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1年生日記(3日目)

4月10日

学校の廊下が寒い。

春、桜が咲いたらすぐに初夏がやってきてたちまち向日葵の笑う真夏になるというのが、ここ数年定着した春から夏への季節の移ろいだったので、今年も桜が咲いてしまえばすぐ上着要らずの温かな季節が来るだろうと思っていたら、ここ数日は思いがけず冷たい春で、わたしは今日も一人、換気のため窓を開け放った廊下で凍えながらじっと教室の張り込みを続けていた。

去年の冬「軽いし温かいし、きっと出先でウッチャンの保温に役に立つ」と言って清水の舞台から飛び降りて大腿骨複雑骨折くらいの気持ちで買った(ただし、メルカリで)くせに、なんだかもったいなくてひとつも使っていなかったジョンストンズの大判チェックのストールが大活躍した。自分の首に巻いて保温に、ウッチャンのひざ掛けに、疲れて一休みしたいウッチャンの掛物に。値段がどうとかお洒落がどうとかもうどうでもいい、とにかく築50年らしい小学校の鬼寒い廊下で数時間を過ごすため、わたしは今、宝物としてしまっていたストールをヘビロテしている。

そして春の心疾患児は、体温の調整が難しい。

爽やかに晴れた日も、そこに吹く風がひんやりと冷たいこともあるし、花曇りの日でも南から吹く風が妙に温かい日もある。今日は花冷えの冷たい風の吹く日で、今朝ウッチャンにはヒートテックと綿のハイネックシャツを着せて、その上から薄いフリース素材のカーディガンを着せたけれどまだなんだか寒そうに見える。

「ねえねえ寒くない?」
「へいき」
「でも寒かったら、廊下に向ってオーイって手を振ってね」
「わかった」

そう元気にお返事はしてくれたものの、この小さい人は、教室で何となく手持無沙汰だったり、すこし淋しい気持になったりすると、廊下からそっと中を伺うわたしにむやみやたらに手を振るのでその真意がわからないことが多い。

一方教室内を机間巡視している先生方には1年生がはじまって3日目の今、「さむいです」とか「つかれました」と言葉にすることどころか、自分からなにかを話しかけることも恥ずかしくてできないらしい。

そこでわたしは「つかれた」「さむい」「たすけて」などのコマンドとウッチャンの好きなゲームのキャラクターをプリントした小さなカードを作った。

疲労を感じた時、寒さで指先が青紫色になってしまっている時(よくある)、プリントなどを教卓に提出したいけど机の間が狭くて酸素ボンベと移動できそうにない時(これも、よくある)、小さなカードを机にそっと置いておけば支援担当の先生が気づいてくれる。

身体の不調や援助の依頼をひとに伝える方法を身に着けるのは、ウッチャンのこれからの人生にはとても大切だ。かあさんが夜なべをして(うそ)作ったカードは支援担当の先生が綺麗にラミネート加工をしてくれた。

この3日間、ウッチャンを小学校に通わせて改めて思ったのは、普通の小学校に、医療的ケア児の対応に慣れている人がだれもいないということだ。

そもそも、医療的ケア児と呼ばれる子どもは全国に2万人ほどしかいないのだし、ウッチャンのように6歳まで在宅酸素療法を継続している子もレアと言えばレアで、だから

「こんなん、どうしたらええかわからん」

というのが本音なのだろうと思う。わたしだってウッチャンを産まなければ、この世界にこんなに人工呼吸器とか、酸素とか、胃ろうとか、ストーマとか、吸引機とか、電動車椅子とか、バギーとか、とにかくあらゆる医療機器や装具を駆使して生活している子どもがいるなんて知らないどころか、想像もしていなかった。

だから新学期の給食開始までのチュートリアル期間は、ウッチャンの親である自分が自分で現状の問題を抽出して、必要があれば訂正案の提案をして、ウッチャンのことを分かってもらうことに決めていた。今すぐ学校生活での自立はできないし、それはさすがに焦り過ぎだ。

確かにそれは本音を言えば

「教育委員会のヤツ『うちの市は、どんなお子さんでも地域の普通校に通っていただけます』とか言うてた癖にこの体たらくて…言いたいことは…言いたいことは、なんぼでもあるわい」

という気持ちだけれど、別に現場の先生方が悪い訳ではないし、というより1年生を医療的ケア児ふくむ35名教室に詰め込んで、その全員に目を配らなくてはいけないって一体どういう罰ゲームよと思うので、その35人の中でも特に手のかかるウッチャンの親である自分は出来るだけ先生方に協力的に、とは思っている。
 
のだけれど、ひとつだけ
 
「お子さんが一体何故医療用酸素を使っているのか、どうして電動車椅子で登校しているのか、お母さんの口から学校の子ども達に説明をしてほしい」
 
というのは、それだけは少しだけ違うかなと思った。
 
それでわたしは自分で低学年の子ども達が判る簡単な文章と、高学年の子どもであれば理解できるかなというやや複雑な文章、ふたつの「ウッチャンのお母さんからのお手紙」を作って支援担当の先生に渡し、それを子どもたちの前で先生が読んで説明してあげてほしいとお願いした。それは、わたしが人前で話すことをとても不得手にしているというのもあるのだけれど。
 
『すこしだけ病気があって、すこしだけ特別な装備を持っていて、みんなと全くおんなじことが出来る訳ではない子がいます。でも、みんなと同じ学校のお友達です』
 
というのは、先生の立場の人が、子ども達の前で語るべきなのじゃないのかなというのが、わたしの気持ちだったもので。
 
これは事前の打ち合わせでも「色々むずかしいですね」「むずかしいですよね」と言い合ったわたし達の課題だった。
 
『可哀想な子がくるのでみんな優しくしてね』というスタンスはすこし変だ。かと言って『物凄く特別な病気で治療を頑張った子がいるから大事にして』もおかしい。全校生徒の前に親が出てきて『うちの子をどうぞよろしく』というのもまた、違うんじゃないか。
 
普通の小学校生活を、すこしの援助を貰いながらできるだけ平凡に過ごしたい、それだけがウッチャンの親であるわたしの願いなのだから。
 
だから「稿料が発生したってこんなに真剣にことばに向き合うだろうか」という気持ちと気合とで書いた文章に、わたしはこんなことを書いた。
 
ウッチャンには みんなといっしょに 
たいそうや かけっこが 
できないとか でんきでうごく 
くるまいすで とうこうしているとか
きゅうしょくのあと 
かならずおくすりを のむとか 
すこしだけ みんなと ちがうところがあります
でも それいがいは いま ここにいる 
みんなと だいたいおんなじです。

大体みんなと同じ、うちの子をどうぞよろしく。

登校3日目、クラスのお友達がウッチャンと手をつないでくれた。


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