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ひよこさん

こんなになにもできない人類があるのかと思っていた。

うちの息子のことだ。

三歳になったばかりの春、桜の花と共に幼稚園に入園すると、早生まれであることを差し引いても、息子のあれこれは同級生のお友達とは雲泥の差で、あの頃まだ比較的若い母親だったわたしは愕然とした。

先生のお話しを椅子に座って聞けてない
先生が「おかばんをロッカーに仕舞いましょう」と言っても棒立ち
「幼稚園で何してきたん?」の返答が全て「なんもしてへん」

この子はものすごく頭が悪いのかもしれないし、どこかおかしいのかもしれない。言葉はあるのに会話が成り立たず、それでお友達もできないせいか幼稚園なんか楽しくもなんともないと言う。

女の子が自分で髪の毛を簡単に結んだりできる頃になっても、息子は自力で制服を着ることができなかった。

その上、目を離すとどこに行くか全くわからない暴走特急系幼児だった息子は、ストライダーに乗せれば車道に走り出し、ボールを追いかけて走行中の車に突進し、買い物に出て3秒後に振り返るともうそこにはいない。

それだから幼稚園で「電車に乗って遠足」という、わたしにとっては恐ろしいばかりの行事のあった時、わたしは彼のリュックサックの中に、本人の名前と私の名前と住所それから携帯の電話番号、それから「この子が一人でいたらこちらに連絡してください」と書いたメモ用紙をそっと入れた。

「幼稚園のお友達の列からはぐれたら、駅員さんにリュックのポケットに入っている紙を見せるのやで」

この子のことだからちょっと目を離したすきに、例えば普段あまり見ることのない環状線なんかを珍しがってふらりと列からはぐれ、挙句ぜんぜん別の方向の電車に乗り込んで迷子になってしまうかもしれない、そんな心配をする母親に息子は「なあおかあさん、えきいんて、なに?」と言った。

そんな案配のまま幼稚園を卒園し、幼稚園児のころは『早生まれのおちびちゃん』として先生方から可愛がられていた息子は、小学校の先生からはあまり好かれなかった。

それは、息子が授業が退屈だと立ち歩き、座っていなさいと言われると苛々するのか鉛筆や消しゴムを齧り、偏食のために給食を碌に口にせず、親がどう注意しても忘れものと無くしものばかりで、上履きを嫌がって履かず年中裸足の、嫌なことには見向きもしないような生徒だったからだ。

黒板の前で先生が音読をしましょうと話している国語の時間に4の倍数をひたすら探求する毎日。

その上、同級生のお友達とは喧嘩ばかりして、小学4年生の時にはとうとう「うちの教室で息子さんの面倒は見られません」と言われた。

丁度、心臓の病気で長く入院していた末の妹がやっと帰宅してきた春のことだ。

家の中で母親が混乱していれば世界の諸々に対して過敏な息子はより過敏になって、担任教師の「いったい何をしているの?今それは必要ありません」という言葉に常に反発し、何かを注意されても「それがいるかどうかは俺が決めることや」とか屁理屈をこねて言い返していたらしい、お陰で学校から電話がかかってこない日がなかった。

「とにかくよく言い聞かせてください、困るんです」

担任教師の言葉に「わたしだって相当困っているんです」とは言い返せないのが親であって、わたしはかなり辛かったけれど、あの頃、息子だって相当辛かったのだと思う、ある日帰宅するなり

「俺はばかやからな」

そう言った。

それは4年生の7月のこと、いつものように学校で色々やらかして「お家に電話しますから」と言われたらしい息子がぽつりとそう漏らしたのだ。自分でもどうしようもなく衝動的にやらかしてしまう学校でのあれこれを、先生に怒られて、家で親に「どうしてそうなの」とため息をつかれ続けた息子が、すっかり世界と不仲になってしまっていた、その瞬間の言葉だった。

わたしはその時、猛省とともにこう言った。

「オマエはバカじゃない、強いて言うなら、あのババァがバカなんですッ、そしてママもバカですッ、君はもう学校なんか行かなくてよろしい!」

あの時、しばらく息子は学校を休み、家で好きに過ごさせている間、わたしは血眼になって、息子のことを理解して、寄り添って、助けてくれそうな何かを探して、見つけて、そうして今日に至る。

自分の中にある難解な色々とどうにか付き合いながら、時に持て余しながら息子は今、中学3年生になった。

暴力的な程広大な記憶容量を持つくせに、短期記憶の曖昧さは相変わらずで、今日なんか前の晩に「即、リュックサックに入れなさい」と言って渡したはずの受験票を

「やべえ、忘れた!」

と言って走って取りに戻って来た。

これでは内申点がぼろぼろやろうから、公立高校なんか受けるほうが無駄やと内心思っていた親の予測を大きく裏切って、息子は公立高校を第一志望にした。そうして(一体あの紙屑だらけの部屋でどうやって勉強しているのか)と心配されながらこつこつ勉強し、学習塾の先生に手ひどい叱責を受けても泣きも喚きもせず、公立高校受験日の今日。

三月生まれで、クラスでは一番のおちびちゃんで、それが気に入らんのやと

「なんでぼくは前ならえをせんでええのん」

なんて言ってわんわん泣いていた人は、そこまで長身とは言えないものの現在の身長は170㎝とすこし、「数学で9割いけたら俺はフツーに受かる」というおおよそわたしの息子とは思えない、やや自信過剰とも言える言葉を呟いて受験地に乗り込むその背中は、当たり前だけれど10年前のあのひよこみたいに小さな背中とは全然違った。

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