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「結論ありき」の文章

 給特法に基づく教職調整額の在り方などについて審議する中教審の特別部会(第12回)が4月19日に開催され、
 給特法の教職調整額を「少なくとも10%以上」とする
 という方向で決着をすることが濃厚になった。

 しかし、これは「教師の長時間労働の是正」を抜本的に図るための方策にはなり得ず、むしろ「定額働かせ放題」と揶揄される働き方を定着させることになってしまう可能性が高い。

 この中教審の審議内容に対しては、批判的な報道も相次いでいる。

 ・・・そもそも、今回の特別部会の審議自体が「出来レース」「結論ありき」ではないかという批判も根強い。

 そこで今回の記事では、特別部会の資料としてインターネット上でも公開されている「審議のまとめ(素案)」の記述をもとに、そのことについて検証をしてみたい。

 給特法に関する審議では、
「国立学校や私立学校の教師には支給されている時間外勤務手当が、なぜ公立学校の教師には支給されないのか?」
 ということが論点の一つになるはずだった。

 同じ教師という職業でありながら、設置者の違いによって時間外勤務手当が支払われたり支払われなかったりするのは理解しづらいことである。

 この点について、「審議のまとめ(素案)」には次のように記述されている。

「審議のまとめ」(素案)、49ページより

 公立学校の教師の「職務の特殊性は、国立学校や私立学校の教師にも共通的な性質がある」としつつも、3つの理由を挙げて「職務の特殊性が実際の具体的な業務への対応として発現する際の有り様は、公立学校の教師と国立・私立学校の教師とで差異が存在する」と結論づけ、時間外勤務手当を「支払わない」ことの根拠としているのだ。

 それでは、その「3つの理由」が妥当なものなのかどうかについて順に見ていくことにする。

・公立学校の教師は、地方公務員として給与等の勤務条件は条例によって定められているのに対し、国立・私立学校の教師は非公務員であり、給与等の勤務条件は私的契約によって決まるという勤務条件等の設定方法の違いは大きいこと

 ここでは、国立・私立学校との「勤務条件等の設定方法の違い」を公立学校の教師に時間外勤務手当を支払わないことの根拠として挙げている。

 しかし、 たとえば「(公立学校の教師を除く)一般の公務員」と「民間企業の従業員」には、当然ながら「勤務条件等の設定方法の違い」がある。けれども、どちらにも時間外勤務手当は支払われているのだ。

 すなわち、「勤務条件等の設定方法の違い」は、時間外勤務手当を支払うか否かを判断する基準にはなリ得ないのである。

・公立の小・中学校等は、域内の子供たちを受け入れて教育の機会を保障しており、在籍する児童生徒等の抱える課題が多様であることなど、国立・私立学校に比して、公立の小中学校等においては相対的に多様性の高い児童生徒集団となり、より臨機応変に対応する必要性が高いこと

 公立・国立・私立の別を問わず、同じ学習指導要領に則って教育活動を行っているという「共通点」があるわけだが、ここでは「相違点」のほうに目を向けている。その「相違点」とは、欄外の注釈に示されているように、国立・私立学校の特殊性、公立学校に在籍する児童生徒等が抱える課題の多様性のことである。

 これを読んで、
「そんなに多様性の高い児童生徒と関わっているのならば、公立学校の教師にこそ手厚い手当を支給するべきではないか」
 と考える方もいるだろう。しかし、今回はそれには触れないでおく。

 一方、文部科学省が令和4年度に実施した「教員勤務実態調査」のなかの「教諭の1日当たりの在校等時間の内訳」によると、平日の業務時間の内訳は下の表のようになっている。

教員勤務実態調査(令和4年度)【速報値】より

 これによると、平日に教師が行っている業務内容の上位5項目は次のとおりだ。

【小学校】
授業(主担当)・・・4時間13分
授業準備・・・・・・1時間16分
生徒指導(集団1)・・・・56分
朝の業務・・・・・・・・・41分 
成績処理・・・・・・・・・25分

【中学校】
授業(主担当)・・・3時間16分
授業準備・・・・・・1時間23分
生徒指導(集団1)・・・・49分
朝の業務・・・・・・・・・44分
部活動・クラブ活動・・・・37分    

 このうち、「生徒指導(集団1)」とは「給食・栄養指導、清掃指導、登下校指導・安全指導、遊び指導(児童生徒とのふれ合いの時間)、児童生徒の休み時間における指導」などのことである。また、「朝の業務」は「朝の打合せ、朝学習・朝読書の指導、朝の会、出欠確認など」を指している。

 上位に入っている項目を見るかぎり、これらは公立学校の教師だけではなく、国立学校や私立学校の教師にも共通する業務内容だろう。無論、公立学校の場合には「授業」や「授業準備」などのなかに「多様性の高い児童生徒への対応」が内包されている場合もある。しかし、それを踏まえたとしても、
「公立学校の教師の業務内容と国立・私立学校の教師の業務内容には、『相違点』というよりも『共通点』のほうが多い」
 という印象が強い。

 また、国立学校や私立学校の児童生徒が、公立学校に比べて多様性の少ない「等質に近い」集団であったとしても、児童生徒一人ひとりに応じた「臨機応変に対応する必要性」があることに変わりはない。「いじめ」や「不登校」などの課題は国立や私立の学校にも存在するし、「等質に近い」集団への対応には、それ故の難しさもあるはずなのだ。

 実際、国立大学の附属学校においても「いじめの重大事態」となる案件が発生していることは周知のとおりである。

 少なくとも、公立学校の児童生徒に対しては国立・私立学校の児童生徒よりも「より臨機応変に対応する必要性が高い」などと言ってしまうのは、子どもたち一人ひとりと真摯に向き合っている国立学校や私立学校の教師たちに対して失礼であろう。

・公立学校の教師は、定期的に学校を跨いだ人事異動が存在することにより、特に社会的・経済的背景が異なる地域・学校への異動があった場合等においては、児童生徒への理解を深め、その地域・学校の状況に応じて、より良い指導を行うための準備を行う必要があるが、それをどのように、どの程度まで行うかについて個々の教師の裁量によるところが大きいこと

 ここでも公立と国立・私立の「共通点」ではなく「相違点」として、人事異動のことを取り上げている。

 たしかに、同じ自治体内であっても学校が違えば児童生徒や保護者、地域の状況などは異なる。慣れるまでに一定の時間がかかるということはあるだろう。しかしその一方で、各自治体はそれぞれに「教育振興基本計画」や「教育ビジョン」等を策定し、各学校の特色を活かしつつも、共通する目標のもとで教育活動に取り組んでいる。

 そうした「共通目標」の代表的なものとして、全国的にも注目されているのが石川県の加賀市教育委員会が掲げる「学校教育ビジョン」である。

 加賀市ではこの「学校教育ビジョン」のもとで、市内のどの学校でも同じように授業改善や児童生徒指導の充実などに取り組んでいるのだ。ちなみに、加賀市の教育長を務めている島谷千春氏は、文部科学省から出向している方である。

 そもそも、同じ学校であっても新年度になって子どもたちが入れ替わると状況が一変することが少なくない。2~3年が経過すると、よくも悪くも別の学校のようになってしまうことがあるのは、教師なら誰しもが経験することだろう。

 また、そこまで大きな変化がなかったとしても、年度が替わって新たな学年や学級を担当することになれば、「児童生徒への理解を深め」たり、「状況に応じて、より良い指導を行うための準備を行う必要がある」ものなのだ。異動の有無にかかわらず、毎年、教師たちはそうやって準備をしているのである。

 一方、国立や私立の学校でも、管理職や理事会のメンバーの交代などによって、学校が大きく変わるという話はよく耳にする。「状況に応じて」対応する必要があるのは、人事異動がある公立学校にかぎったことではない(そうした大きな変化がない場合でも、新年度には相応の準備が必要になるということについては公立と同様だろう)。

 ・・・末尾にある「どの程度まで行うかについて個々の教師の裁量によるところが大きい」という点については、先ほどの「臨機応変に対応する必要性」について述べたときと同様に、公立・国立・私立の別を問わず、いずれも「個々の教師の裁量によるところが大きい」としか言いようがない。

 いや、国立学校の教師に関して言えば、公立以上に「個々の教師の裁量によるところが大きい」と思われる。なぜなら、国立大学附属学校の教師には、通常の業務のほかに「教育実習生に対する指導者」や「実践的研究者」という役割が加わるからだ。

 複数の教育実習生に対する示範授業や指導、視察や参観者に対する対応、公開授業や研究発表会の準備や運営、原稿の執筆など、公立学校の教師以上に「どの程度まで行うかについて個々の教師の裁量によるところが大きい」と推察する。


 私は公立学校の教師だけでなく、国立や私立学校の教師とも話をする機会が多い。そうした教師たちとの対話を通じて感じるのは、それぞれに「異なる困難さ」があるということだ。

 国立学校の教師の業務については先ほど述べたが、もちろん私立学校の教師についてもその業務には困難さが伴う。保護者や同窓会からの期待や要望、受験生に「選ばれる」ための戦略、研修などの機会が少ないために「孤業」になりがちなこと等々。

 公立、国立、私立の別を問わず、それぞれの教師が「臨機応変に」「裁量によって」業務を行っているということに関しては「共通」しているのだ。

 ・・・ここまで述べてきたように、
「国立学校や私立学校の教師には支給されている時間外勤務手当が、なぜ公立学校の教師には支給されないのか?」
 という問題にかぎっても、その「共通点」には目をつぶり、「相違点」だけを掻き集めて「時間外勤務手当を支払うことができない」という文章を組み立てたという印象は否めない。他の内容についても推して知るべしだろう。

 これでは「出来レース」「結論ありき」と言われても仕方がないのではあるまいか。

 ・・・これまでに述べてきた内容は、私自身の見方や考え方に基づくものであり、反論については大歓迎である。この給特法の問題に関しては、ぜひ多くの方々と議論をしていきたいと考えている。

 なぜなら、十分な議論を経ないまま一面的な見方や考え方に基づいて結論を出そうとしているところにこそ、最大の問題点があるのだから。

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