見出し画像

Note 114: 月蝕歌劇団公演「少年極光都市」超楽しかった!

ご案内の通り、帝都では疫病が流行し、非常事態宣言が無限に続いている。
SF映画なら、ここで暴動が起こったり、狂人が出たりするところだが、都民はそういうことも特になく、エライと思う。
狂っているのはエライ人だけだ(とか世相を斬ってみるw)。

非常事態宣言下でも、安全に配慮して、ちょこちょこ演劇はやっている。
どう配慮するかというと、客を半分に減らして、役者も少数精鋭にして、チェキとかお見送りとか顧客と演者の直接接触を廃止している。
見ている方も寂しいけど、演ってる方は採算性大丈夫なんだろうか。
せいぜい応援したい。

そういうことで、今日はぼくがメインにしている劇団、月蝕歌劇団の公演、「少年極光都市」を見てきた。
極光と書いてオーロラと読む。

画像1

二代目月蝕歌劇団

月蝕歌劇団は、もと寺山修司のスタッフだった高取英さんが旗揚げした劇団だが、高取さんが急逝されてからは、実娘であった(秘密にされていた。なんかカッコイイ!w)白永歩美さんが二代目を継いで活動されている。

初代の頃は、公演は大体2連続公演で、一方は寺山の戯曲を月蝕版として演じ、もう一方は高取さんのオリジナル戯曲を演じていた。
それに対して二代目白永さんは連続公演ではなく、高取さんの戯曲を演じている。

ここで余談だが、月蝕出身の役者さんが、別の劇団を旗揚げして高取さんの脚本を演じ始めている。
来月は森永理科さんが旗揚げされたPSYCHOSISという劇団が「ドグラ・マグラ」を演じる。こっちも楽しみだ。
1984年に寺山さんが物故されてからその演劇がクラシックになって、数多くの劇団がそれぞれの解釈で演じ始めたのと同じで、ぼくも同時代に生きていた作家である高取さんの作品が、クラシックとして受け継がれる瞬間を目撃できるわけで、うれしい。

初代の演劇は、高取さんが「宝塚音楽学校の演劇部の文化祭」と自嘲気味におっしゃっていたように、ゆるーいところがあって、そこが、まあ、良くも悪くもアーティスティックだった。(言葉を選ぶ難しさを感じる……)

それに比べて二代目は、めっちゃプロフェッショナルでスタイリッシュな感じがする。

まず、明らかに良くなった点としては、制作がめっちゃスムーズである。
チケット代を振り込むと、生写真をつけて送ってくる、たったこれだけのことで、往時はいろいろハプニングがあった。
こちらもおおらかに対応し、「あ~、月蝕だな~」という、知り合いの子供の文化祭に来たような懐かしさを覚えたのであるが、二代目はそういうゆるさがない。
ないほうがいいよ。
人類は進化を続けているんだなあとつくづく思う。感慨深い。

次に演劇の演出が切れ味が良くて分かりやすい。

ぼくは、寺山修司の戯曲を、昔の天井桟敷の映像や寺山監督の映画で見るよりも、高取さんが新演出した月蝕版の方が分かりやすくて楽しめると思ったことがある。
(あと、なかなか読み通せないことで有名な夢野久作の小説「ドグラ・マグラ」なども、高取演出の月蝕版はめっちゃ分かりやすい。)
これは、本家本元よりも、もう一段階解釈が加わることの効果だと思う。

で、二代目が演じる高取作品も、初代の演出よりも爽快で、きめ細やかで、分かりやすく感じる。
ぼくみたいなニワカでも、どっぷり作品の世界に浸れるのだ。

流山児祥さんも言っていておかしかったのだが、高取戯曲には細かい笑いが沢山あるが、これが、初代の公演ではそこそこスベっていた。
それはそれで楽しいのだが、二代目はこの笑いが、不思議とツボにはまって爆笑が起こる。

初代のゆるさ、モヤモヤ感を懐かしく思う旧ファンもいるかもしれないが、二代目も好きだ。
ていうか、同じことをやっても意味がない。
大好きな高取さんの作品が、リニューアルして、パワーアップしたと思う。
うれしい。
そして、演劇の中に、高取さんの戯曲をあらためて演じる意味や、白永さんや演出の海津さんの高取作品への思いも感じ、あらためて、肉体は滅びても言葉は永久に残る、高取さんという脚本家の偉大さを感じたのである。

とか、フワッフワした論考でなかなか作品に入れないが、まだ上演は続いていて日曜日の昼夜と、月曜日の昼までやっているので、予定がない人は大急ぎで見に行って欲しい。
荻窪のオメガ東京というところで、電車が土日は難しいのでGoogleマップで調べてから行ってください。

今回役者さんとの接触はないが、物販のコスプレイヤーちかさんという、百眼や劇団ロオルとも活動しているらしい方が場を盛り上げていて、ひとりオタは助かるなと思ったw

「少年極光都市」

作品の内容にだんだん入っていくよ。

今回の作品では、基本的に病気と、死と、共同幻想が描かれている。
言ってしまえばザ・タイムリーという題材だが、戯曲が描かれたのは1983年であり、この公演企画も1年延期されて開幕したので、昨今の情勢を当て込んだはずもなく、見事な偶然、シンクロニシティと言うしかない。

こういう感じ、前にもあったなーと思って自分のブログを調べてみると、2015年8月の「回転木馬共和国の逆襲」で、原発テロを扱っている。

まあこっちは2015年の上演で、震災・事故の4年後なので、多少、高取さん、あなた寄せに行きましたねという解釈もできるが、戯曲が描かれたのは1980年代なので、やはり予言性というか、アートとリアルが奇妙に符合してしまう不思議さがある。

以下、自分の記録用に詳細を記す。
前述の通り公演は月曜昼までやっているし、映像配信もあるので、ぼくなんかのブログでネタバレするより自分で目撃してから読んでください。

楽しすぎる!

まず、音響が良くて、歌や音楽がものすごく良かった。
オメガ東京という箱は音がいい。

感心したのが鈴をシャンシャン振って踊る踊りで、夢を見てるみたいというか、こういう芸術を専門にやってる人の公演を見てるみたいという、ビックリするほどの完成度だった。
死ぬときにああいう走馬灯が見られたら幸せだろうなー。

そう言えば、今回は超・久しぶりに詩劇ライブもあったのだが、みんな歌も踊りも良くてビックリ。
(自分のボキャブラリーのなさにもビックリ!)
いつもは笠置シズ子とか歌ってる花音菜が、今回はJ・A・シーザーの歌を歌ったのも良かった。

演劇本編では、J・A・シーザーさんの音楽に加えて、高取さんも好きだった森田童子さんの歌がいっぱい入っていたが、本当に歌がいい!
みんな心に染み入る美しい声で、作品の世界に没入できた。

役者さんは、やっぱ二代目座長の白永さんすごかった。
この人は笑いも達者で好きなんだけど、今回はシリアス、美しい、凛々しいに振り切っていて、目ヂカラというか、ヴィジュアルの迫力が圧倒的だった。

ナチュラルボーン・アーティスト花音菜は、いつも歌がすごい、踊りがすごいと書くんだけど、あらためて芝居もすごいなと思った。
戦う少年神と、けっこう珍しい昭和の女の子みたいな役の両極端な二役だが、シームレスに演じていてすごいなと思った。
ボキャ貧ですごいすごいばっかり書いててゴメンね。
2015年に「家畜人ヤプー」で初めて見た時は「やたら歌と踊りがうまいギャルが入ってきたなー」と思っていた花音菜が、完全に月蝕の二枚看板の一枚になって感慨無量だ。

そして久しぶりの前澤里紅さん、ド迫力の少年役、少女が少年を演じる意味を改めて感じさせる凛々しさで良かった。
ザ・月蝕っぽい!

今回、死の恐怖に追い詰められた少年たちが、ナースに襲いかかるシーンがあって、青春だなーと思った。
こんなこと書いてたら、コンプラ的に今どきどうかって思うけど、正直な感想だ。
ナースではごひいきの石津ゆりさんがすっごいナース感があって良かった。

いまこの公演を観る意味が……

いまは、みんなが死の恐怖を感じていて、どうしようもなく国家への不信感にさいなまれている。
演劇を見て、ふと心に浮かんだのが、生きるということは、常に死の恐怖と戦うということではないか、ということだ。
であれば、死の恐怖と戦うということは、いままさに生きている証拠だとも言える。
演劇の中で、繰り返される病いと死を見て、あらためて不幸な時代に生まれ合わせてしまった自分たちを、対象化して考えるチャンスが得られたと思う。
こんなフワフワしたことを書いていて、伝わるか不安だけど、演劇にはそういうパワーがあると思う。

見に行って良かった。
こんなブログわけわかんないと思った人も、予定が合えばぜひごらんください。

(この項終わり)


会社員兼業ライターの深沢千尋です。いろいろ綴っていきますのでよろしくです。FaceBook、Twitterもやってますのでからんでください。 https://www.amazon.co.jp/l/B005CI82FA