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朝ヨガ

今日の躰を、知っていく。 ヨガは、そんな時間。 繋がるからだを、感じて。 欲しいものは、いつだって自分の内側にあります。

    • 『劣等感は誰もがもっている。それは健全な向上心のきっかけになる』

      哲学者のアドラーは20世紀初頭に精神科医として活躍しました。 そんなアドラーは30代の頃はオーストリアで内科医を営んでおり、患者として訪れていたサーカス芸人からある事に気付きます。 ハードな仕事をこなす彼らの力の源は、貧しさや身体の弱さをバネにした「劣等感」からだと考えたのです。 自分が劣っているのでは無いかと疑う劣等感は、他者との比較から生まれています。 多くの人は自分が完璧だと思っている人は少ないでしょう。だから大抵の人が実は劣等感を抱えるものだと思います。 まずは劣

      • 自問自答のレッスン

        『他人の知識によって物知りになれたとしても賢くなるには自分自身の知恵によるしかない』 私は何を知ってるのか?実は何もしらないんじゃないか?常に常識を疑うことの大切さを説いたモンテーニュ。『我何をか知る』。 情報には全て何か意図があるものだとして、その人はどうしてそれを発信してるのか、どう思わせたいのか。ネットに溢れる様々な意見も、この人がこの人を褒めてるのは何でか?この人がこの人を批判するのはなんでだろうか? そして情報や発言に対して大切なのは、自分の外に答えを求めるの

        • 青春はうるわし

          少年時代と故郷。雲を友にし、花と戯れた自然児ヘッセ文学の二大の主題。 ヘッセは東洋人の魂において、とても近く生きており、むせぶような官能的な魅力と瞑想的な神への愛の清澄な美しさとの交錯が感じられます。 素朴に美しく、純粋な旋律に富んでいて若さを呼吸している。 悲しみも苦しみも分裂も苦悩もない。素直な潤い。自己に対する暴力もない。自然の姿を自分の中に保っている。 楽しき時な命は美わし。 青春は美わし。 それはもはや来たらず、されば重ねて言わん。青春の年々は美わし。青春は美わ

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          車輪の下

          教育者に。そして人の親も、子どもを取り巻く全ての大人達へ。 指導者の成すべき事があるとしたら、それぞれの可能性を引き出す事ではないでしょうか。 道を踏み外した方を決して絶望させない事。車輪の下にさせない事。 余生はそこに尽くして。主人公のハンスの身を案じた靴屋の親方フライクが彼の父に放った言葉。  「教師の連中も、この子をこんな目にあわせるのに手をかしたわけですよ。それにあなたとわたしも、この子に対していろいろと手抜かりがあったのでしょうね。」  ヘッセ自身の過去との

          お日様だった

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          村上春樹の新作

          仕事の合間にスタジオを抜け出す4月13日。買いやすいようにビルの入り口に設けられた限定の特別販売ブースに、ときめきつつ、そこに居た村上春樹コンシェルジュのおじさんに「どの本が一番好きですか?」と尋ねられる。 「長編なら、…。中編なら、…。、短編な、ら…。随筆なら、…。」とそれぞれのジャンルにて答える。一冊だけなんて選べない。 奇しくもそれは、春樹コンシェルジュおじさんと好みが合致していて、更に春樹コンシェルジュおじさんのコアな春樹ネタに、はしゃいでしまったのだけど、 後で考

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          ヨガにおいて自分を知るということとは

          ヨガにおいて自分を知るということとは、 自分じゃないものを理解して手放すこと。 「自分はこうだ」 と、思い込んでいたものを手放すこと 「この身体はこうじゃなくていいんだよ」

          ヨガにおいて自分を知るということとは

          郷愁 ペーター・カーメンチント

          セガンティニの雲がためらいがちに憧れながら誇らしげに揺れる。雲を仰ぐ美しい少女を見つめるペーターカーチメント。 彼を取り巻いた3つの死。母の死、親友リヒャルトの溺死、身障者のボピーとの終末。彼の魂も時間と永遠の間で不変を求め揺れ与うるより多くを受け取る。 環境と人格形成の関わりを深く観ることを覚える、聖フランシスと雪山、イタリアでのペーターカーチメントの顔はそれぞれ違う。今観えてるものは本の一部分で全てじゃないこと。 存在の苦悩を理解し表現してくれるようだった

          郷愁 ペーター・カーメンチント

          「……いったい、私たち人間は死をなくすために生きているの? いいえ、私たちは死を恐れ、そしてまた死を愛するために生きているのよ。死ぬってことがあればこそ、わずかばかりの命がほんのひとときのあいだあんなに美しく輝くことがあるのよ。……」(『荒野のおおかみ』高橋健二訳 )

          「……いったい、私たち人間は死をなくすために生きているの? いいえ、私たちは死を恐れ、そしてまた死を愛するために生きているのよ。死ぬってことがあればこそ、わずかばかりの命がほんのひとときのあいだあんなに美しく輝くことがあるのよ。……」(『荒野のおおかみ』高橋健二訳 )

          荒野のおおかみ

          こんな世の中のめざす目標など私は一つだって共にしはせず、こんな世の中の喜びは一つだって私にしっくりしないのに、どうして私はこの世の中のただ中で、荒野のおおかみやみずぼらしい隠者であってはならないというのか。 (中略) 私にとって歓喜であり、体験であり、陶酔であり、心の高揚でもあるものを、世の中の人はせいぜい文学の中で知り、求め、愛するのであって、生活の中ではそんなものは狂気のさただと思っている。実際、もし世の中が正しいとするならば、カフェーの音楽や、大衆娯楽や、あんなに安直な

          荒野のおおかみ

          感情に流されず自己の状態を観察する以外は一切何にもしない時間を持つ

          感情に流されず自己の状態を観察する以外は一切何にもしない時間を持つ