、モノクロームの強烈なコントラストで「生」と「死」の「あわい」を感じさせ、心の奥にしみついた記憶の残像を写しているかのような瞬間に変容させているのです。

あなたが生活している世界の光と、仙界の深き処から湧きあがる光は、同じ世界でもまったくの別物であると写真家は証明しているのですね。

同じ暮らしの中にも、別世界は平衡して潜んでいるのです。それは、表現の欠片を探すことで気づけることがあるかもしれないのです。

日常からはずれた視点で物事をみつめることで、美しさを発見する経験が呼び起こされます。そして、大いなる者の瞬間的な表現をしっかりと受け取ってゆきたいものですね。


あなたはどこに向かいたい?


ヤバい!話が通じない…。
そのような人と出会ってしまった時。

あなたは、どのように対処されていますか?たとえば、仕事のゴールについての意見を聴きたいのに、そのようなことはお構いなく、ご自分の理想や立場からの主張ばかりで、「何のために?」と問いなおしても

「だから、こうヤレばいいんですよ!」と返ってくるばかりで、どこに向かうかのゴールイメージの共有はできず。

あげくの果てに、「なんで言っていることが、わからないのですか?」と詰られてしまったりして…。

こうなると、まず、コチラの想いは通じない。これ以上は無理。

「ノーディールだ!あなたとの距離を置かせていただくことを、ただいま決定いたしました。」と心でつぶやき、ガラガラガッシャーン!!!とおもいっきりシャッターを降ろし、そのあとは、とぼけた質問をくりかえして、相手をイラッとさせてしまうことがあります。ごめんなさい…。

「対話」が常識の時代になってきて、「ソレ、やっといてねー。」と軽い気持ちで頼むのが難しくなったおかげで、『何故、それをする必要があるのか?』を明確にして、『どうやるか?』を探ってゆくのが常識化しています。

そんなの考える必要がない、「あたりまえじゃん」という自明なことをいちいち問わなければいけない時代に変わってきたのです。それに気づいていない人とは、なるべく距離をおきたいと思ってしまうのです。



大きな意味では一人ひとりの人生もそういうふうに変わってきていまよね。

なので、まず、あなたの想いを聴き出すことから人間関係も始めたいと思っています。

あなたが、どこに向かいたいのか?

シュタイナーのこよみは、その問いにヒントを与えてくれる詞(コトバ)なのです。

ですから、わたしは、あなたの想いを聴く力が磨かれれば、翻訳の精度もあがり、あなたに効くヒントを与えるられるのだと信じている訳なのです。

伝える前に、まず聴くべし。
そして、そこから始めるべし。

それを覚悟するのが大切と思うのです。
あなたは、いかがでしょうか?


2024年5月桜の木の下で


呼吸とは

花の季節が終わり新緑におおわれた
桜の木の下で大きく深呼吸をしてみました。

赤ちゃんは、生まれた瞬間、産声を上げ自らの力で呼吸を始めます。医学的にそれは「第一呼吸」というそうです。

瞑想の先生の話を聴いた時「呼吸」の大切さを学べました。身体は生きるために、心臓など自然に意識せず動いているものがあります。呼吸は、そうであるとともに意識的にコントロールできるものなので、瞑想の世界では重要な位置づけにあるのです。ということでした。

たしかに、息が合う、 息が詰まる、息つく、 息もつかせず、 息を凝らす、 息を吹き返す、 息を呑む、 息を弾ませる、 息を抜く、息を殺す、 息を潜める、息をひきとる。 など、息にまつわるコトバもたくさんありますね。自分が、どんな息をしているのかが観察できれば、マインドフルになれるのでしょうね。

そして、今週のヒントとして、どこで息をするのか?

狭い自我の世界なのか、
開かれた内なるもう一人の自分の世界なのか?


この地球上では、まず、呼吸あり
新緑の大木の下で深呼吸

緑もえる季節のなか、心は浸透し広ってゆくはず
まさに今、内なる世界で
息を吹きかえす体験をしていくのでしょう





シュタイナーさん
ありがとう

では、また


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